甲子園球場100年、持ち主の阪神電鉄が村上ファンドの標的になった歴史も

甲子園球場(兵庫県西宮市)が8月1日に開場100周年を迎える。高校野球の聖地、プロ野球・阪神タイガースの本拠地として、歴史を刻んできた。球場の持ち主は阪神電鉄。同社は今から20年ほど前、買収の脅威にさらされたことがあり、事の成り行き次第では甲子園球場の歩みも違っていたかもしれない。

夏の甲子園、第10回大会から舞台に

甲子園球場(正式には阪神甲子園球場)は阪神電鉄が進める大阪~神戸間の沿線開発の一環として構想された。球場完成は1924(大正13)年、関東大震災の翌年のことだ。当初の名前は「甲子園大運動場」で、野球場であると同時に、陸上競技場などを兼ねていた。

夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)は今年106回を数えるが、球場が完成した1924年の第10回大会(当時、全国中等学校優勝野球大会)から甲子園に舞台が移った。それまでは豊中球場(大阪府豊中市)や鳴尾球場(西宮市)で行われていたが、野球熱の高まりに伴い、大人数を収容できる本格的な野球場が求められていた。

春の甲子園(センバツ、選抜高等学校野球大会)は翌1925年の第2回大会から甲子園が会場となった。

子会社に「株式会社阪神タイガース」

阪神電鉄は鉄道、不動産、スポーツ・レジャーを経営の3本柱とする。社内組織上、スポーツ・エンタテインメント事業本部のもとに、甲子園球場を運営・管理する「甲子園事業部」という部門が置かれている。

一方、プロ野球の阪神タイガースは阪神電鉄の子会社という位置づけだ。会社名はチーム名と同じ「株式会社阪神タイガース」(西宮市)。職業野球草創期の1935年に設立した株式会社大阪野球倶楽部(チーム名・大阪タイガース)を起源とする。

阪神電鉄の歴史は当然ながら、甲子園球場よりも古い。近代工業の集積に伴う阪神間の発展を見据え、大阪と神戸を高速で結ぶ電気鉄道として1905(明治38)年に開通した。沿線に郊外住宅の開発を進め、家族が楽しめる観光・レジャー施設も整備された。

阪神電車(阪神電鉄)の車両

村上ファンドが阪神電鉄株を買い占め

関西は「私鉄大国」として知られる。阪神電鉄に前後して、阪急電鉄、京阪電鉄、南海電鉄、近畿日本鉄道が誕生し、関西一円をカバーする都市間鉄道ネットワークができ上がった。

なかでも阪神間の路線が競合し、互いにライバル視してきたのが阪神電鉄と阪急電鉄。その両社が経営統合して、「阪急阪神ホールディングス」を発足させたのは2006年。それにしてもなぜ?

きっかけは当時猛威を振るっていた「村上ファンド」による阪神鉄道株の買い占めだ。2005年9月、村上ファンドによる阪神電鉄株26.67%、傘下の阪神百貨店株18.19%の大量保有が判明し、上を下への大騒ぎとなった。

村上ファンド側が経営提案の一つとして、阪神タイガーズの株式上場を要求したことから、阪神ファンから「タイガーズが乗っ取られる」との悲鳴が上がったほどだ。

ライバルの「阪急」と経営統合

翌2006年春、村上ファンドによる阪神電鉄株の持ち株比率が46%超と買収寸前にまで高まった。窮地の阪神電鉄が頼ったのが阪急電鉄。経営統合で合意した阪急電鉄が阪神電鉄へのTOB(株式公開買い付け)を行い、子会社化したうえで、共同持ち株会社の阪急阪神ホールディングスに移行した。

この持ち株会社のもとに、阪急電鉄、阪神電鉄、阪急阪神不動産、阪急阪神ホテルズ、エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急、阪神百貨店が統合)、東宝などが並ぶ。

2000年代半ば、“乱世”到来

2000年代半ば、日本のM&Aは“乱世”を迎えた。堀江貴文氏率いるライブドアによるフジテレビ支配を狙ったニッポン放送株の買い占め、楽天によるTBS買収の企て、さらにUFJ銀行をめぐる東京三菱銀行と三井住友銀行の争奪戦などが社会問題としてニュースをにぎわせた。

ライブドアはプロ野球・大阪近鉄バッファローズ(2004年、オリックスが吸収合併。現オリックス・バッファローズ)の買収にも名乗りを上げた。

その中でも中心にいたのが元通産官僚の村上世彰氏が率いた村上ファンド。日本における物言う株主(アクティビスト)の草分けとされ、2000年には不動産会社の昭栄(現ヒューリック)に国内初の敵対的TOBを仕掛け、頭角を現した。

次の100年に「銀傘」完全復活へ

甲子園球場は、安全性や快適性の向上とともに「歴史と伝統の継承」を基本コンセプトにリニューアルを重ねてきた。2008年から3期に分けて球場本体を改修し、太陽光パネルの設置や雨水利用などの取り組みも開始。2010年に甲子園歴史館をオープン。2022年にはナイター照明をLED(発光ダイオード)化した。

そして新たな100年に向けて打ち出したのが内野席を覆う銀傘をアルプススタンドまで広げる計画だ。

戦前、アルプススタンドまで覆っていた銀傘は戦時中の金属供出ですべて取り外されて以降、復活・拡張してきたが、これを完全復活させる。夏の甲子園における応援団の暑さ対策にも期待されている。2025年にも着工の運びだ。

「歴史にもしはない」とされるが、阪神電鉄の買収が別の形で結実していれば、甲子園球場の来し方行く末を左右したに違いない。

文:M&A Online

関連記事はこちら
【阪急阪神ホールディングス】海外の不動産開発にM&Aも一役
阪神・阪急経営統合 真のねらいはJR包囲網を築くことにあった

ジャンルで探す