官僚志望者はもはや「東大生の数」を議論するレベルではないほど減少…「霞が関を変えれば日本は変わる」との熱気が生んだ<公務員バッシング>が招いたもの

(写真提供:Photo AC)
2023年春の国家公務員採用総合職試験で、減少傾向にあった東大生の合格者がついに200人を割り、話題になりました(数字は人事院発表)。一方、元労働省キャリアで公務員制度改革に関わってきた行政学者・中野雅至さんは「90年代以降の行政改革の結果、官僚は政治を動かすスーパーエリートと、下請け仕事にあくせくするロボットに二極化。その結果が東大生の”官僚離れ”を招いた」と主張します。今回その中野さんの新刊『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』より一部を紹介。”嵐”の改革30年間を経た官僚の現状に迫ります。

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【図】国家公務員試験(国家公務員I種及び総合職試験)受験者数推移。かなりの勢いで減り続けていることが分かる

官僚の世界で出身中高を尋ねるのがスタンダードになっていた理由

2024年現在、官僚人気は風前の灯火。東大生の霞が関離れが顕著になっている。その一方で、これまでキャリア官僚とは縁遠かった私立大学出身者が増えている。

筆者は、「MARCHなどの私立大学出身者が増えている傾向をどう思うか」とマスコミから取材を受けたことがある。

おそらく、記者の意図は、東大生=官僚の構図が崩れれば、それはエリートではなくなるのではないか……と筆者に言わせたかったのだろう。

実は、筆者は同志社大学出身の元キャリア官僚である。1990年に旧労働省に入省した。

当時は、財務、経産、外務の御三家と呼ばれるような人気官庁に比べて、不人気極まりない旧労働省でさえ、同志社大学出身者は筆者以外にはいなかった。基本的には東京大学出身者の世界であって、「奈良県出身です」というと、「東大寺学園ですか?」と聞かれたりした。

官僚の世界では出身中高を尋ねるのがスタンダードなのだった。

官僚の不人気を作り出したものは何か

そういう図式から言えば、東大出身者が減っているということは、もはやキャリア官僚はエリートではないと言えるのかもしれないが、東大生でも非東大生でも、一定の競争率が担保されていれば(試験の中身そのものの難易度は変わらないという前提で)、優秀性は変わらないはずだ。この点を検証してみよう。

図表1-1を見てもらえれば明らかなように東大生か非東大生かにかかわらず、官僚志願者は激減している。人口減少のスピードをはるかに上回っており、もはや、東大生が集まらなくなったかどうかを議論するレベルではなくなっていることがわかるだろう。

それでは、官僚の不人気を作り出したものは何か?

その一つの要因は、間違いなく、90年代半ばから始まった一連の行革である。

熱気や狂気が生み出した「公務員バッシング」

今から30年近く前に進められた行政改革は、肥大化した組織をスリムにしようとか、増えすぎた公務員を減らそうといった単純なものではなかった。

誤解を恐れずに言えば、霞が関や官僚を徹底的に変えようとするものだった。

『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』 (著:中野雅至/中公新書ラクレ)

今から思い起こせば、半ば狂信的な要素もあったし、当時は「霞が関を変えれば日本は変わる」「財務省を潰せば日本経済は復活する」という、今の日本には存在しない妙な熱気が世間を徘徊していた。

熱気や狂気は改革の推進力ではあったが、それが公務員バッシングにつながったことも事実だった。

「税金で食っている」という批判に辟易して

筆者自身、「税金で食っている」という批判には辟易して、結局、それも一因で官僚を辞めた。

給料は労働の対価だ。それにもかかわらず、日本ではとにかく税金が投入されているだけで、異様なくらいにケチをつけられる。

これはおそらく「税はとられるもの」「悪代官が税金を搾取している」という価値観が抜けきらないからだが、いずれにしろ、行政改革には霞が関の再生という崇高な目的と、熱気と狂気が混在して混沌としていた。

※本稿は、『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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