北陸新幹線開業27年! 長野県「佐久市」が繁栄し「小諸市」が衰退した理由とは?

千年続く佐久と小諸の競争

佐久平駅(画像:写真AC)

佐久平駅(画像:写真AC)

 佐久市と小諸市は長野県東部に位置する。1997(平成9)年の北陸新幹線開業(高崎から長野までの117km)で、このふたつの自治体の運命は大きく変わった。佐久市には新幹線の駅ができたが、小諸市は新幹線のルートから外れ、首都圏との直接アクセスも失ったのだ。

 このため、小諸市は「新幹線誘致に失敗し衰退した地方都市」というイメージが定着してしまった。しかし、この25年間を

・佐久市の繁栄
・小諸市の衰退

という単純な構図で片付けてよいのだろうか。

 両市の競争は、はるか昔の律令(りつりょう)時代(日本の古代国家が律令制を使って統治していた時代。大体7世紀末から10世紀中頃まで続いた)にまでさかのぼる。

 古代、小諸には東山道(律令制に基づいて整備された五畿七道のひとつで、東日本に向かう主要な交通路)の駅が置かれ、交通の要所として栄えていた。しかし、その優位性も時代とともに変化していく。鎌倉時代には、佐久地方南部の有力武将・大井氏の勢力が強まり、その拠点である岩村田(今の佐久市)が新しい中心地となった。

 その後も両市の立場は時代の流れとともに揺れ動いた。戦国時代には武田氏が小諸を重要視し、江戸時代には小諸藩が佐久地方を統治して地域の中心となった。一方、岩村田は中山道の宿場町として発展し、後に岩村田藩が設置されるまでになった。

 明治維新後、信越本線の開通で鉄道の要衝となった小諸は、佐久地方で最も栄える商業都市となった。しかし、岩村田は鉄道から外れて近代化の波に乗り遅れることになった。このように、両市は1000年以上にわたり、交通の要所としての地位や政治的な主導権を巡って競い合ってきた。

 1980年代後半、北陸新幹線(当初は長野行き新幹線として計画)の構想が具体化すると、佐久地方に新たな転換点が訪れた。新幹線の駅をどこに設置するかを巡り、地域全体で大きな議論が巻き起こったのだ。さまざまな議論の末、最終的に新駅は佐久市に設置されることが決まり、その駅は「佐久平」と名付けられた。そして1997年10月、北陸新幹線が開業し、佐久市は再び佐久地方の中心としての地位を手に入れた。

小諸が「地方駅」へ転落した瞬間

北陸新幹線(画像:写真AC)

北陸新幹線(画像:写真AC)

 一方、打撃を受けたのは小諸市だ。

 かつてJR小諸駅は信越本線の特急が停車する交通の要所で、東京との直通運転で首都圏への玄関口としての役割を果たしていた。この利便性が、小諸市を地域の中心都市にしていた大きな要因だった。

 しかし、新幹線が開業すると状況は一変する。信越本線は第三セクターのしなの鉄道に移管され、軽井沢~横川間は廃止された。その結果、小諸駅は特急停車駅としての地位を失い、首都圏との直通アクセスもなくなり、

「単なる地方駅」

に転落してしまった。交通の不便さが影響して、訪問者数が減少し、それにともなって購買力も落ち込み、市の商業に大きなダメージを与えた。新幹線開業前は、小諸市は佐久地方の商業中心地として栄え、市民の約8割が市内で買い物をしていた。

 しかし、新幹線開業後、佐久市に大型商業施設が進出すると(後述)、市民の購買行動は佐久市に移り、小諸市の商圏は急速に縮小。これにより、ジャスコ、ながの東急、サンフルホームセンターといった大型店が次々と撤退していった。

 2018年には、市街地にあった地元スーパーマーケットチェーン「ツルヤ」小諸店が老朽化を理由に一時閉店。再開予定も不明で、大きな騒ぎになった。

 観光業にも影響が出た。特急の直通アクセスがなくなり、首都圏からの観光客が激減。小諸市の代表的観光地「懐古園(小諸城址)」は、新幹線開業前は年間100万人以上が訪れていたが、2022年の来場者数は18万5456人にまで減少している。

 懐古園は桜の名所100選や日本の名城100選にも選ばれ、美術館や博物館、動物園などがそろう観光施設だが、交通の不便さが観光客の減少を招いている。

 このように、北陸新幹線の開通は小諸市に

・交通アクセスの悪化
・商業の衰退
・観光客の減少

といった多方面で影響を与え、市の衰退を招いた。

佐久市の商業進化、数値で見る活性化

市町村別地元滞留率(全品目平均)(画像:長野県)

市町村別地元滞留率(全品目平均)(画像:長野県)

