現存唯一の鉄道車両で「髪切って、ひげ剃ってきた!」長野の山中に残る“動く床屋さん”とは

長野県の山あいに残る赤沢森林鉄道には、林業従事者の理髪目的で作られた鉄道車両「理髪車」が保存されています。しかもこの日本で唯一残る貴重な車両は、現在も利用することができるとか。実際に散髪体験してきました。

床屋談義から始まった木曽への訪問

 東京都清瀬市にある理髪店「BBつばめ」さん。ここは、知る人ぞ知る鉄道グッズが数多く展示された「名物店」でもあります。

 今年(2024年)5月、同店を訪れた際に、店主で鉄道ファンの渡辺和博さんから、色々と興味深いハナシを聞きしました。その中で、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)がおもしろいなと感じたのが、長野県の山中に散髪専用の鉄道車両「理髪車」が保存されているというもの。しかも、その車両では不定期ながら実際に整備協力金(3000円:2024年7月時点)を支払えば理髪体験もできるというではありませんか。

 そんな激レア体験ができる鉄道車両があるとは思いもしなかったので、店主に詳しく話を聞くと、なんと車内で理容師として腕を振るうのは、話をしてくれた渡辺さん本人だそう。そこで早速、現地の上松町観光協会に問い合わせと予約を行い、再び髪が伸びそうな7月の体験開催日に信州木曽の現地へと向かいました。

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「森の床屋さん」とも言える風情の「理髪車」で髪を切られる筆者。レール(軌道)の幅は762mmと狭いので、車体も小型である(岡 耕士郎撮影)。

 理髪車があるのは、長野県木曽郡上松町にある赤沢自然休養林の中です。同車は、かつて林業が盛んであった木曽で、ヒノキの伐採作業や材木の運搬などに従事した作業員に向けて作られた理髪専用車でした。世にも珍しいこの車両は、台車以外は木製の客車を改造したもので、誕生の理由は伐採作業で何週間も泊まることが続くことや、理髪店のある町まで最低でも2時間かかってしまう地理的な問題から製造されたといいます。

 実際の運用は走りながら理髪するのではなく、最総延長距離が500kmにもおよんだ木曽森林鉄道を定期的に巡回して、駅や作業場付近に停車して行ったそうです。また理髪も営林署の職員が行っており、担当者は「理髪手」と呼ばれていました。

 活動は1955(昭和30)年から1975(昭和50)年までの20年にわたり、延べ2万人もの髪を切ったとのこと。作業員たちがこの理髪車に乗るときは、山を降りて家族に会える日が近いというのを明示していて、心楽しい日でもあったそうです。

「理髪車」初体験の意外な感想

 理髪体験の当日は、東京から自動車で高速と一般道を4時間以上かけて移動し、延々と続く山道を走ってようやく到着しました。ただ、赤沢自然休養林の駐車場がゴールではありません。そこでクルマを降りたら、今度は徒歩で森林鉄道記念館まで上がっていきます。なお、目的の「理髪車」は、普段保管されている屋根付きの場所から少し離れた森林鉄道乗場の横のレール上で、赤い車体を見せて待機していました。

 早速、この日の理髪を担当する「BBつばめ」の渡辺さんに挨拶をして、カットをお願いします。店は一見すると小型の車体でしたが、中はそれなりにスペースがあり、清潔な車内には散髪用の椅子や鏡、さらにはタオル蒸し器など、当時の物がキレイに保存されていました。聞けば蛍光灯も運用当時の規格だそうで、その保存へのこだわりに驚きます。また、台車から上は木製なので腐食や雨漏りが心配されましたが、それも定期的な補修でクリアしていました。

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「理髪車」で調髪や洗髪、顔剃りと全ての工程を終えて、さっぱりした顔で専用椅子に座る筆者と理髪担当の渡辺和博氏(岡 耕士郎撮影)。

 専用椅子は、見た目こそ古色蒼然としていましたが、50年以上前の物とは思えない座り心地で、顔を剃る時も足を伸ばし、リラックスした姿勢をガタつくことなく保持してくれました。さらに驚いたのは、入口の左手にある当時の洗髪台が稼働していた点。これは上の箱状容器にお湯を入れて蛇口をスイングさせてお湯を出す方式で、最近になって保健所の許可が下りて再使用が可能になったそうです。

 実際に髪を切って洗髪、顔剃りと一通りやってもらった感想は、意外なほどスムーズで普段の理髪店と変わらない印象でした。しかし、車両を含め各種設備は50年以上前に作られたものであることを考慮すると、それを保存・補修する森林鉄道の職員の方々や、細心の注意を払いながら使用する渡辺さんのご苦労もあったのだろうと、体験してわかりました。

森林鉄道に乗ってみよう!

 この「理髪車」が保存される赤沢森林鉄道は元々、木曽森林鉄道の一部でした。この一帯の国有地や皇室の御料林には、自然林で樹齢300年にもおよぶ良質のヒノキが広がり、伊勢神宮に遷宮用材として使用された実績もあります。

 江戸時代は伐採した材木を川で運んでいましたが、明治時代に入り近代化とともに鉄道が導入されました。そして、1916(大正5)年には小川森林鉄道が竣工します。その後、王滝森林鉄道などの各路線も増えて、最盛時の総延長距離は東京~大阪間にも迫る500km以上に達したといいます。

 しかし山間部での運用を考えて、レール(軌道)の幅は762mmと日本国内で広く普及していた軌間1067mmより狭い「特殊狭軌(ナローゲージ)」と呼ばれるものが用いられていました。加えて、このような特殊狭軌で使用するために、アメリカ製の小型蒸気機関車が輸入されて、長野県の山中を木材の運搬で走り回っていたのです。

 なお、太平洋戦争後はディーゼル機関車や単体で走るモーターカーが導入されたため、蒸気機関車は1960(昭和35)年に退役しています。ただ、高度成長期に入ると輸送の主流がトラックへと移ったため、1975(昭和50)5月に木曽森林鉄道は終わりを迎えたのでした。

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森林鉄道記念館で展示される木曽森林鉄道の当時写真。蒸気機関車が牽引する無蓋の運材台車には、満載された材木が見える(画像:森林鉄道記念館)。

 しかし、地元では森林鉄道の復活を望む声も大きく、自然休養林の園内に保存を目的とした軌道が敷設されました。そして1985(昭和60)年に行われた遷宮用御神木の運搬をキッカケとして、1987(昭和62)年7月には1.1km区間を使って折り返し運転を行う観光用の赤沢森林鉄道として、復活したのです。

 筆者もこの路線に乗ってみましたが、森のマイナスイオンを全身に浴びてリラックスした心地良い乗車を体験できました。ちなみに、現在では前出の蒸気機関車やディーゼル機関車、モーターカーなども、理髪車とともに森林鉄道乗場横にある森林鉄道記念館へと集められ、一部は動態保存されて余生を過ごしています。

 理髪車の体験は、森林鉄道記念館の展示の合間に行われており、今年も8月21日と22日の2日間に加え、10月10日も一日限定で開催予定だそう。車内の装備品は前述したように一見の価値ありなので、この貴重な車両に興味のある人は、上松町観光協会に問い合わせてみてはいかがでしょうか。利用するには予約が必要ですが、実際に乗車して森林浴をしながら髪をカットする貴重な体験は、何ものにも代えがたいものだといえるでしょう。

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