率直に問う 京都は歴史ある「古都」か? もはや単なる「テーマパーク」か? 悪マナー横行の“観光公害”で考える

古都のテーマパーク化現象

京都(画像:写真AC)

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 コロナ禍が去り、外国人観光客が戻ってくる一方で、オーバーツーリズム(観光公害)が再び深刻な問題になっている。特に京都は話題に事欠かない。

 先日、京都の観光公害に関するさまざまなニュース記事を読んでいたら、地元民らしき人のコメントを目にした。それは

「京都は古都なのか? テーマパークなのか? もはやどっちなのか」

といったような現状を憂うものだった。観光公害の影響をダイレクトに食らう地元民らしい内容だった。

 テーマパーク化は京都だけでなく、世界のあらゆるところで起きている現象だ。世界最高峰の山・エベレストも、今はテーマパーク化している。

 桃山学院大学の大野哲也氏は「テーマパーク化するエベレスト」(『桃山学院大学社会学論集』第57巻第2号)で、エベレスト登山の拠点となるエベレストベースキャンプトレック(EBC)を次のように記している。

「現在、EBCはディズニーランド、ユニバーサルスタジオと並んで世界三大テーマパークと称されることもある場所となっている。エベレストトレッキングも同様で、ルクラからEBCまでどこの宿泊施設に泊まろうが、ホットシャワーとWi-Fi完備、部屋はツインルームで掃除が行き届いている。併設されているレストランではピザやスパゲティなどのイタリアン、中華、チベット料理、ネパール料理などをはじめチョコレートケーキやアップルパイなどのデザートも多種多様でカトマンズにいるのと大差ない。コンビニと言って良いほどのクオリティを持つ売店もあってお菓子、ジュース、アルコールなどなんでもある」

 エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ(1953年5月29日にエベレストの人類初登頂を達成)が成功するまで、多くの登山家の命を飲み込んだ山頂も、今はガイドの案内で到達することができる。

 そのベースキャンプまで多くの人はヘリコプターで往復し、下界と変わらない生活を楽しむ。もはや、なんら冒険の苦悩のないエベレストは、テーマパークと等しいのだろう。「究極の挑戦の場」であったエベレストが、今や

「究極の自撮りスポット」

と化してしまったのだ。京都も同じだ。大勢の観光客のひとりになって、有名な寺社仏閣を巡り、写真を撮るのが旅の目的なら、

「○○時代村」

のようなテーマパークを訪れるのと大差ない。

SNS映え至上の観光地

京都(画像:写真AC)

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 企業コンサルタントの山田元一氏の「テーマパーク化する観光地としての金沢」では、テーマパーク化という現象を、こう説明している。

「テーマパークとは、具体的にはディズニーランドのような所を指すのですが、その本質的な特徴はアトラクションの文脈や背景が捨象されて並列されていることです。例えば、白雪姫のお城の横に西部劇のジェットコースターがあって、カリブの海賊のアトラクションがある、という具合いで、個々の背景や文脈はカットされ、ただ表象としての楽しさを享受できるのがテーマパークです。いま金沢で人気がある観光スポットは、「近江町市場」「金沢21世紀美術館」「ひがし茶屋街」といったところで、それぞれ背景や文脈が異なりますが、若者観光客にとって、そんなことはどうでもよく楽しさがあればそれでオッケーなのでしょう。つまり、そもそも、とか、もともとは、とか、そのような文物を支えている背景や文脈を追い求めていく作業は不要で、楽しくておいしそうなところが手っ取り早くかいつまみできる街、金沢はテーマパークのようだ、というわけです」

 この定義に基づけば、多くの観光地がテーマパーク化しているといえるだろう。旅行者は、その土地の歴史や文化的背景を深く理解を理解することよりも、表面的な「楽しさ」や「映え」を求めて訪れるようになっているのだ。

 土地の表面だけをかすめ取るような旅行スタイルは昔からあった。しかし、それが大きな問題として認識されるようになったのは最近のことであり、その背景にはSNS、特にインスタグラムの台頭が深く関係している。「インスタ映え」を重視するこのスタイルは、観光地の本質的な価値よりも、表面的な楽しみや美しさを重視する風潮を加速させている。

