エアアジアのインド市場撤退! 「LCC戦争」敗北の理由とは何だったのか? 過去栄光の落とし穴を再考する
日本と共通する失敗要因
エアアジアは、マレーシアを拠点に、タイ、インドネシア、フィリピン、カンボジアにもグループ会社を展開している。
「Now Everyone Can Fly(今や誰もが飛べる)」
というスローガンで、格安運賃を提供し、飛行機に乗る機会がなかった人々から人気を集めた東南アジアの“最強”格安航空会社(LCC)として知られている。
そして、東南アジアを基盤に、さらにマーケットシェアを拡大するために日本とインドに進出したが、両国ではシェアを伸ばすことができず、撤退を余儀なくされた。
特に日本では、
・ANAとの合弁による対立
・LCCに不慣れな日本人向けの配慮不足
・わかりにくいウェブサイト
・国との交渉の難航
などが影響し、シェアを伸ばせなかった。進出を2度行ったが、いずれも撤退している。この経緯については、多くの読者がすでに知っているだろう。
では、なぜ人口も多く、経済成長を続けるインドでも失敗したのだろうか。調べてみると、日本での失敗と共通する問題が多かったことがわかる。この記事では、その問題を簡単に解説する。
規制緩和で生まれた新星
エアアジア・インディアは、2013年3月に
・エアアジアグループ:49%
・インドのタタグループ:30%
・同国の鉄鋼大手ミッタル社会長の親族:21%
が出資する形で設立された。運行許可を得て、2014年6月12日にはベルガルール(バンガロール)~ゴア線を皮切りに就航を開始した。その後、“インドのシリコンバレー”とも呼ばれるベルガルールを中心に、デリーやコルカタ(カルカッタ)などの主要都市に路線を広げ、インド国内の成長する市場に展開していった。
2010年代前半、インドの航空業界は激しい競争と、世界で最も高い燃料税や着陸料を含む厳しい規制により、業界全体が厳しい状況に直面していた。実際、キングフィッシャー航空は一時最大シェアを誇っていたが、破綻に追い込まれた。
そのため、当局は規制を緩和し、外資による航空会社への出資を一定程度認めるようになった。エアアジア・インディアは、この規制緩和の結果として誕生し、さらにミッタルやタタといったインドの大財閥が出資していることもあり、就航当初は大いに期待されていた。
戦略ミスで落としたシェア
しかし、エアアジア・インディアのシェアは伸びなかった。インド航空市場におけるシェアは拡大し続けたが、2014年に就航してから6年目の2020年時点でも、わずか7%にとどまり、少数派のままだった。その理由はエアアジアの戦略ミスにある。
エアアジアは東南アジア市場でライバルが少ない状況のなか、格安運賃を武器に成功を収めたが、インド進出時にはすでに
・IndiGO(インディゴ)
・スパイスジェット
といった強力なLCCが存在していた。また、インドの航空規制は厳しく、大手航空会社ですら苦しんでいた。キングフィッシャー航空の破綻を受けて規制緩和が進んだものの、それでも他国に比べて新規参入には厳しい環境だった。
エアアジアはこの状況を打破するため、「5/20ルール」の撤廃を目指して動き出した。この規制は、国際線に進出するために5年以上の運行実績と20機以上の航空機を必要とするもので、キングフィッシャー航空やジェットエアウェイズが苦しんだ原因となった。
しかし、エアアジアは規制緩和を進めるために政府側に賄賂を渡した疑惑が浮上し、最高経営責任者(CEO)のトニー・フェルナンデスを含む数人がインドで起訴される事態となった。その結果、規制緩和は進まず、エアアジアの戦略は頓挫した。
さらに、エアアジア本社とインディア側の合弁相手であるタタとの間にも対立があった。タタは英国植民地時代から続く伝統的な企業で、エアアジアとは社風が大きく異なり、業務の進め方が複雑になりコスト増の要因となった。エアアジアAirAsia launches new low cost airline in Cambodia本社は成果が出ないことにいら立ち、細かい指示を繰り返したが、その結果、エアアジア・インディアの社長は設立から3年で辞任することになった。
マーケティング戦略にも問題があった。エアアジア・インディアはデジタル技術を駆使して、高頻度でテクノロジーに詳しい人々をターゲットにしていたが、インド市場では初めて飛行機に乗る人が多く、この戦略は的外れだった。そのため、いくら宣伝を強化しても、インドの消費者には響かなかった。
