子どもの手を引き、高台へ【逃げる技術!第8回 防災編① 】津波から逃げる
子どもの手を引き、高台へ【逃げる技術!第8回 防災編① 】津波から逃げる
今回は、藤井さんが今年1月1日の能登半島地震で被災した体験を基に、津波から子連れで逃げるときに得た気づきをお届けします。
イラスト/藤井セイラ 監修/太田啓子弁護士(湘南合同法律事務所)
能登半島地震で被災された方にお見舞い申し上げます。
1月1日、わたしは実家のある富山に帰省しており、津波警報を聞いて高台まで走って逃げました。子どもと避難所で一晩を過ごして、あらためて「災害に備えて必要なこと、もの」について考えました。
今月は2回にわたって番外編として、防災という意味での「逃げる技術」を書かせていただこうと思います。なおこちらは、個人的な体験をもとにしており、避難の仕方は場所や震度、状況によって異なりますので、あくまでもご参考としてお読みください。
小さな揺れがあって、その4分後に震度5強が
2024年1月1日、わたしのいた地点は、16時10分の本震では最大震度5強(能登は震度7)でした。その直前、16時6分に震度3(能登は震度5強)の地震があったのです。
わたしの場合は、最初の1回でかえって油断してしまいました。最初の揺れは、壁のカレンダーなどは揺れるものの、平気で立っていられる程度。そのときは5歳、8歳の子どもたちと一緒に、絵本を読むために寝室にいたのです。
5歳の娘がこわがったので、わざと「大丈夫。すぐ終わったよ」「富山で地震なんてめずらしいね」と軽口をたたいてしまいました。わたしが軽く話すのを聞いて、8歳の娘は「わたし、おやつ食べてくるね!」とリビングへいってしまいました。その結果、長女は本震をひとりで迎えることになります。
今は、地震のあとは、特に用事がなければ、子どもと一緒にいてやるようにしよう、と考えています。子どもへの声かけも、いたずらにこわがらせるのはよくありませんが、「大丈夫。もう終わったよ」ではなく、今後は「余震がくることもあるよ。気をつけようね」「ヘルメット取ってきておこうか?」などにしよう、と思っています 。
小さな揺れのあとに本震がくることも。油断しないで。
「地震はこない」とお年寄りは話していた
本震の震度5強は、富山では体験したことのない大きさでした。日本列島はプレートの境目にあり、この国に地震のない場所などないのだと頭ではわかっていましたが、「富山にゃ大きい地震はこんがや(富山にはこないのだ)」「立山が守っとる!(霊峰立山連峰のご加護だ)」とお年寄りが冗談まじりにいうのを、小さな頃から聞いて育ってきました。
ところが元日夕方のその地震は激しいものでした。巨人が家をつかんで横に揺さぶっているようです。我が家は木造です。和室を構成する障子や梁の端正な縦横の線が、そのときはコンニャクのようにゆがんで見え、ミシミシ、キュッキュと木材のきしむ音がします。報道で確認すると40秒間ほど揺れが続いていたようですが、体感的にはもっと長く感じました。
部屋には母の嫁入り道具の重たい鏡台があったので、それが飛ばないか気になって注視していました(終わってから見ると15センチほど前進していました)。頭を守るものが他にないので、5歳と一緒に布団をかぶりました。
震度5強のこの揺れなら、死ぬことはないとわかった
ただ、これは2011年3月11日の東日本大震災のときに、東京・有楽町で体験したのと同じ震度でした。そこで「この揺れの強さならおそらく直接生死には関わることはないだろう」と思えたため、比較的落ち着いていられました。揺れているあいだずっと、子どもには「大丈夫、大丈夫。お母さんいるから絶対に大丈夫だよ」と話しかけていました。
