東京の快走路「野猿街道」のナゾ 立派な幹線道路になぜその名前? 実はあの「野猿」!?
東京に「ナントカ街道」という道路は数あれど、なかでもインパクト抜群の名前が「野猿街道」でしょう。どのような道なのでしょうか。多摩地域の移動では、意外と“使える”路線かもしれません。
多摩川を渡る「野猿街道」
東京には、多摩地域を東西に結ぶ国道20号「甲州街道」をはじめ、「●●街道」との名がついた道路が多数ありますが、なかでも「野猿(やえん)街道」は、ちょっとインパクトのある名前かもしれません。しかし、その名前とは裏腹に、近代的かつ重要な幹線道路です。
東京23区西部や北多摩地区から、南西の相模原方面へ向かうとすると、どこかで多摩川を渡って多摩ニュータウンを貫くルートが早いケースがあります。野猿街道は、その時の選択肢に入るルートの一つです。
多摩ニュータウンを横断するルートは、主に次の3つでしょう。
・多摩河原橋(調布-稲城)からの鶴川街道と「南多摩尾根幹線」
・関戸橋(府中-多摩市)からの鎌倉街道と「多摩ニュータウン通り」
・府中四谷橋(府中-日野)からの「野猿街道」と柚木街道
このうち南多摩尾根幹線は暫定2車線区間が多く、慢性的に渋滞しているため、かなり時間がかかります。多摩ニュータウン通りは4車線であるものの、京王相模原線に沿うため駅周辺で渋滞しがちです。
これらに対し、中央道 国立府中ICの至近から府中四谷橋を通って多摩ニュータウンの北辺を貫く野猿街道は4車線、かつ鉄道沿線から離れていることもあり、比較的流れています。ちょっと急ぐときに中央道との組み合わせもしやすいです。
沿道の鉄道駅といえば、多摩都市モノレールの「大塚・帝京大学」駅(八王子市)だけ。途中の下柚木交差点から西は柚木街道となり、国道16号の鑓水交差点まで通じています。南多摩尾根幹線、多摩ニュータウンは町田街道に接続していますが、柚木街道からも町田街道は比較的すぐです。
では、このルートになぜ、「野猿街道」という名がついているのでしょうか。
野猿って、あの「野猿」?
野猿街道はもともと、下柚木交差点と京王線の北野駅のあいだにある「野猿峠」に由来し、八王子駅方面へ通じる道路でした。つまり、現在の多摩市と八王子市街を結び、多摩川の南側で完結していた街道でしたが、府中四谷橋が1998年に完成したことで、国立府中IC付近(国道20号日野バイパス)までが野猿街道と呼ばれるようになったのです。
ところで、「野猿」といえば、一定以上の世代の人は、1990年代後半にテレビ番組で生まれたグループ名を思い出すのではないでしょうか。とんねるずとそのテレビクルーたちからなり、秋本 康さんプロデュースで一世を風靡した「野猿」です。
野猿の由来は野猿街道……ではなく、野猿街道の近くにあった「ホテル野猿」というラブホテルの看板から取られたと言われています。
その「ホテル野猿」は後に名前も変えてリニューアルされたものの、2023年に閉業しました。SNSではホテルに世話になったという人、かつてあちこちで目立っていたその看板を懐かしむ声が多くみられます。
08/04 12:12
乗りものニュース