世界史上“最悪の軍艦” 世紀の珍兵器「円形軍艦」なぜ誕生? 1発撃ったら“艦がグルグル回転”!?

1873年ロシア、サンクトペテルブルクにあるアドミラルティ造船所から、1隻の奇妙な軍艦が進水しました。艦の名前は「ノヴゴロド」。船体がほぼ円形でした。

最初の理論は英国人の突飛な考えから

 ときは1873年ロシア、サンクトペテルブルクにあるアドミラルティ造船所から、1隻の奇妙な軍艦が進水しました。艦の名前は「ノヴゴロド」。常備排水量は約2500トン、全長は約30m、11インチの大砲を2門装備し、船体は分厚い装甲で覆われた「モニター艦」と呼ばれる、水面から上甲板までの距離(乾舷)の短い艦でした。

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就役した後の「ノヴゴロド」(画像:パブリックドメイン)。

 同艦は当時としてかなり大型のモニター艦といえましたが、それ以上に目立ったのが全幅です。なんと全長と同じ約30m。そう、この艦の船体は円形だったのです。

 どうしてこのようなお盆のような船が作られることになったのか、その経緯を見てみましょう。発端は1868年、イギリスの造船技師ジョン・エルダーの主張でした。

 当時の海戦といえば、巨大な砲から打ち出される砲弾で、船の横腹に穴をあけて沈没させる、というのが基本戦術でした。そのため、軍艦は強い砲を搭載すると同時に、横腹を装甲で補強し、敵弾に耐える構造にする必要がありました。

 そこでエルダーは、「船の全幅を広げれば、乾舷を短くできる。そうすれば、船も安定するし、大きな砲も搭載できるのではないか」と考えます。

 乾舷を短くすれば、本来敵に狙われやすい左右の横腹(舷側)を晒す面積も減るため、装甲も少なく済み、相手が狙うことも困難になります。さらに細長い船体よりも幅広の船体の方が、安定性もよく、高い浮力を得られるので大型の砲が搭載できます。

 この考えに賛同し、さらに発展させたのがロシア帝国海軍のアンドレイ・アレクサンドロヴィチ・ポポフ少将でした。

 彼は、このエルダーの考えを参考に、完全な円形の船体を設計します。そして、喫水と乾舷をさらに短くするため、船底を流線形から平底にするという徹底ぶりでした。こうなると完全にお盆が浮いているようなものです。

円形の軍艦を作らなければならない事情があった!

 どうしてこのような攻めた構造の軍艦を作ることになってしまったのか、それは当時のロシア帝国の国際的な立場も関係しています。実は1853年から1856年にかけて行われたクリミア戦争において、ロシア軍はオスマン・トルコ、イギリス、フランス、サルデーニャ連合軍に敗北し、パリ条約により黒海での軍艦保有に制限がかけられてしまいました。

 黒海やクリミア半島は、ロシア海軍が地中海経由で外洋へ出る際に重要な拠点となっており、21世紀の現在でも、同地を巡りウクライナとの戦闘が行われています。

 ロシアが外洋に進出するための生命線ともいえるクリミア半島の防衛のために、軍艦は不可欠でした。そのため、ポポフ少将は円形で軍艦と判別しにくい同艦を、クリミア半島のセヴァストポリに浮かべる予定の「浮遊型の要塞だ」と主張して早急に建造しようと考えたのです。

 この制限は1871年には解除になるものの、艦の建造はその年の12月から始まりました。なお、当初は同型艦を10隻建造する計画があったようですが、クリミア戦争の敗北で支払った賠償金の影響もあり、1番艦として「ノヴゴロド」、その次にやや大型な「ヴィツェ・アドミラル・ポポフ」が建造された時点で建造を終えています。これ以上建造しなかったのは、ある意味、不幸中の幸いだったかもしれません。

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上から見た「ノヴゴロド」のスケッチ(画像:パブリックドメイン)。

 直径約30mとなった円形の船は、エルダーの考えた通り、非常に高い浮力をもち、進水後も良好な性能を発揮。11インチ(約28cm)の砲を2門搭載しても非常に高い安定性を示しました。喫水は最大で4.1m、乾舷はわずか46cmで、手を伸ばせば甲板から水面に手が届く距離でした。低い船体には装甲が施されて「ノヴゴロド」は1874年に就役しました。

就役後はかなり残念なことに…

 しかし、「ノヴゴロド」は、現在「建造されたうちで最悪の軍艦」という汚名を背負っています。それは、当初考えていた以上に使い勝手が悪かったことが原因です。

 ロシア海軍はこの「ノヴゴロド」を川の河口や沿岸防衛に使用しようと考えていたようです。セヴァストポリの港湾やドナウ川の河口などで運用が試みられましたが、その結果は散々だったといいます。

 まず船体がお盆のように薄いため、少々の波によりすぐにスクリューが水面より露出してしまいます。またその円形の形状のために非常に舵が効きにくく、通常時でスピードは時速6ノット(11km/h)程度。強い嵐の中ではほぼ操舵不能になりました。

 さらに搭載した砲にも問題がありました。搭載された20口径の11インチ砲は、伝統的な砲口の部分から弾や炸薬を込める前装砲となっており、次弾発射までに非常に長い時間が必要で、1発撃つのに約10分を要しました。

 同艦が建造を始めた頃の大型艦砲はまだ前装式のものが主流でしたが、就役する頃には既に現在のような後装式の砲が艦砲としても使われるような時代に入っており、すぐに前時代的な装備となりました。

 さらに、砲を発射するとその反動で艦が回転してしまうという事態に陥ることになりました。川の河口で運用しようにも、川の流れに逆らって進むには抵抗が大きく、なかなか進めないうえ、流れによっては舵を失ってクルクルと回転しながら流されていくような有様。回転し始めた「ノヴゴロド」は「自艦を中心として目眩を起こすほどの速さで容易に回転」「手が付けられないほど猛烈に回転し、艦上の全ての人が目眩で無力化された」などと書き残されており、相当なスピードで回転したことがわかります。

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本来はこの様に沖に出て戦闘もする予定だった(画像:パブリックドメイン)。

1877年の露土戦争で、同艦は実戦投入されますが、性能的に劣ると思われていたオスマン・トルコの艦艇に追いつくことができませんでした。皮肉にも、最初に軍艦保有制限をかいくぐるために主張したような「沿岸での浮き要塞」的な扱いとなり、ほとんど戦闘を行うこともなく戦争を終えます。

「ノヴゴロド」は、こうして「最悪の艦艇」のレッテルを貼られ、大きな活躍もないまま、1903年除籍となりました。しかし、現代の研究では、本来の使用目的である海岸防衛の軍艦としての方向性は間違っていなかったとして、再評価する声も上がっているようです。

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