 関西大学の鈴木謙介氏は「ソーシャルメディアとオーセンティシティの構築―「インスタ映え」の観光社会学的考察」(『観光学評論』7巻1号)で、「インスタ映え」と観光の関係を分析し、こう記している。

「(1)インスタ映えは、低関与な消費者が自らの需要を満たすために、シンボリック属性に関する情報探索を行う際に適合的である」
「(2)インスタ映えする観光地のオーセンティシティは、ソーシャルメディア上のコミュニケーションが生み出すコードと、観光地のマテリアリティの相互作用が生み出している」

解説すると、「1」の意味するところは、多くの観光客は、観光地の歴史や文化的背景を深く理解しようとするよりも、SNSに投稿したときに見栄えのする、視覚的に魅力的なスポットを探す傾向があるということだ。

「2」は、観光地の「本物らしさ(オーセンティシティ)」や価値は、主にその場所の歴史や文化によって決まるのではなく、SNS上のコミュニケーション(いいね!やシェア)によって生み出される評価(コード)と、実際の観光地の物理的特性(マテリアリティ)との相互影響によって決まるいうことだ。

 観光客が表面的な魅力や写真映えを求めるように、観光地もまたインスタ映えするスポットを作ろうとする。その結果、観光地は本来の文脈や歴史的背景から切り離され、見た目の派手さや面白さだけで勝負するようになる。

 これはテーマパークの特徴とまったく同じだ。つまり、インスタ映えを追求する観光客と、それに応えようとする観光地との相互作用が、観光地を次々とテーマパーク化する原動力となっているのである。

観光客マナー悪化、問題深刻化

京都(画像:写真AC)

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 前述したが、観光目的で日本を訪れる外国人観光客が急増し、京都が観光公害の典型例になっている。祇園・花見小路の問題は、コロナ禍以前から懸念されていた。かつては初見の客を敬遠する格式高い歓楽街として知られていたこの地域も、今では観光客であふれかえっている。

 舞妓(まいこ)や芸妓がお座敷に向かう時間帯にタクシーが停車すると、観光客が殺到して写真を撮るという問題はコロナ禍以降、さらに深刻化したようで、2023年12月には祇園芸妓街の関係者が京都市に観光客のマナーの悪さに対する対策を要請した。このとき、関係者から市長に手渡された観光客向けのメッセージには、

「祇園町はテーマパークではありません」

と書かれていた。なんと皮肉なことか。この事態は、京都、特に祇園地区のテーマパーク化、インスタ映え重視の観光が深刻な弊害をもたらしていることを明確に示している。問題は、舞妓や芸妓がテーマパークのキャラクターのように扱われ、ミッキーマウスと同じように見られていることだ。

 これは京都の文化的アイデンティティーを著しく損ない、伝統文化の本質的価値をゆがめ、祇園独特の風情や品格を失わせる危険性がある。インスタ映えを追求するあまり、文化の深層や真の魅力が失われているのだ。

 テーマパーク化の弊害をまとめると、

・インスタ映え重視の体験の表層化
・特定スポットへの過度の集中

といったところだろう。下世話にいえば、「中身スッカスカ」である。

テーマ化観光、歴史との葛藤

京都(画像:写真AC)

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 とにかく、SNSを通じて情報を得た旅行者たちは映えるスポットへと集中する。同志社女子大学の齋藤朱未氏・城戸優里奈氏による「京都観光におけるインスタ映えの特徴分析」(『同志社女子大学 総合文化研究所紀要』第37巻)では、京都府内のインスタ映えスポットを分析し

「京都で人気のインスタ映えスポットは伏見稲荷大社、八坂庚申(こうしん)堂、南禅寺、キモノフォレスト、竹林、正寿院であることが明らかとなった」

とし、それぞれの場所の分析を行っている。例えば、投稿分析で人を中心にした撮影がもっとも多い八坂庚申堂は

「八坂庚申堂はカラフルなくくり猿がインスタ映えすることで有名となり、多くの観光客が訪れ、写真撮影のための列ができている。そのため、写真に他者が写りこむ心配がなく、撮影対象物と自身を撮影することができる環境にある。このことが、人が中心の写真が多い理由の一つとなっていることが推測できる」

