芸どころ名古屋なのに… シン・中日ビルにはなぜ“中日劇場”がないのか? 利用客からは「残念」の声も 担当者に聞いた

4月23日に全館オープンした「中日ビル」。

24日も多くの人で賑わっていますが、かつてのビルに入っていた「中日劇場」を惜しむ声も少なくありません…「中日劇場」がなくなったワケとは?

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全館オープン翌日の24日も多くの人で賑わう中日ビル。

低層部には主に商業施設、中層部はオフィス、高層部にはホテルが入り、3分の1が名古屋初出店の93テナントが大集合。

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(来店客)
「聞いたことのないお店がいっぱい入っているので、すごく楽しみです」
「前よりも明るくなった。おしゃれになりましたね」

一方でこんな声も…

CBC

(来店客)
「一番惜しいのは、劇場がなくなったこと」

新中日ビルの記事にも…

「中日劇場を作らなかったことがとても残念に思います」
「劇場無くなったんですね、残念」

かつてのビルにあった「中日劇場」を惜しむコメントに、共感の声も少なくありません。

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1966年、旧・中日ビルと共に誕生した中日劇場。

約1400の客席数を誇り、御園座、名鉄ホールと並ぶ「名古屋三座」と呼ばれ、演劇やミュージカル、歌舞伎などの公演を行ってきました。

多くの人に愛された劇場は、なぜなくなってしまったのか…中日ビルの担当者を直撃しました。

「一度も黒字になったことはなかった…」 “事業性の低さ”が理由だった

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(中部日本ビルディング 市村俊光取締役)
「閉館の時にも『中日劇場はまた入るんですよね』という問い合わせはかなりありました」

名古屋の文化発展のため、残したいとの声もあったと言いますが…

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(中部日本ビルディング 市村俊光取締役)
Qできれば残したいという思いはあった?
「そうですね。ただ今の時代に合っているかどうかというところを考えたときに、専用劇場としては向こう50年60年やっていくのは、非常に事業性も含めて大変だろうな」

中日劇場が残らなかった一番の理由は「事業性」。

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(中部日本ビルディング市村俊光取締役)
「(閉館)当時の中日新聞社の専務が記者会見で言ったのは『中日劇場は一度も黒字になったことはなかった』。うそではないと思うが、事業性としては非常に低い事業ではあった」

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事業性の低さから「中日劇場」はエンタメ1本の営業を改め、セミナーや会議、展示会など多目的に活用できる「中日ホール」として生まれ変わりました。

(中部日本ビルディング 市村俊光取締役)
「中日劇場ではできなかったものが中日ホールではできることもあるので、皆さんから惜しんでいただく声はありますが、ご理解いただいてまた末永くご利用いただければと思います」

できる演目は限られますが、演劇やコンサートをできる設備も整えています。

エンタメを愛する魂は、新しい中日ホールにも宿っているのです。

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