 一方、新幹線駅が設置された佐久市は、どのような変化を遂げたのだろうか。

 佐久平駅の開業により、佐久市の交通利便性は向上し、大型商業施設の進出が相次いだ。1999(平成11)年には、イオンモール佐久平(当時はイオン佐久平ショッピングセンター)が開業し、甲信地方で最大の店舗面積を持つ商業施設として注目を集めた。地域の発展は今なお続いている。

 2022年には、佐久平駅近くにホームセンターのカインズ佐久平店や、A・コープファーマーズ、蔦屋書店などが入居するフォレストモール佐久平がオープンし、さらに活性化が進んだ。人口も増加し、2015年には駅東側の岩村田小学校の児童数が1000人を超えたため、新たに佐久平浅間小学校も開校し、こちらも800人を超える児童が在籍している。

 こうした佐久平駅周辺への商業や人口の集積により、商圏の構造は大きく変わった。2021年の『長野県商圏調査』によると、商圏の実情は次のとおりである。

●小諸市の商圏(全品目平均)
・商圏人口:6万2200人
・県内市町村人口:3市町村
・地元滞留率:39.8%
・吸引人口:1万9542人
・吸引力係数:47.8%

●佐久市の商圏(全品目平均)
・商圏人口:23万9303人
・県内市町村人口:19市町村
・地元滞留率:84.1%
・吸引人口:13万39人
・吸引力係数:187.4%

「地元滞留率」は、特定の地域に住む人々がその地域内でどれだけ消費しているかを示す指標だ。数値が高いほど、地域住民が地元の商業施設やサービスを利用する傾向が強いことを意味する。例えば、地元滞留率が84.1%であれば、地域内の住民の約84%が日常的な買い物やサービスを地元で行っていることになる。

「吸引人口」は、特定の商圏に他の地域から訪れる人の数を示す。この指標は、商業施設やサービスが周辺地域からどれだけ顧客を引き寄せているかを示し、地域経済の活性度を測るための重要な要素となる。吸引人口が多いと、商圏の魅力や集客力が高いと評価される。

「吸引力係数」は、特定の商圏が周辺地域からどれだけ顧客を引き寄せているかを示す指標だ。この係数は、商圏内の人口と吸引人口の比率から算出される。吸引力係数が100%を超える市町村は、居住人口よりも吸引人口が多く、その地域の商業において重要な役割を果たしていると考えられる。

 さらに、この調査では全品目平均で小諸市から佐久市への流出率が47.6%とされており、佐久市には流出先がないことが明らかになった。

 これらのデータから、小諸市の商圏は佐久市の商圏に包み込まれていることがわかる。特に、小諸市では飲食料品の地元滞留率が87.9%と高い一方、衣料品の地元滞留率は30.6%と低く、流出率は57.6%に達している。このことは、小諸市民が日常の買い物において多くの消費を佐久市に依存していることを示している。

大型店舗に飲まれる商店数

市町村吸引力係数(全品目平均)(画像:長野県)

市町村吸引力係数(全品目平均)(画像:長野県)

 新幹線の開業によって、佐久地方の都市の序列は大きく変わった。一見すると、佐久市は小諸市から商圏の中心としての地位を奪い、完全な「勝者」になったように見える。

 しかし、この変化を詳しく分析すると、予想外の実態が浮かび上がる。佐久市の繁栄と小諸市の衰退という単純な図式は、実際には地域の現実を正確には捉えていない。新幹線がもたらした影響は、単なる「勝ち負け」を超えた複雑な構造変化だった。

 確かに小諸市の衰退は否定できない。しかし、佐久市の発展という評価については、慎重な検証が求められる。その理由は、現在の佐久市が抱える特異な発展構造にある。実態を詳しく見ると、佐久市の発展は非常にいびつな形で進んでいることがわかる。

 佐久平駅周辺では目覚ましい発展が見られる。新幹線の駅前には大型商業施設が次々と開店し、その周辺には新しい住宅地も広がっている。しかし、この繁栄は駅周辺の数km圏内に限られている。実際の商業統計からは、意外な事実が浮かび上がる。

・商店数:1994(平成6)年の1543店から2021年には960店に(38%減少)
・年間商品販売額:1997年に2311億3500万円をピークに、2021年には1981億4900万円に(14%減少)
・従業者数:1994年の7679人から2021年には6947人に(9.5%減少)

特に小売業では、商店数が1994年の1311店から2021年には

「786店」(40%減)

となっている。この数字は大型店舗の進出による

・小規模店舗の淘汰(とうた)
・商業の質的変化

を示している。佐久市の商業は、外部から来た少数の大型店舗が市場を占有する構造に完全に転換しているのだ。

「佐久市の分断」取り残される旧市街

佐久市(画像:写真AC)

