1970年代、司馬遼太郎にハマるビジネスマンが続出したのはなぜ?/なぜ働いていると本が読めなくなるのか⑤

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)第5回【全8回】「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者の三宅香帆さんが、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿ります。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作品です。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

なぜみんな『坂の上の雲』を買ったのだろう?

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

 ──その文章が掲載されたのは、昭和43年、1968年4月22日の「産経新聞」夕刊だった。

 言うまでもなく、タイトルは『坂の上の雲』である。明治維新を経た日本が、近代国家として日露戦争に向かっていった時代。その歴史を生きた3人の男を主人公に据え、明治時代の日本を描いた物語だ。

『坂の上の雲』というタイトルからも分かるとおり、この物語の主軸は、「意気揚々と坂をのぼっていくことができた」時代のロマンチシズムにある。

仙波にいわせれば、平民の子でも刻苦勉励すれば立身することができる、これは御一新のおかげであり、この国をまもるためには命をすてる、といった。
 立身出世主義ということが、この時代のすべての青年をうごかしている。個人の栄達が国家の利益に合致するという点でたれひとり疑わぬ時代であり、この点では、日本の歴史のなかでもめずらしい時期だったといえる。
(司馬遼太郎『坂の上の雲』)

 そう、立身出世の時代の物語だったのだ。

 たしかに明治時代といえば、本書でも見てきたとおり『西国立志編』── “Self-Help” が流行し、立身出世が叫ばれたはじめての時代だった。日本の自己啓発の源流、「仰げば尊し」の世界観である。『坂の上の雲』が舞台としたのは、まさしく「坂の上をみつめ、坂をのぼってゆく」明治時代だった。

 文庫版『坂の上の雲』がベストセラーとなったのは1970年代。

 高度経済成長期を終わらせたと言われるオイルショックの最中、文庫創刊が相次ぎ、さらにテレビという新しい娯楽が影響力を持っていた時代のことである。

司馬作品の魅力の源泉

 司馬遼太郎は、当時のサラリーマンたちに愛された作家だった。司馬作品の受容を研究した福間良明は、1970年代の司馬作品の読者層について、「司馬作品は(それまでの主婦層や若い青年層に愛されたベストセラー作品と異なり)ビジネスマンに偏って読まれていた」ことを指摘する。司馬作品に挿入される「教養」が読み込まれた結果として、70年代ビジネスマンに広く受容されたのだ。

 司馬作品は、ビジネスの短期的・中期的な実利に直結するものとして読まれたのではない。あくまで「歴史という教養」を通した「人格陶冶」が、読書を通して模索された。そこには、ビジネス教養主義とでもいうべきものが、浮かび上がっていた。
(『司馬遼太郎の時代―歴史と大衆教養主義』)

 たしかに福間が指摘するとおり、当時のビジネスマンにとってある種の手軽な教養主義──つまり「歴史という教養を学ぶことで、ビジネスマンとしても人間としても、優れた存在にのし上がることができる」という感覚──の帰結が、司馬遼太郎だったという面もあるだろう。だが一方で、たとえば冒頭に引用した『坂の上の雲』はかなり長い作品である。文庫本で全8巻もある超大作だ。この長い作品を、単なる「歴史豆知識本」として読むことができるだろうか?

 司馬作品が読まれたのは、本当にその教養主義の香りによるものだけだったのか。司馬作品にしばしば見られる、「乱世に活躍する人物」というヒーロー像への陶酔は存在しなかったのだろうか。

 70年代を生きた日本のサラリーマンにとって、「司馬遼太郎を読む」という体験は、いかなるものだったのだろう?

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