隣に座る「トナラー」より迷惑? 電車でやたら押してくる「押スナー」という現代の闇

満員電車の蛮行

電車の席(画像:写真AC)

電車の席(画像:写真AC)

 コロナ禍でリモートワークが広まったが、満員電車での通勤・通学が再び当たり前の社会に戻った。

「以前より空いた電車」
「通勤しない生活」

を一度体験してしまったがために、以前にも増して、満員電車にストレスを感じるようになった人は少なくない。

 それに加え、この暑さである。真夏のプラットホームで熱風に吹かれ、背中を汗がつたう。自販機で飲み物を買えば生ぬるい。電車に乗る頃には、殺気立っている。

 混雑した電車内では押されることが常態化しているが、自身の意思で動くのではなく、

「動かされる」

ので、人々はそこに大きなストレスを感じる。ドアの開閉に合わせ、前の人を押すことになる。しかし多くは仕方がない人たちだ。流れに合わせるために動いている。そうではなく、問題なのは、どさくさに紛れて、

「人を押すことでストレスを解消していそうな人たち」

だ。あえて強めに押したりする。ダチョウ倶楽部のメンバーだった故・上島竜兵氏の

「押すなよ!押すなよ! 絶対に押すなよ!」

は“フリ”だったが、本気で押してほしくない気持ちから、変に押してくる人を

「押スナー」

と名付け、彼らの行動について考えてみたい。

憂さ晴らしの実態

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

 電車において、人が人を押すシチュエーションには次のようなものがある。

・混んだ電車に乗り込むため
・席に座るため
・自身のスペースを確保するため
・もっと奥に移動するため
・下車するため

席に座るために押すのはあさましく感じられやすいが、どれも電車を利用する行動としては当たり前のものだ。

 後ろに押スナーがいて、その結果、自分が前の人を押すことになって、押スナーと勘違いされるのが嫌という人たちもいる。

 一方で、押スナーはもっとドライである。

「車内の奥のほうが空いているのに、詰めないで突っ立っている人が邪魔」
「降りないで出口で踏ん張っている人は何なのか」

 実際、流れを止めている人たちがいる状況であれば、その人たちに動いてもらわないと、自分自身、そして後ろの人たちが、乗れなくなる、降りられなくなる。そういう意味では、動きをつくらなければいけないこと自体はたしかである。間違っていない。

 押スナーたちは、ある意味、“満員電車のプロ”である。毎日毎日、何年も何十年も満員電車を利用してきて、その仕組みに慣れきっている。

「押されて怒るような人は電車に乗らないほうがいい」

慣れきっている分、心が乾ききっているのか、電車において、押されるのは当たり前、状況に合わせられないほうがおかしい人としている。

 問題なのは、邪魔な人は押してもかまわないという気持ち、その気持ちが少々憂さ晴らし的な押し方になることだろう。

無言の押しに潜む不快感

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

 SNSで多く見かけたものに、押スナーのせっかちな行動がある。

 確実に下車したいという気持ちからか、ドアが開く前からぐいぐい押してくるというのだ。前の人たちはドアが開いていなければ、ドア方向に押し付けられるだけできつい。満員電車で痛い思いをした人々の体験談に

「若い女子の紙袋の角が痛い」
「男子学生のスポーツバッグが痛い」

が多いのだが、彼らは無自覚なので押スナーではない。押スナーは、腕で押してくる人、バッグで押してくる人、どちらも多いのだが、なかには、

「おばあちゃんが指の関節で背中をぐりぐり押してきて痛い」
「中年女性がお尻でボンって攻撃してきた。ぼよんとした感触が気持ち悪い」

といった変化球もある。せめて押すときに、「すみませーん、降りまーす」といいながらだったら、周囲の不快感が減ると思うのだがどうだろうか。

 無言だからこそ陰気で怖い。

 ただ東京は特に、ぶつかっても謝らない人が多い土地。あまり声をかけるのもかえって不自然なのか。押す回数が多すぎて、いちいち声を出してられないのか。

 またこちらも声をかけられる回数が多いと、疲れるし不快になるなんてこともあるのだろうか。

満員電車での効果的な対処法

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

満員電車のイメージ(画像:写真AC)

 多くの人々は、朝夕の通勤通学だけで大きなストレスがかかっている。押スナーに遭遇すれば、肉体的な痛みもあれば、メンタルも削れる。数年前に、リュックサックを押された人が、相手に頭突きして前歯を折り、傷害容疑で逮捕されるという事件があった。そういった衝動に駆られながらも、多少の不快には、

「耐えるしかない」
「乗り遅れるわけにはいかないから我慢」

として、心を押し殺している人々が大多数ではある。しかし、押されてどうしようもないときもある。例えば、

・前に子どもがいてこれ以上詰められないとき
・前にリュックサックがあって、おなかを押されてつぶされそうなとき

である。人々が対処しているのは、

「無理です」
「これ以上行けません」

などSOSを出すことだ。後ろからのプッシュがやわらいだりする。相手もこちらの状況が分からずに押していることもある。そこはやはり、コミュニケーションである。

 もうひとつ、SNSで効果的とあったのが、

「吐きそう」

とつぶやくことであった。これは、以前も、満員電車でスペースをつくりたいときにいうとサーっと人がはけると書いてあるのを見かけた。

 こういった魔法の言葉も、いざというときのために覚えておきたい。

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