佐久市(画像:写真AC)

 佐久市の人口動態を詳しく見ると、新幹線開通後の都市構造の変化が明らかになる。

 最も顕著な変化が見られるのは、佐久平駅周辺の岩村田地区だ。1990(平成2)年には1万2825人だった人口が、2020年には2万856人に増加した(63%増)。

 元々、佐久市は岩村田、野沢、中込の三つの市街地で構成されていた。しかし、岩村田以外では、著しい人口増加は見られない。野沢と中込の1990年と2020年の人口推移は次のとおりだ。

・野沢:8116人 → 9066人(12%増)
・中込:7499人 → 7533人(0.45%増)

 この30年間で、中込の人口はほとんど変わっていない。岩村田の63%増とは大きな違いだ。この極端な差は、新幹線がもたらした繁栄の実態を示している。

 佐久市は一見発展しているように見えるが、その実態は佐久平駅周辺への一極集中に過ぎず、地域の分断を深めている。大資本による大型商業施設が進出し、人口や経済活動が駅周辺に集中する一方で、歴史ある旧市街地は取り残されている。

 このようないびつな発展を果たして勝利や成功と呼ぶことができるのだろうか。新幹線誘致は、佐久市に予期せぬ課題をもたらしたのだ。

新幹線喪失からの再生

北陸新幹線(画像:写真AC)

北陸新幹線(画像:写真AC)

 一方、新幹線の誘致に失敗して衰退したとされる小諸市では、再生に向けた取り組みが本格化している。この再生の特徴は、市民と行政の協力による都市再生の努力にある。

 市民レベルでは、2019年に地域住民の危機感から生まれた「おしゃれ田舎プロジェクト」がきっかけとなった。このプロジェクトにより、かつてシャッター通りになっていた駅前の相生町商店街に新たな活気が生まれ、1階の店舗スペースがほぼ満室になるまでに復活した。

 また、行政も約10年かけて「コンパクトシティ構想」を着実に進めてきた。2021年8月には、総事業費約26億円をかけた複合型中心拠点施設「こもテラス」がオープンした。この施設には、スーパー「ツルヤ小諸店」(一時閉店後の再開)や公共交通ターミナル、市民活動・ボランティアサポートセンター、高齢者福祉センターなど、さまざまな都市機能が集約されている。

 この構想は、2040年には約3万2600人に減少すると予測される人口や、42.8%に達するとされる高齢化率を考慮したものだ。高齢者が中心市街地で生活に必要な用事を一度に済ませられる環境を整えることで、市民の利便性を高め、地域全体の活性化を図っている。

 実際、中心市街地には市立図書館や市民交流センター、新庁舎、医療センターなどの公共施設が集まり、コンパクトな都市構造が形成されつつある。さらに、予約制の相乗りタクシー「愛のりくん」の運行時間を拡大し、周辺地域とのつながりを強化する取り組みも行われている。

 このように、小諸市は新幹線という高速交通網を失った代わりに、歩いて暮らせるコンパクトな街づくりという新たな都市像を模索している。

「一極集中のわな」佐久市の苦悩

小諸駅(画像:写真AC)

小諸駅(画像:写真AC)

 一方、佐久市も繁栄の偏在を問題視し、現在は立地適正化計画を進めている。

 この計画では、佐久平駅周辺、野沢地区、中込地区の三つを都市機能誘導区域として設定している。医療、福祉、商業などの都市機能を集約し、公共交通で結ぶことでコンパクトシティを目指している。しかし、実際には佐久平駅周辺にさまざまな施設が集中し、利便性が高いため、3極の均衡ある発展は容易ではない。

 こうして見ると、新幹線誘致の「勝敗」が必ずしも両市の明暗を分けたわけではないことがわかる。むしろ、勝者とされた佐久市は駅周辺への一極集中といういびつな発展に直面し、敗者とされた小諸市は危機を機にコンパクトシティ化を着実に進めている。

 今や小諸市を

「新幹線が来なくて衰退した街」

と考えるのは古い考え方だ。最近では、逆境をバネにアニメの聖地をテーマにした誘客を図るなど、さまざまな方法で復活を目指している小諸市の動きは目を引く。問題点としては、老朽化によるもので仕方がないとはいえ、懐古園の「草笛小諸本店」を建て替えてしまったことくらいだろうか。

 そういえば、佐久市のロマンス座も長い間閉館しているが、今でも

「ロマンス座の近く」
「ロマンス座の実家」

といういい回しが通じる。懐古趣味に浸るわけではないが、信越本線で碓氷峠を越えていた頃の素朴な佐久地方が懐かしい。

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