日本にスピリチュアルな感性の広まりで、1990年代に関心が高まったもの/なぜ働いていると本が読めなくなるのか⑦

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)第7回【全8回】「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者の三宅香帆さんが、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿ります。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作品です。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

90年代は「そういうふうにできている」

 平成を代表する作家を挙げろと言われたら、私は彼女の名前を出すだろう。さくらももこ。──言わずと知れた国民的アニメ、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者だ。

 私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がる事ができなかった。便座と尻の間に吸盤がくっついているかと思うほど、立ち上がるのが困難であった。
 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便器に座り込んでこうしている間も、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。
(さくらももこ『そういうふうにできている』)

 1990年代の到来とともに、さくらももこの時代はやってきた。

 1990年(平成2年)に『ちびまる子ちゃん』がフジテレビ系でアニメ化され、主題歌「おどるポンポコリン」の作詞で第32回日本レコード大賞を受賞。1991年(平成3年)にエッセイ集『もものかんづめ』(集英社)を刊行し、ベストセラー2位となる(ちなみに1位は宮沢りえの写真集『Santa Fe』)。1992年(平成4年)には『さるのこしかけ』が年間3位、1993年(平成5年)に『たいのおかしら』が年間4位、1995年(平成7年)に『そういうふうにできている』が年間15位と、ベストセラー街道を突っ走った。

 ほとんど平成の幕開けとともにはじまったさくらももこの作家生活は、平成の終わりとともに、幕を閉じた。彼女のエッセイは、それまでの女性エッセイストと大きく異なり、読者を女性に限定しなかった。向田邦子や林真理子のエッセイの多くが女性読者をターゲットとし、自分のセンスや毒舌で読ませる一方、さくらももこは老若男女誰でも読めるエッセイを書き続けた。

 冒頭に引用した『そういうふうにできている』もまた、誰でも読めるエッセイのひとつだ。妊娠・出産という、ともすると女性読者向けに閉じそうな題材を、彼女は誰でも読める文章に開いた。それは女性エッセイストの歴史で見ても、真似できる人がほかにいない。

さくらももこと心理テストの時代

 しかし、さくらももこの文章を今読むと、なんだか奇妙だと思う点はある。そのうちのひとつが、どこかスピリチュアルな感性が当然のように挟まってくるところだ。

 私の意識が肉体からほんのわずかの距離に心地良く漂っている最中、遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を越えて地球にやってきた事を感じていた。生命は宇宙から来るのだとエネルギー全体で感じていた。
(同前)

 出産という非日常体験の記述ではあるのだが、「宇宙」という言葉がさらっと出てくるところに、いささか驚いてしまう。新しい生命、と、私、の間に、さらりと、宇宙、が登場する。さくらのスピリチュアル志向は、決して妊娠・出産にはじまったことではない。ほかのエッセイ集でも見られる。

 そしてもっと言えば、このような傾向は、さくらももこだけに限ったことではない。日本全体で、心への興味、その結果としての心霊現象への関心やスピリチュアル的な感覚が広まったのが1990年代前半だった。

 たとえば『パラサイト・イヴ』(瀬名秀明、角川書店)は、1995年に刊行されたベストセラー小説である。同書は、遺伝子「イヴ」が反乱を起こすというホラー小説なのだが、自分の身体や遺伝子が何か変なことを起こすのではないか?という自分の内面への懐疑が主題となっている。さらに『ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙』(ヨースタイン・ゴルデル著、池田香代子訳、NHK出版)も、同年刊行のベストセラー。内容は哲学史の入門書なのだが、この本が売れること自体、人々が哲学的な問い、つまりは自分の内面の探索に興味を持っていた証左だろう。

 臨床心理士の東畑開人は、90年代について以下のように述懐する。

「本当の自分とは何か?」とか「生きる意味とは何か?」とか「私とは何か?」という問いには魅力があって、人々は外界とはまた別の価値を内面に探し求めた。実際、当時は「自分探し」の旅に出ることにはカッコよさがあったし、テレビでは心理テストの番組が放送されることもあった。
 なにより臨床心理学は大人気だった。心の深層を語る本は一般書の棚でもよく売れていたし、事件が起こればメディアに臨床心理学者が呼ばれて「心の闇が」云々と語っていた。大学の心理学科は高倍率で、「臨床心理士」という資格もできた。心の仕事が少しずつ社会に広がっていった時期だった。
(『心はどこへ消えた?』)

 心理テストの番組が、テレビで放送されていた。これについて、雑誌も同様の傾向があったことを示したのは、社会学者の牧野智和である。

 牧野は雑誌「anan」(マガジンハウス)を分析し、1980年代後半〜90年代初頭に自分を心理学的に読み解くような、「心理チャート」が多く掲載されていたことを明らかにした(前掲『自己啓発の時代』)。自分を心理学で分析したり、あるいは分類したりするなかで、自分自身を探求するという試みが流行していた。

 しかしこのような「自己」を探求する傾向は、90年代後半に突如、変化を迎えた。

 ──90年代半ばを経て、〈内面〉の時代は、〈行動〉の時代に移行する。

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