日本では、震度5強の地震が1回だけなら、耐震基準を満たした建物であれば倒壊するようなことはあまり考えにくいのですが、本棚や食器棚、石油ストーブなどの火のそばは危険です。また 屋外では、石灯籠や石塀が倒れて下敷きになるおそれもあります。そういったものがあればすぐさま離れて、頭を守れる場所に移動するのがよいでしょう。
写真はわたしが高校生のときまで使っていた部屋です。本棚が倒れました。リビングとキッチンは食器、陶器の置物、写真立てなどが散乱し、割れ物だらけになりました。
本棚には、上部つっぱり棒をかませる、壁に打ち付けて固定をする、などの対策がおすすめです。なるべく重いものは下に、軽いものは上に収納を。
外では向かいの家の石塀が全壊に近い状態になっており、かなり様子が変わってしまっていました。翌日以降、石灯籠や石塀が崩れているのをあちこちで見かけました。
まずは頭を守る。石塀などの倒れそうな重量物、また火気からは離れて。
テーブルの下にもぐるだけでなく、脚を押さえる
地震発生当時、8歳の娘は一人でリビングルームにいました。ガラスや陶器の破片が散乱していましたが、どこも怪我をせず、無事でした。
「地震だと思ってすぐダイニングテーブルの下に入ったんだよ。テーブルの脚をつかんで、テーブルが倒れないように支えたんだ。そうやって学校で習ったの」と後日、娘は話してくれました。 この記事を書く上で調べてみますと、東京消防庁のホームページでも、「机などの脚をしっかりと握りましょう」と書かれていました。
また、もちろん、机やテーブルに入ることだけが最適解ではなく、最近の防災教育では、①8秒以内に安全そうな場所を見つける(素早く=うさぎさん)②そこに移動する(走る=ねずみさん)③身を守る(かめさん)といった教え方もされているそうです。
最初の揺れで安全そうな場所を素早く見つけ、そこに移動して、身を守る。
テーブルの下にもぐったときは、テーブルの脚をつかんで支える。
避難訓練の通りに行動した子どもたち
今回、学校や園の避難訓練に対して感謝の念が湧きました。春に担任の先生が変わったときの娘の話を覚えています。「あのね、◯◯先生はとっても優しいんだよ。でも、避難訓練でふざけるのだけは怒るんだよ」
まじめな避難訓練のおかげで、長女は一人ぼっちでもすぐさまテーブルの下に入り、揺れが止まるまではその場から動きませんでした。次女も布団にもぐって「カメさん」のポーズをとり、母親が離れても動かずに頭を守っていました。園の訓練では、「カメさんのように頭を守ろうね」といわれているようです。
この表現は全国のいろんな園で使われているようですので、1歳から6歳くらいのお子さんと避難の話をされるときは、この言い方をすると伝わりやすいかもしれません。
本当に、子どもにとって「真剣に訓練をする」ということはとても大切なのだとわかりました(3学期が始まってから、先生方にお礼をお伝えしました)。身体にその瞬間にすべきことを覚えさせておくことは、とても重要です。今度、わたしも自治体の避難訓練があったらぜひ子どもたちと参加しよう、と考えています。
避難場所がどこかということだけでなく、町内や学校にどんな備蓄品があり、何がないのか、避難所の鍵は誰が持っていて、どこで管理されているのかなど、知っておくべきことがたくさんあるのだと、今回、身にしみてわかりました。
防災訓練は災害時に生きます。避難場所、自治体の備蓄、近所のキーパーソンなどを知るためにも、地域の避難訓練もチェック!