・国内での厳しい競争
・新規参入組に厳しい規制
・社風の違い
・マーケティング戦略の失敗
が原因だった。
インドと同時期に進出した日本のエアアジア・ジャパンも、厳しい環境に直面した。新幹線や高速バスが発達している日本では、羽田空港の発着枠や成田空港の発着時間といったローカルルールが厳しく、ANAのように日本の事情に合わせた慎重な姿勢が求められた。しかし、エアアジア本社はドラスチックな規制改革と急拡大を目指し、企業文化の違いから対立が生まれた。また、わかりにくいウェブサイトやマーケティング戦略の失敗も重なり、結果として破綻に至った。
エアアジア・インディアも、同じような問題を抱えていたといえる。これらの問題が解決できない限り、東南アジアのように積極的な拡大戦略を取るのは難しく、エアアジア・インディアは黒字転換を果たせず、苦戦を強いられた。
エアインディアの子会社となり消滅
エアアジアはインド市場の事情や内部対立に苦しんでいるなか、2020年にはCOVID-19が世界的に広がった。各国で移動制限がかかり、世界の航空市場は低迷し、エアアジアも例外ではなかった。
マレーシア本国でも国からの援助を受けることとなり、事業再編が不可欠な状況となった。この間に日本市場から撤退し、インドについても合弁相手であるタタに株式を買い取ってもらうよう交渉することになった。
その後、2022年にはタタ傘下のエア・インディアが、エアアジアの親会社であるキャピタルAからエアアジア・インディアの株式を買収した。2022年12月には、同社の名称を
「AIX コネクト」
に変更すると発表され、2023年10月31日をもって「エアアジア・インディア」のブランドは終了することが決まった。AIX コネクトもエア・インディアの子会社であるエアインディアエクスプレスと統合され、企業としての歴史に幕を下ろした。
その後のエアアジアグループ
コロナ禍が解消されて以降、エアアジアは再び東南アジアを中心に攻勢をかけている。まず、2022年にはカンボジアで現地企業と合弁でエアアジア・カンボジアを設立し、2024年5月にはプノンペンを拠点に就航を開始し、拡大を始めている。また、ベトナムやシンガポールでも子会社設立の計画がある。
長期的な計画では、東南アジア各地から中央アジア、欧州、アフリカなど現在は運航していない路線への進出も視野に入れており、特にアフリカ線では、2024年11月にクアラルンプール~ナイロビ直行便の就航が決まっている。
また、英国経由でニューヨーク、マイアミ、トロントなど北米東海岸への路線や、日本経由でサンフランシスコ、ロサンゼルス、バンクーバーといった北米西海岸への路線開設計画も存在している。これらの計画は、世界最大級のLCCネットワークを作るための一環だ。
しかし、ベトナムやシンガポールでの子会社の運行許可取得には難航しており、特にシンガポールでは三度申請しているが、いずれも却下されている。この状況に、エアアジアのトニー・フェルナンデスCEOは不満を抱いている。
日本とインドでの失敗を踏まえ、エアアジアが新規市場をどこまで拡大できるか、それとも失敗を繰り返すのか、同社の真価が問われている。
成功体験が招いた誤算
今回のエアアジア・インディアの記事を執筆して感じたのは、一度の成功体験が逆に判断を誤らせることがあるということだ。
エアアジアは、マレーシアをはじめとする東南アジアではトップブランドとして確立しており、最大拠点であるクアラルンプール国際空港ターミナル2には、エアアジアの赤い航空機が多く駐機している姿が見られる。
しかし、東南アジアでの成功体験があまりにも強烈だったため、同社は「経済規模の大きな日本やインドならもっと成功できる」と思い込んでしまったのではないか。
そのため、設立に必要な合弁相手の事情や競合分析、ターゲット設定が不十分なまま進出し、結果的に両国では10年もたたずに撤退を余儀なくされてしまったと考えられる。
ビジネスを拡大するチャンスがあるときこそ、一度の成功体験にとらわれず、徹底的に分析して状況を把握しながら進出することが大切だと改めて思わされる。エアアジア・インディアの失敗は、そのことを教えてくれるのではないだろうか。
11/11 05:41
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