「東京でも大阪でも同じ電車ばっかりだったよねー」 今や懐かしい「国鉄標準形」 みんな同じで実は違う?

大都市圏の通勤電車は、JR各社ごとに様々な個性を持っていますが、国鉄時代は「どこでも同じ」車両が見られました。懐かしい「国鉄標準形」電車、それはそれで個性があったのです。

通勤形電車は日本中で「ほぼ103系」だった

 東京と大阪の中心部を環状運転するJR東日本の山手線と、JR西日本の大阪環状線には、それぞれE235系通勤形電車と323系通勤形電車が使用されています。前者は片側4扉車両、一方の後者は3扉車両と、車体の外観が大きく違っています。
 
 このように、同じような使用目的でも、JR各社によって車両が異なるのは常識。でも昔は違いました。

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原型の大型ヘッドライトがデビュー当時の面影を残す、国鉄時代の103系(遠藤イヅル撮影)。

 JR発足前の日本国有鉄道(国鉄)時代では、通勤形電車なら103系、特急形電車なら485系というように、全国各所で「同じような車両」が走っているのがふつうでした。そのため、国鉄時代は山手線・大阪環状線ともに、103系通勤形電車が運用されていました。

 これら全国で見られた「国鉄標準形」とも呼べる車両は、JR発足から37年を経たいま、急速に姿を消しています。ここでは、一大勢力を築いた国鉄標準型の代表的な旅客用車両を紹介します。

103系

「カルダン駆動」を採用した新性能電車として1957(昭和32)年に誕生した101系通勤形電車をベースに、経済性・保守の容易さなどを加味して1963(昭和38)年にデビューしたのが103系です。

 垂直に切り落としたような食パン顔、両開き扉を片側に4か所持つスタイルは101系譲りでしたが、101系は駅間距離が短い路線では使いにくい欠点を抱えていたため、103系はどのような路線でもおおむね対応できる設計に変更。国鉄標準形通勤電車の座を射止めました。

 1984(昭和59)年までの約20年間にわたり約3400両が製造され、首都圏・中京エリア・大阪エリアの通勤路線で活躍。さらに北は仙台エリアの仙石線、南は福岡エリアの筑肥線でも運用されました。後年には広島エリアでも使われ、話題となりました。

 JR移行後は徐々に勢力を減らし、2024年7月現在ではJR西日本に34両、JR九州に15両が残るのみとなっています。

全部で5000両(!)近く作られた近郊形の標準形電車たち

 郊外輸送を担う近郊形電車にも「標準形」がありました。

113系・115系

 113系および115系近郊形電車は、使い勝手に優れていた3扉・セミクロスシートという設計により、大都市を含めた直流電化路線の近郊区間で重宝された電車です。

 まず1962(昭和37)年、111系が東海道線で「湘南電車」として導入され、翌年にはモーターのパワーをアップした113系も出現。さらに同年には、山岳区間でも使用できるよう「抑速ブレーキ」の搭載、耐寒耐雪設備を備えた115系の製造も開始されています。

 1983(昭和58)年頃までに111系と113系が合わせて約3000両、115系が約1900両も作られ、まさに「標準形車両」と呼ぶにふさわしい一大勢力を築きました。

 現在でも、JR西日本が113系・115系を岡山・下関エリアで走らせているほか、しなの鉄道にも115系が残っています。しかし両数は合計で250両を切っており、完全引退はそう遠くないものと思われます。

 なお交流電化区間には401系・403系・421系・423系・415系が投入されましたが、使用線区が広範ではないため、この記事では「標準形車両」に含んでいません。

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東海道・山陽本線の113系。1980年代中期(遠藤イヅル撮影)。

165系

 急行形電車153系の出力増強版として生まれた163系を元に、山岳路線・寒冷地でも使用できるよう開発されたのが165系です。1963(昭和38)年に登場し、直流急行形電車の標準形式として1970(昭和45)年までに約700両が製造されました。

 なお修学旅行用の167系、旧信越本線の横川-軽井沢間(いわゆる「横軽」)でEF63形電気機関車と協調運転ができる169系も、165系グループに含まれます。

 こちらも本州の直流電化区間ではどこでも見られた車両です。急行のみならず普通列車にも使用されるなどオールマイティに活躍しましたが、167系・169系ともに現存車はありません。

同じに見えてみんな違う! 457系(451系・453系・455系・471系・473系・475系・457系)

 いっぽう、交直両用急行形電車の標準形が457系です。457系は、厳密には50ヘルツ用の451系と60ヘルツ用の471系、そのパワーアップ版の453系と473系、それらに抑速ブレーキを備えた455・475系、そして50・60ヘルツどちらも走れるようにした457系に分類され、合計約600両のグループを作りました。

 直流・交流電化どちらも走れる457系グループは、大都市圏の直流電化区間に乗り入れることも可能。急行列車の衰退後はローカル運用に転じましたが、九州から東北までの広い範囲で見ることができました。

 2024年7月現在は、クハ455-701が残存するのみです。この車両は国鉄時代の1986(昭和61)年に先頭車不足への対策として中間車のサハ455形を先頭車改造した上、さらに近郊形の413系へ編入したもの。同車を含む413系の3両1編成はJR西日本からえちごトキメキ鉄道に譲渡されており、今なお国鉄時代の交直両用急行形電車の面影を偲ぶことができます。

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米原駅に到着した457系の北陸本線普通列車(遠藤イヅル撮影)。

 ちなみに、標準型の車両は、1500両も作られた485系のような特急形のほか、気動車(ディーゼルカー)でも当然ありました。北海道や東北、九州、四国地方では非電化区間も多いため、電車以上に広範囲で「同じような車両」が走っていました。

 昭和の映画の代名詞ともいえる『男はつらいよ』では、主人公の車寅次郎が全国をめぐるシーンで国鉄の気動車も数多く登場しますが、それを見ても、各地域で「同じような車両」が走っていたことがわかります。

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