鳴り出した津波警報
揺れがおさまって「よかった」と思ったそのとき、ヴーンヴーンとスマホから大きな警報音が流れました。「津波警報、津波警報」。数十秒置いて、外の防災サイレンからも音が出ました。我が家は川の河口付近にあり、海抜もたった3メートルです。あぶない、とわかりました。
「逃げるよ! 上着だけ着て! 靴履いて!」
と子どもたちにいいました。2人ともぴたっと静かになりました。
玄関で父に「どこに逃げたらいい?」と聞くと「◯◯台や!」といわれました。すぐに逃げる先が確定したのは、非常によかったです。
「大丈夫! ちゃんと靴履いて。お母さん待ってるよ。上着も前しめて!」と子どもたちに声をかけて、わたしは玄関口で2人が靴を履くのを確認してました。子どもですので大人より時間がかかりますが、上着や靴の着方がよくないと転びやすくなるので、しっかり履かせました。
・避難の際は、脱げないように靴をしっかり履く。底が厚いと安心。
・赤ちゃん連れで避難するときは、抱っこ紐を忘れずに。
・ケガ予防や寒さ対策のために、上着を忘れずに。長ズボンがベター。
なお、避難の際に靴や上着にこだわるべきかどうかは、個別の状況(海岸からの近さ、揺れの大きさ、自分1人かどうかなど)によるでしょう。今回、この記事を書くにあたって内閣府の防災情報ページを調べますと、「津波のとき『靴を履いて逃げる』余裕などは、まず、ないと思うべきである」と書かれており、靴を履いている場合ではなく裸足で逃げるのだ、とありました。ただしこの記述は2004年とやや出典が古く、さらに過去のエピソードを元にしているようです。
比較的新しい、NHK高知の防災情報ページでは避難時の服装として「底の厚い靴・・・ガラスの破片などによるけがを防ぐ」と靴を履く前提となっており、それも底の厚い靴を推奨しています。
ケガを防ぐ意味でも、上着(はっ水加工がベター)を着る、夏でも長袖・長ズボンで逃げることがすすめられています。時間的に余裕があれば、身体をなるべく覆うことで、より安全性が高まるようです。
春夏でも、ウィンドブレーカーなど長袖を羽織って逃げれば、ケガ防止になる。玄関(できれば枕元や会社のデスクにも)にスニーカーと羽織物を常備しておくと安心。
家族バラバラにでも、逃げる
家の玄関を出ると、母から「車に乗る?」と聞かれました。しかし東日本大震災のときに道が渋滞したという話が頭をよぎったこと、自動車だと少しだけ遠回りになること、またチャイルドシートの着用に時間を取られるのが嫌だったので、「走るわ!」といって、8歳を自分の前に走らせ、5歳の手は引いて、高台の上まで走りました。
両親はしっかりしており、二人だけで逃げることができますから、家族全員そろって逃げる必要はありません。わたしは子ども二人を連れていく必要があります。とにかく準備のできた人からスタートしました。「津波てんでんこ」 という東北の言葉を東日本大震災のあとで聞きましたが、後日落ち着いてから、ああ、あれはこういう意味だったのだ、と実感しました。
津波警報が出たら、「津波てんでんこ」の精神で、準備のできた人から逃げる。
その後、子ども達と徒歩で高さ20メートル弱までのぼったところで、両親の車と合流しました。そこからは乗せてもらって、高さ30メートル超の地点まで移動しました。本震が16時10分、津波警報発令が16時12分、避難完了までおそらく5分弱だったと思います。
というのは、スマホで改めて確認すると、少し気持ちが落ち着いて、東京にいるきょうだいに報告のLINEメッセージを送った時刻が16時18分だったからです。他にも次々と車がのぼってきて6〜7台がそのあたりに止まっていました。
あとでGoogleマップで調べると、避難した場所までは、自宅から距離にして750メートルでした(高低差含まず)。これまでは高低差ばかり意識していたのですが、今回の津波が石川の早かった地点では約1分後、富山では約4分後に沿岸部まで到達していたということを聞いて、今後は避難先まで、歩くと何分かかるのか、車だと何分かかるのかといったことも知っておいたほうがよい、と思いました。
自宅、実家、また会社や学校など普段よくいく場所の「海抜」を知っていますか? また、その場所からいち早くいける高台がどこなのか、自治体のハザードマップで確認を。
今回は、津波警報を受けて逃げたことについて書きました。次回は、防災のために普段の荷物に入れておいて役立ったものなどについてご紹介したいと思います。
最後になりますが、一刻も早く被災された方の生活が復旧されますようお祈り申し上げます。
当連載は毎月第1、第3月曜更新です。次回は2月19日(月)公開予定です。
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