本郷和人『光る君へ』安倍晴明が兼家をおはらいするも効果なし。道長もあの病で目をやられ…平均寿命が35歳に届かないのも当然な<平安貴族の医療事情>
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。第八話は「招かれざる者」。倫子(黒木華さん)たちの間では、打きゅうの話題で持ち切り。しかし斉信(金田哲さん)らの心無いことばを聞いたまひろ(吉高由里子さん)は心中穏やかでなく――といった話が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。今回は「平安貴族の医療事情」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
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平安貴族の平均寿命
前話では、宮中で藤原兼家(段田安則さん)が倒れ、道長(柄本佑さん)ら兄弟が看病にあたるというシーンが描かれました。また、その快癒を祈り、安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)らによるおはらいも行われました。
あくまで、ドラマ内での兼家の健康状態が今後どうなるかはわかりませんが、実際の兼家は60代で亡くなったとされています。
これは、平安貴族としてはなかなか長寿だったと言えるでしょう。
きちんとしたデータがあるわけではないのでよく分かりませんが、平安貴族の平均寿命は30歳とちょっと、と言われます。少なくとも、35歳には届かない。
脚気と糖尿病で苦しむ人が多かったワケ
これはなぜかというと、まず幼児死亡率が高いこと。それから、食生活が宜しくなかったようですね。
平安貴族の食事は、けっこうタブーでしばられていた。その一番良い例が肉です。
牛や豚は食べない。食べたとして鳥のみ。それに新鮮な野菜も食べられなかったらしい。その状況で、糖分の高い濁り酒(清酒は戦国時代くらいから)をたくさん飲む。
結果、脚気と糖尿病で苦しむ人が多かった。
道長も例外ではなく
藤原家の全盛時代を現出した『光る君へ』のメインキャラクター、藤原道長。
実は彼も糖尿病(当時の言葉だと飲水病)だったと推測されます。
糖尿になると、腎臓とか目をやられる。だから晩年の道長はあまりよく目が見えなかった。
彼の有名な歌に「この世をば我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」というものがあります。
実は「欠けたることもなしと思えば=欠けてるかどうか本当はよく見えないや」ではないか、と医師である馬淵まりさんも言ってらっしゃいます。
医者もいたけれど
現代において病気になったら、たいていはお医者さんの力を借りることになると思いますが、平安時代にも医者はいました。
医師(くすし)は、律令制下の日本における典薬寮の職員で、従七位下相当。定員10名。
医師希望の者は、13-16歳位で医生として典薬寮に入学。教養課程2年及び専門課程(内科7年、外科5年など)を経たのち、卒業試験と任官試験を受けて合格して朝廷専属の医者になります。
実態はよく分かりませんが、経験則に基づいて薬草の調合をやっていたのだと考えられます。
ただし当時、えらい人の調子が悪くなれば、お医者さん以上にお坊さんが活躍します。お坊さんに「加持・祈祷」をしてもらって、まずは病魔の退散を祈るわけです。
まあ、それでは治りません。というわけで、平安貴族の平均寿命は短かったのですね。
※本稿は、『応天の門』(新潮社)に掲載されたコラムの一部を再編集したものです。
02/26 12:30
婦人公論.jp