『源氏物語』最終盤に登場、田舎育ちで有力な後見もいなかった「浮舟」。自主的に<出家の道>を選んだ浮舟に紫式部はどんなメッセージを込めたのか

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大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回、『源氏物語』の登場人物のひとり「浮舟」について、『女たちの平安後期』の著者で日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。

次回の『光る君へ』あらすじ。一条天皇が体調を崩したことで次期皇位を巡る動きが加速。天皇の容態を心配する彰子は、父の道長に対し…<ネタバレあり>

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存在感を増す「光る君の物語」

引き続きまひろが藤壺にて執筆に励む「光る君の物語」。その存在感は宮中でますます増しているようです。

前回のドラマ中で、敦康親王が「光る君が、義母に想いを寄せて不義密通に走った」というストーリーに影響されているのでは、と懸念を抱いた道長。

その結果として、まひろに苦情を伝えるまでになっていました。

今回はその『源氏物語』の最終盤を彩る姫君、「浮舟」について深掘りしていきたいと思います。

隠れて育った姫「浮舟」

『源氏物語』には、なぜか「隠れて育った」姫君がしばしば登場します。

『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

兵部卿宮の姫なのに鞍馬に隠れ育った若紫、二代ほど前は大臣だった家筋だったのに明石で育った明石の上、左大臣家の隠し子として生まれ九州で育った玉鬘などが代表的なところです。

逆境の中で主人公たちに見出され、愛される。そんな波乱に富んだ運命が読者を惹きつけるのかもしれません。しかし、玉鬘の姉妹で礼儀も常識もなってなかった近江の君のような失敗キャラもいるのが彼女らの面白い所です。

さて、前回の連載でも触れた『源氏物語』最後の十帖、通称「宇治十帖」。その中に出てくる「隠れて育った姫」が浮舟です。

母は宇治八の宮に仕えた女房の中将の君(正妻である大君・中君の母の姪)ですが、彼女が常陸介と結婚したことで、連れ子として常陸国で育ちます。しかし養父とはうまくいかず、異母姉の中君の元に引き取られることに。

この頃中君は、光源氏の次世代主人公の一人である匂宮に引き取られ、京の匂の邸にいました。

匂は夕霧の姫(つまり従姉妹)の六の君にいやいや婿取られます。しかし逢ってみると姫は流石に源氏の孫。大変魅力的で、自邸に帰らなくなります。

一方、もう一人の次世代主人公・薫は、これも美形の誉れ高い帝の女二宮の婿になります。

そのうえで、匂の子を宿して不安な日々を送る中君を後見人として見舞い、話し相手をしているうちに、八の宮に長く仕えた弁の尼から、浮舟の存在を耳にします。

そして彼女が長谷寺への参詣の帰り道、宇治の邸に泊まったのを垣間見して、大君によく似ていることに気がつきます。一方浮舟は中君に引き取られるのですが、その結果、匂も彼女に気づくことになりました。

こうして浮舟は薫と匂、二人の恋人となってしまいますが……この関係性、既に物語に登場している誰かに似ていませんか?

『源氏物語』は最後になって女性たちをよりリアルに描き始めた

私は、光源氏と頭中将の両者の恋人になっていた夕顔を思い出します。

夕顔は三位中将の娘でしたが、後見をなくして大貴族の正妻にはなれない立場の女性として現れます。浮舟もまた、女王ではありますが、父の八の宮に認知されたわけでもなく、しかも有力な後見はいません。

こういう立場の女性は宮仕えでもしない限り、有力貴族をパトロンに持つのが最も通常のパターンだったようです。

しかし、有力な後見がいないうえに田舎育ち、という浮舟の過去は、決して魅力的なものではありませんでした。そして薫には女二宮、匂には夕霧の六の君という正妻がすでにいるのです。

どうも浮舟は、薫からは“青春の思い出の大君のダミー”、匂からは“側室の中君のおまけ”と見なされていたふしがあります。だから薫も正妻の女二宮に、平気で彼女のことを打ち明けるのです。

そして彼女は、その通称のように、男の間を漂う浮舟のような生き方しかできなかった(ちなみに「浮舟」は、後世に読者がつけた名です)。

しかし、最初に述べた「隠れて育った姫」の立場は、じつはみんな浮舟と同様のものでした。

強い後見や財産を持たない女性は、貴族や皇族でも実は儚い存在なのだ、ということを『源氏物語』は最後になってリアルに描き始めたのです。

追い詰められた浮舟は…

こうした立場に追い詰められたのは浮舟本人でした。

生真面目な薫も情熱的な匂も、結局彼女のために生きる男ではないということに気がついてしまいます。そして浮舟は、匂に囲われていた宇治の山荘から失踪してしまうのです。

浮舟の失踪は、薫にも匂宮にとっても大事件ではありましたが、しょせんは少し目をかけた田舎娘のこと、という程度の扱いに。遺体のない葬儀を終えると、やがて恋多き日常の中で忘れられていきます。

しかし浮舟本人はずっと生きていたのです。

彼女は横川僧正という徳の高い僧に救われ、比叡山の麓の小野に隠れ住んで、手習の日々を送りながら、初めて自分に向き合うことができたのです。

浮舟が生きていることを知った薫の説得にも耳を貸すことなく、彼女は自主的に出家の道を選びます。

こうして、恋愛物語としての「宇治十帖」は川霧に消えゆくように終わっていくのです。

紫式部にとっての宇治川

今、観光客で賑わう宇治は宇治川沿いのそれなりに広い所です。

しかし『源氏物語』が書かれた頃には、今のJR奈良線が南北に走っているあたりからは、宇治川と桂川と木津川が合流するあたりに広がっていた巨大な遊水池、巨椋池の東岸になっていました。

つまり当時の宇治川は、平地に出てから約2キロ、平等院から約1キロほどで巨椋池に注ぎ込むかなり短い川で、水量が多く、流れも早い川でした。

浮舟が失踪してもすぐに捜索を諦められてしまったのはそういう環境だからだと思います。

(写真:stock.adobe.com)

『源氏物語』最後の隠れて育った姫、浮舟。そして最後の地を流れる宇治川。

浮舟を通じて貴族社会を冷静に観察しようとした紫式部の目に、宇治川は現世への執着を断ち切る「三途の川」のように映っていたのかもしれません。

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