道路工事で「線路が出てきた!」見学会に2000人 あふれだす60年前の記憶

舗装を剥がしたら“出土”したかつての都電の線路跡。その見学会に約2000人が詰めかけました。遺跡の発見にも似た出来事ですが、埋もれたのは約60年前。人々のあいだにかつての記憶が蘇りました。

道路工事でひょっこり顔を出した都電の線路

 東京都交通局が運行する「都電」の営業距離数は荒川線の12.2kmのみとなりましたが、都内には今も路面電車が残っています。最盛期の1960(昭和35)年には、213.7kmのネットワークが張り巡らされていました。その都電の往時の姿が、道路工事でひょっこり顔を出しました。

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アスファルトの下から出現した都電の鉄軌道。写真家・諸河 久氏が撮影した写真をもとに当時の風景を説明する担当者(中島みなみ撮影)。

 護岸工事に伴う橋梁の架け替え工事中のことでした。JR飯田橋駅に近く、新宿区と文京区の区境となる神田川にかかる「白鳥橋」のアスファルトをめくってみたら、敷石とともに路面電車の鉄軌道が発見されました。

 橋梁の幅は広く、橋の中央に複線の軌道があり、その両側に車道がありました。工事を実施する東京都建設局の担当者は、発見までの経緯を次のように話しています。

「現場は神田川が大きく折れ曲がった場所で、雨量が多いと護岸にぶつかって、どうしても水位が高くなる場所です。そのため時間雨量50mm/hの降雨にも対応できる河川断面を確保するため、今ある白鳥橋を撤去し、新たな橋をかける。2028年2月をめどに全体工事を終える予定で、今は川幅を広げる護岸工事のために既存の橋の撤去を行っているところでした」(第六建設事務所工事課)

 神田川がほぼ90度に大きく折れ曲がった場所にかかる白鳥橋は、今の住所こそ新宿区新小川町と文京区後楽ですが、通行止めになっている交差点の地名は「大曲」(おおまがり)。近くのバス停留所の名称も「大曲」です。この屈曲がもたらす水害を防止する治水対策で、現在と同じ川形が1936(昭和11)年にできました。その河川改修と同時に都電が走る白鳥橋が完成しました。

実は「2度目の“出土”」 見学会に2000人

 白鳥橋を走る都電は1968年に廃止されました。急速に広がるモータリゼーションの波に飲み込まれるようにして、自動車の通行の妨げになる軌道の撤去が進み、約60年経過した現在では、すでに関係者の記録からも消えていました。前述の担当者は、こう話します。

「都電と敷石とレールは撤去工事の図面にも記載がなく、現地にも存在しない前提で工事が進んでいました、白鳥橋には厚さ5cmのアスファルトが防水シートを挟んで2層に敷いてありました。2層といっても、防水シートとアスファルトはアスファルト乳剤で固着しているので、それを一体ではがしてみると、敷石とレールが出てきたのです」

 都電の重量を支える敷石は厚みがありますが、白鳥橋は最初から都電の軌道を敷設する前提で建設されていたせいか、鉄軌道を敷設するだけの厚みが考慮されていました。

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見学会には長い列ができた(画像:東京都第六建設事務所)。

 都電の廃止後、橋の上の軌道を撤去せず、軌道の上からアスファルトで舗装したことが、後の橋梁工事で明らかになる――こうした例は、白鳥橋と同じ神田川にかかる「御茶ノ水橋」(千代田区神田駿河台~文京区湯島)でも2020年に発見されています。

 再び起きた思いがけない出来事に、第六建設事務所は発見された敷石とレールをを2日間にわたって一般に公開。10月15日と16日の両日、あわせてわずか4時間の開催で約2000人の見学者を集めました。

送電線のスパークが、雨に濡れた路面に青く光っていた

 新宿区に在住の75歳の男性は、学生時代から都電を利用していました。白鳥橋を通過する路線もよく利用したそうです。

「あの路線は新宿区早稲田から台東区厩橋(うまやばし)を結んでいて、上野に行くのによく使ってました。今は白鳥橋の上を首都高速が走って日陰みたいになってるけど、首都高速の高架ができる前(1662年以前)は、見通しもよくていい雰囲気の曲がり角だった」

 男性が使っていた当時の都電は片道15円でした。

「自分が使っていた頃は、珍しい往復券というのがあって25円。乗客が乗り終わると、車掌がひもをひっぱってチンチンって鈴を鳴らして運転士に知らせる。バスは女性の車掌が多かったんだけど、都電はなぜか男性の車掌ばっかりだったなあ」

 新宿区側から文京区側に白鳥橋を渡ると、都電は徳川家康の生母が眠る菩提寺「伝通院」へと安藤坂を上ります。男性は今でも思い出すと言います。

「雨が降ると、車輪が滑るのか都電が安藤坂を上るのがたいへんだった。電車の屋根についている集電装置がパンタグラフじゃなくて、竿を伸ばしたようなトロリーポールで、電線と触れてスパークして、青白い光を濡れた水たまりに反射させてた」

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時間50mm/h降雨対応の河川工事は2027年まで。新たな白鳥橋はその1年後にお目見えする予定だ(中島みなみ撮影)。

 57年前に閉ざされた敷石とレールの出現が、住民の記憶をも呼び起こすことになりましたが、都電と自動車を支えた白鳥橋は、11月中旬にも撤去される予定です。第六建設事務所は、発見された敷石とレールを研究や展示などの用途に限り、第三者に譲り渡すことにしています。前述の担当者が話します。

「都電の敷設当時は製鉄技術がなかったせいか、レールを輸入していたようです。研究者がレールのサイドに刻まれたロールマークと呼ばれる文字や数字を調べることで、製造国や企業、製造年月、重量などがわかるほか、成分などを調べる材料になるようです。そのほかにも博物館での展示でもお使いいただけると思います」

 希望する研究者は東京都建設局のウェブサイトから連絡するように呼びかけています。

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