超~~~長い「伝説のロングシート」とは? 各地のラッシュ輸送を担った「座席と吊革だけの動くハコ」が造られたワケ

鉄道の通勤用車両で主流の「ロングシート」は、扉の数や優先席などの目的に応じた仕様で多様化しています。しかし、かつては本当に「窓際にシートを置いただけ」のひたすら長い、文字通りの「ロングシート」が見られました。

「ロングシート」とはこういうことです、な長さ

 通勤・通学に用いられる通勤用の鉄道車両には、「ロングシート」が窓に沿って備わっているのが一般的です。しかし、そのシートが車両の長さいっぱいに置かれていた「超超長いロングシートの通勤用客車」が存在していたことをご存知でしょうか。

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片側4ドアの一般的なロングシート(国鉄形103系電車)。ドアもなくひたすら長いロングシートの通勤用客車は、103系と同時期に登場している(画像:PIXTA)。

 鉄道車両には用途に応じて通勤形、一般型、近郊形、急行型、特急形などの区分があります。通勤形は読んで字のごとく、通勤・通学客を運ぶことを想定した設計となっている車両で、ドア数が多く、車内には線路方向に置かれる「ロングシート」を備えることが一般的です。

 特に大都市圏を走る電車の多くは、JR・私鉄を問わず通勤形が用いられており、その高い収容力を生かして通勤・通学輸送に活躍しています。電車以外にも、通勤時に威力を発揮する3扉ロングシートの気動車(ディーゼルカー)や、通勤にも対応した客車が存在します(車両によっては現存なし)。

 ところで客車とは、自らの力で走ることができず機関車に牽引される鉄道車両のことで、電車・気動車が普及するまでは、日本の旅客輸送の主力でした。1960(昭和35)年頃の国鉄では、特急用を含めると1万両以上が全国に配置されていたほどです。

 当時、寝台列車用や優等列車用に作られた客車を除けば、ほとんどが手動式ドアの「旧型客車」で占められていました。

 旧型客車は、幅の狭い旅客用ドアとデッキを車両の両端に設け、その間をすべて横がけシート(クロスシート)で埋める設計が基本でした。しかし地方都市では客車列車も通勤通学に使われていたため、ラッシュアワーでは乗降に手間取り、立つ場所も少ない車内では混雑時の乗客流動も悪いのが実情でした。

 そこで1960年代前半に入ると、ラッシュ輸送への対応が始まりました。余剰となりつつあった優等列車に連結されていた一等座席車(2等級時代。3等級時代では二等座席車。現在のグリーン車)の中でも、戦前に作られた二等座席車(並ロ<なみろ>)を、通勤用客車に格下げ改造する工事が行われることになったのです。

豪華客車も容赦なく「ロングシート化」!?

 さらに1960年代後半からは、戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要望で製作されたリクライニングシート付き2等座席車(特ロ<とくろ>)も、東海道新幹線開業に伴う急行列車削減の波を受けて用途を失い、通勤用客車の改造種車に供出されるようになりました。

 このような経緯で誕生した通勤用客車はすべて「オハ41系」に分類されて、100両に満たない両数が北海道を除く全国各地に配置。播但線・吉備線・姫新線・伯備線・津山線・小松島線(廃線)・予讃本線(現・予讃線)・草津線・七尾線・東北本線・奥羽本線などで、通常のクロスシートの客車に混ざって使用されました。

 形式的にはオハ41系として一括りにされていましたが、戦前のオハ35系からは「オロ36」「オロ40」「オロ41」、戦後のスハ43系では「スロ51」「スロ52」「スロフ52 」「スロフ53」など改造種車の種類がとても多かったため、種車によって外観が異なっていたことも特徴でした。

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通勤用客車オハフ41形200番台。基本的に高い等級の客車を改造したオハ41系のなかで例外的に普通の客車だったスハフ42 形をロングシート化した車両。山陰本線下関口の行商列車用だった(画像提供:ポム氏)。

 ではオハ41系客車は、どのようにして通勤用客車としてラッシュ対策を行ったのでしょうか。

とにかく「ロングシートだけ」 果ては「ロングシートもない」も!?

 その方法は、車内に並んでいたクロスシートをすべて撤去し、ロングシート化するという極めてシンプルなものでした。

 しかし、ドアは改造前と同じように車両端に設置されたままだったので、車内に入ると、全長15m以上はあろうかという驚くほど長いロングシートが窓を背に置かれている……という変わった光景を作り出していました(実際には、数名ごとにシートは分割されていましたが)。

 国鉄およびJR国鉄車両には、123系電車やキハ54形0番台など、他にも「超長いロングシート」車が存在しますが、車両の全長に対するロングシートの長さ比率という面では、オハ41系はトップクラスだったのではないでしょうか。

 なお、文中で「通勤形客車」ではなく “通勤用客車“ と記したのは、厳密には旧型客車に通勤型という区分がないためです。

 通勤用の客車としては、ほかにも和田岬線で使用されていたオハ64系も個性的でした。こちらは逆に「車内にほとんどシートがない」「車体の真ん中に増設したドアが片側にしか無い」など、さらに特徴的な姿をしていました。

※ ※ ※

 優等列車用で高い等級の車両として華々しく生まれながら、末期は通勤用客車として各地で多くの乗客を運んだオハ41系に、数奇な運命を感じずに入られません。オハ41系は昭和40年代末から早くも廃車がはじまって昭和50年代には急速に姿を減らし、最終的には1985(昭和60)年にすべて廃車されています。

 オハ41系はすべて解体されて残存していませんが、改造種車の一種だったスロ52形は、北海道・美瑛で居酒屋に改造されて現存しており、今なお外観の雰囲気を感じることができます。

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