「本を読まない人」に読書の楽しさを伝えるためには?文芸評論家・三宅香帆が「ゆる言語学ラジオ」の水野太貴と考える

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」……多くの現代人が抱えるこの悩みに、文芸評論家の三宅香帆氏が労働と読書の歴史をひもときながら向き合った新書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が刊行された。

本書の刊行を記念して、三宅氏と「ゆるく楽しく言語の話をする」人気YouTube番組「ゆる言語学ラジオ」の水野太貴氏が対談。1990年代生まれ、地方出身、本好き、という共通点がある2人が、本を読まない人への読書入り口の作り方を語り合う。《前後編の前編》

「本を読まない人」から見た「読書論」

水野 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』、とても興味深かったです。こうしたテーマだと、どうしても「本を読まない人はダメだ」という、読書家による「上から目線」の語り方に終始してしまうイメージがあります。でもこの本は、普段、本を読まない人の目線から書かれていて、そこが新鮮でしたね。

三宅 ありがとうございます。

水野 僕は、読書家が読書しない人を見下す態度が好きではないんですよ。本業が編集者でもあるので、そうした層にアプローチしないと、出版界の未来は明るくないと思っています。

三宅   読書が一部の好事家だけの趣味になってしまうと寂しいですよね。もっとたくさんの人に刺さるエンタメであってほしい、と私もどうしても思ってしまいます。以前会社員をしていたとき、心底それを感じました。たとえば会社の人との会話に「本屋大賞」や「直木賞」なんて言葉が出てくることはないけれど、『鬼滅の刃』とか『呪術廻戦』は出てくるんですよ……! 漫画はすごい。小説や新書もそうあってほしいです。それこそ、「ゆる言語学ラジオ」は会社員時代の上司が聞いていたんです。だからすごいなあ、と思っていました。
 

水野 おお、嬉しい。

三宅 今回の新書は、ある意味「ゆる言語学ラジオ」と似たようなことをやろうとしているのかもしれません。普段新書を手に取らない人にも、手に取ってほしいなあ、と。「本を熱心に読むわけではない人に本を届けるには、どうしたらいいんだろう?」と会社にいるときからずっと考えていたような気がします。

水野 そもそも、大人になって読書をしているかどうかは、育った環境にかなり左右されていると思います。働くようになってから気付いたのですが、仕事で疲れると、簡単な本しか読めなくなるんです。心も体も余裕がないと認知負荷が低いものしか摂取できなくなる。
だから、学生時代までに、ある程度本に読み慣れておかないと、社会人になってから読書を日常的に行うのはあまりに負荷が大きい。
でも、学生時代までに本を読んでいるかどうかは、家庭環境によってかなり決定されてしまいますよね。

三宅       すごくわかります。

水野   経済資本は、比較的後からでも取り戻しやすいんですが、いわゆる文化資本は不可逆な部分が大きい。そういう意味でも、「読書をしてない人は、人生の半分を損してるんだ」みたいな言説が、自分にはできないですね。

本を読まない人に向けて本を書くために

三宅   水野さんの問題意識、すごくよくわかります。私も本を書くとき、書評の本でも文章術の本でも古典文学についての本でも、いつも「久しぶりに本を読んだ人でも読めるような文体や内容にしよう」と思っているんです。

水野 たしかに、三宅さんの本はそうなっていますね。

三宅 「学生時代にはわりと本が好きだったのに、子育てや仕事が忙しくて最近は読めていない人」がいつも想定読者に入ってる、みたいな……。

水野  本が好きであればあるほど、本をあまり読まない人に届けるのが難しくなりますよね。自分の例で恐縮ですが、2023年の新書大賞になった『言語の本質』という本を僕が面白いと言ったから、母親が興味を持って買ったんです。でも、難しすぎて全くわからなかった、と。そうか、あれは難しいのか、と思いました。僕は感覚が狂ってきてるな、と思って。
そういう「普段はあまり本を読まない人」に向けて本を書くためのチューニングは、どのようにやられるんですか?
 

三宅   イメージとしては、「自分の祖母が読んでくれたら伝わるだろうか?」「地元の友達が読んだらどう感じるだろう?」などと考えるようにしていますね。祖母や地元の友人にも伝わる言葉を使おう、それくらい説明しよう、と意識してる感じです。
私の地元は高知で、同じ家族で育った弟や妹は本を読まないんです。母親はどちらかといえば本を読む人ではあったので家には本があって、読書環境には恵まれていたのですが、家族を含め周りの人がみんな本を読むわけではないので。そういう人と話しながらチューニングしてるのかも。

水野 とてもよくわかります。僕は愛知の出身ですが、父親だけがよく本を読む人でしたね。それ以外の家族はあまり読まない。名古屋大学の文学部に進学したんですが、そこでつるむ友達もほとんど本を読まなかった。社会人になって、東京に出て出版社に入ったら、こんなに本を読む人がいるんだと思って。東京に来たときのカルチャーショックは、ビルが高いとかよりも、「本を読む人がいる!」ということのほうが全然大きかった(笑)

三宅 わかる! 私も大学に行って初めて、本を読む人ってこの世にこんなにたくさんいるんだ! と驚きました。

文化資本を支えたインターネット

水野 センシティブな話ですが、この問題は、地方出身かそうではないかで問題の解像度が大きく変わると思います。東京のカルチャー畑にずっといると、この事実は見えにくいと思う。