としている。この現象は、京都のテーマパーク化とインスタ映え重視の観光がもたらす深刻な弊害を示している。

 そもそも、庚申堂のカラフルな外観に引き寄せられ、SNSに投稿できる写真を撮るために行列に並ぶためだけに古都を訪れることに、本当に意味があるのだろうか。このような行為は、京都の深い歴史や文化的価値を表面的なインスタ映えにすり替え、古都を単なる写真撮影スポットに矮小(わいしょう)化する危険性がある。

 一方、テーマパーク化には肯定的な側面も存在する。川村学園女子大学・高山啓子氏の「テーマ化される観光とまちづくり」(『川村学園女子大学研究紀要』第25巻第1号)では、さまざまな観光は、すべてテーマ化されているとしている。

「近年では遊園地のみならず、レストラン、ホテル、ショッピングモール、動物園、博物館、イベント、地域、観光などに対して、さまざまなテーマが設定されており、テーマ化のあふれる社会といってもよい状況となっている。特に観光に関していえば、テーマ化はコンテンツ・ツーリズムと呼ばれる観光形態と深く関わっているが、むしろコンテンツ・ツーリズムだけでなく、いわゆるニュー・ツーリズムと呼ばれるさまざまなタイプの観光はすべてテーマ化された観光であると言うこともできる」

 テーマ化とは、

「テーマが与えられていることによって、提供される側の経験は特別に意味のある、また楽しみのあるものとして差別化される」

ことを指す。観光産業では、その土地の歴史、文化、産業、著名人などをテーマとすることが多い。高山論文では、神奈川県横須賀市の事例で、軍港都市をテーマに、海軍カレー、ネイビーバーガー、軍港巡りを観光資源に加えた事例、昭和の漁師町として商店街の活性化を図っている神奈川県三浦市の事例も取り上げている。

 つまり、テーマ化、テーマパーク化することによって観光地は魅力を高め、独自性をアピールすることができるというわけだ。

京都、古都とテーマパークのはざま

京都(画像:写真AC)

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 とりわけ、コロナ禍後の旅行では「高単価観光体験」が重視される。JTB総合研究所の河野まゆ子氏の「ニューノーマル時代に見直される「五感で味わう旅」のリアル」(『文化資源学』第19号)には、こう記されている。

「コロナ以前から、あらゆる情報がオンラインで容易に、且つ無料で入手できる環境下で、旅行者は“自分だけのパーソナルな体験”に高い価値を感じるようになっている。自分の蓄積経験に照らしたフィルターにかけて地域資源を見たときの“自分だけの発見”や、他の多くの人がそうそう容易には経験できないことをするといった価値を旅行に対しても希求することから、「1泊100万円の城泊」や「1日1組限定の無人島貸し切り」などのプログラムが近年生み出されている」

 つまり、魅力的な観光地になろうとすれば、必然的にテーマパークになる。テーマパークからの脱却を目指す

「自分だけのパーソナルな体験」

も、その多くはテーマパーク化という“井のなかの出来事”なのである。つまり、テーマパーク化することで、観光地は旅行者にユニークな体験を提供すると同時に、その体験自体が管理された空間のなかで提供される「テーマ化された経験」となるのだ。

 京都は今、「古都」と「テーマパーク」のはざまにある。一方では、歴史と文化の中心地として、京都は「歴史を学ぶ場所」であるべきだと主張する人々がいる。一方、多くの観光客にとっては、日本文化を楽しむ「物見遊山」の場である。このふたつのバランスをどうとるかが、京都の将来を左右する重要な要素である。

 そして、「テーマパーク化にとらわれた旅行は楽しいかどうか」という問いについても、もっと考える必要がある。本当に楽しい旅とは、その土地の深い歴史や文化に触れ、現地の人々と交流し、自分なりの発見や学びを得るような旅だろう。テーマパークで楽しむというのは、誰かにお膳立てされたものに乗っているにすぎない。

 現代の京都が古都なのかテーマパークなのかと問われれば、後者だろう。しかし、その鎖から解き放たれる意志があれば、旅行者は古都としての京都を体験できるはずだ。

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