三宅 私は、「東京に生まれて、学校の友達と本を貸し借りする」人生に昔は憧れてました(笑) 「私も東京に生まれていたら、高校生の時から友達とコミケに行きたかった!」みたいな。

水野 本当にそう思いますね。

三宅 社会学の議論から「文化資本」という言葉が最近は流行していますが、個人的にはそこで言われている文化って、ただ本や漫画を読んで情報摂取することだけを指しているわけではないと思うんです。たとえば作品を通してコミュニケーションして新しい作品を知る、あるいはたくさんの作品にアクセスするハードルが低いことそのもの、それが文化資本なのではないかと。そういう意味でネットが普及した現代でもやはり文化資本の地域差は存在しているのかなと思います。私はかなり恵まれていたので、自分が恵まれていなかったと言いたいわけではないのですが。
私の場合、周りの人とは本の話ができなくてもインターネットで読書ブログを更新するお姉さんが、ブログでいろんな本を教えてくれていたんですよ。東京の女子校に通うお姉さんでしたが、中1からずっとその方のブログを読んでいた影響がすごく大きい。

水野 早熟ですね(笑)
 

三宅   インターネットが友達だった(笑) そのお姉さんが、恩田陸や氷室冴子、はやみねかおるなど、いろいろな作家のことをブログに書いてくれていたんです。そこで紹介されているものを図書館で借りて読む生活をずっとしてたなあ。本やインターネットって、地方にも届くじゃないですか! 本当にありがたかった。

水野 最高ですね。僕もインターネットはそこそこやっていて、そこで神聖視されている作品から、いろんな作品の知識を得ましたね。当時、2ちゃんねるではみんな『寄生獣』を褒めていたし、あとは『ベルセルク』とか、ネットでしか知ることのできない作品がたくさん紹介されてましたね。
あと、個人的には、『世にも奇妙な物語』の話が全部一覧になってるサイトで、その原作を書いている作家の本を片っ端から読んでいた(笑)

三宅 すごい(笑)

インフラとしてのブックオフ

水野 そうやって読んでいくと、最初は星新一や小松左京から入って、だんだんと1980~90年代のSFを読みたくなってくるんです。でも、新刊本でないので、本屋にはない。注文を入れても版元にないと言われ、そうすると、ブックオフの出番になる。

三宅   ブックオフ、偉大ですよねえ。

水野   そうなんです。車で1時間圏内のブックオフを調べつくして、SF好きのおじさんが近所に住んでいる店舗を把握したりしてましたね。そういう地域のお店は、やけにSF小説の在庫が充実してるんですよ(笑)

三宅   うわ、高校生の時に私も『風光る』という長い漫画を集めていたとき、「近くのブックオフには途中までしかないから!」と親に言って、車で40分かかる大きいブックオフに連れていってもらって買いました!

水野   小学校の頃とか、休日は親がテレビを見てると、電源を勝手に消してブックオフに連れて行くようねだるっていう(笑)

三宅   私も小学生時代、夏休みに開店と同時にブックオフに行きまくっていたら、待ち時間が暇すぎて、同じく開店を待っていたであろう男の子と話してましたね……
 

水野   最高ですね。ブックオフに友達がいるっていう。

三宅   友達にはならないんです(笑) 開店したらそのまま違うコーナーに行くから。

水野   (笑) 「ゆる言語学ラジオ」を一緒にやっている堀元(見)さんも、札幌のブックオフにだいぶお世話になったらしいです。

三宅   私たちと同世代の地方出身って、かなりブックオフにお世話になっていますよね。その貢献度、本当にすごい。

水野   まさにインフラですよね。

三宅   私たちの世代の書き手にとって、ブックオフは上の世代の方々が思うよりずっと大きい影響力があったのではないでしょうか。

もう一人の自分に向かって書く

三宅 十代の自分は地方にいたけれど、インターネットにいたお姉さんや、ブックオフと出会えたからこそ、読書という趣味を楽しむことができた。そんな感覚があるんです。
 だから、今度は自分がそういう存在になれたらいいな、という気持ちがあって、本を書いていますね。

水野 なるほどなるほど。

三宅 なんとなく何かを書くとき、「今みたいにならなかった自分」に向けて書いているような側面もあります。自分の中に、もう一人の「if三宅香帆」がいる、みたいな。そのif自分は高知にいて、文化系の仕事はしていない。でも本を読むのは好きでインターネットは見ていて……。そんな「もしも」の世界線にいるかもしれない「if三宅香帆」も楽しく生きられる社会だといいなーと思って本を書いている気もします。

水野   三宅さんの著書は「if三宅香帆」に対して書いているということですか。

三宅   そういうところもちょっとありますね。

水野   そう考えると面白いですね。もしかすると、自分が「ゆる言語学ラジオ」をやっているのも、そういう感覚なのかもしれないです。
 僕が進学した名古屋大学は、多くの人がトヨタ系の会社をはじめとする地元のメーカーに就職していくので、もしかしたら自分もそうなっていたのかもしれない。その自分でも「ゆる言語学ラジオ」は楽しめるように作ってる。番組のコンセプトは「高校生の自分に聞かせたい」としているので、そういう意味では三宅さんと同じ感覚なのかもしれないですね。

取材・構成:谷頭和希 撮影:内藤サトル

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅 香帆

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

2024年4月17日発売
1,100円(税込)
新書判/288ページ
ISBN: 978-4-08-721312-6
【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。 自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは? 
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章   労働と読書は両立しない?
第一章  労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章  「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章  戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中 第四章  
「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章  司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章  女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章  行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章  仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章  読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章  「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

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