安室奈美恵 歌い踊り続けた25年~ヒットへの道のり~
09/05 14:00 au Webポータル
「皆さんの素晴らしい毎日の中に、素晴らしい音楽が常にあふれているよう、常に心からそう願っています」。安室奈美恵はラストツアーで、ファンに向けてこう語った。ファンはみな、この言葉を反すうさせていることだろう。自らの言葉で、直接メッセージを送ることは数少ない出来事だったから。安室は最後の東京ドームを噛みしめるようにパフォーマンスし、当日会場にいた約5万人を魅了した。その曲の多くが時代を彩った名曲で、もし初めて見た人がいたならば、とても引退を間近に控えるアーティストとは思えない輝きだったことだろう。筆者も昨年の9月20日までは、彼女の活躍を見られる時間がまだまだたくさんあると思っていた。
スター歌手のはじまり
アーティスト安室奈美恵のスタートは、地元沖縄にあるスクールだった。安室は『Hulu』のインタビューで当時を振り返る。「スクールの看板が大きくパーンと出てたときに、歌手、女優、ダンスみたいなことを書いてた記憶があるんですけど、”いやぁ、この3つの中だったら女優でしょ”って思って(笑い)」。しかし、演技レッスンで恥ずかしさを感じたことで、女優は向いてないと思ったという。このとき安室は小学生4年生。客観的に自分を見極め、選択することができるのには驚きだ。
92年9月16日、安室が14歳のとき、グループでデビューを果たす。95年に「TRY ME~私を信じて~」が70万枚を超えるヒット。その後、完全にソロに転向した。小室哲哉氏がプロデュースする「Body Feels EXIT」で、人気は一気に拡大していった。
92年9月16日、安室が14歳のとき、グループでデビューを果たす。95年に「TRY ME~私を信じて~」が70万枚を超えるヒット。その後、完全にソロに転向した。小室哲哉氏がプロデュースする「Body Feels EXIT」で、人気は一気に拡大していった。
「アムラー」
その頃から「アムラー」と呼ばれる女子たちが渋谷を中心に出現。茶色の長い髪に細い眉、足元は厚底ロングブーツという格好が大流行し、社会現象となった。モデルの土屋アンナもアムラーファッションをした一人。「中学の時から大好きで、女の子の憧れ!あたしも安室ちゃんの白ブーツと服装、眉毛、全て真似したくてチャレンジしたけど無理だった」とインスタグラムで当時を振り返っている。
当の安室はNHK総合特番『安室奈美恵 告白』で「なんでアムラーなのかいまいちよくわからなかった。自分のことじゃない感じ。名前だけが一人歩きしてる感じ」と語っている。世間の反応と、自分が思う実力がうまくマッチしていなかったのだろうか。周囲の評価を鵜呑みにせず、自らが納得いくものを追求し続ける安室がすでに存在していたのかもしれない。
当の安室はNHK総合特番『安室奈美恵 告白』で「なんでアムラーなのかいまいちよくわからなかった。自分のことじゃない感じ。名前だけが一人歩きしてる感じ」と語っている。世間の反応と、自分が思う実力がうまくマッチしていなかったのだろうか。周囲の評価を鵜呑みにせず、自らが納得いくものを追求し続ける安室がすでに存在していたのかもしれない。
大ヒットの影で悩んだ日々
小室の元で大ヒットを連発したが、2001年にプロデュースが終了。それから自らでプロデュースするようになった。そしてそれは、アーティストとしてどうあるべきか、という悩みを生んだ。「世間が求める安室奈美恵」とはどういうものなのか、考えているうちにわからなくなったという。元々歌とダンスが好きだった安室。好きなことをどう表現したら良いのか、考えても答えが出ない日々は相当苦しかっただろう。
その頃に転機が訪れる。日本のHIPHOPやR&Bを牽引するアーティストやクリエイターらが集まったプロジェクト、「SUITE CHIC」(スイート・シーク)に参加したことだ。『NYLON JAPAN(2018年9月号)』のインタビューで当時を語っている。「尊敬するアーティストの方々と一緒にお仕事させていただけて、大いに刺激を受けたし、すごく楽しかったんですよね。”安室奈美恵”という名前にとらわれて挑戦できなかったことに、素直に手を伸ばせました。<中略>やってみたいことを自由に音楽にして表現することができて。<中略>そしたら、私は音楽が大好きなんだという自分の原点に立ち返ることができたんですよね」。迷いの中で差し込まれた大きな光。好きなことを、楽しんでやっていくことを明確にするきっかけとなったことは間違いない。この時期から本格的にHIPHOPやR&Bの曲をリリースするようになっていった。
その頃に転機が訪れる。日本のHIPHOPやR&Bを牽引するアーティストやクリエイターらが集まったプロジェクト、「SUITE CHIC」(スイート・シーク)に参加したことだ。『NYLON JAPAN(2018年9月号)』のインタビューで当時を語っている。「尊敬するアーティストの方々と一緒にお仕事させていただけて、大いに刺激を受けたし、すごく楽しかったんですよね。”安室奈美恵”という名前にとらわれて挑戦できなかったことに、素直に手を伸ばせました。<中略>やってみたいことを自由に音楽にして表現することができて。<中略>そしたら、私は音楽が大好きなんだという自分の原点に立ち返ることができたんですよね」。迷いの中で差し込まれた大きな光。好きなことを、楽しんでやっていくことを明確にするきっかけとなったことは間違いない。この時期から本格的にHIPHOPやR&Bの曲をリリースするようになっていった。
コンサートでMCしない理由
安室ほどのアーティストになると、コンサートに毎年参戦する者も少なくないが、筆者もその一人である。会場が暗転し、登場が近づいてワクワクするあの気持ちは、ほかに代わるものはない。「この1年、この時が待ち遠しかった」。心からそう思った。しかし、実は2時間以上のコンサートでずっと立ち続けられたことは今まで1度もない。歌に合わせてリズムをとっていると、幕間の時などに座って休まないと膝が震えてくるからだ。一方の安室は、2時間以上のコンサートをMCなしで突っ走る。多くのファンの前で歌うだけでもとてつもないエネルギーを使うはずなのに、キレキレのダンスでも魅了する。
MCをすれば少し楽になるのではないか。それでもMCをしない理由を『NYLON JAPAN(2018年9月号)』のインタビューでこう語っている。「コンサートに関しては、これまでの活動のなかで、ずっと最も大切にしてきた私の軸なので。常に新しいものやクオリティの高いものを観せたいと思い続けていて、それを私なりに突き詰めた結果、”MCは必要ないな”という結論に達したんですよね」。
MCをすれば少し楽になるのではないか。それでもMCをしない理由を『NYLON JAPAN(2018年9月号)』のインタビューでこう語っている。「コンサートに関しては、これまでの活動のなかで、ずっと最も大切にしてきた私の軸なので。常に新しいものやクオリティの高いものを観せたいと思い続けていて、それを私なりに突き詰めた結果、”MCは必要ないな”という結論に達したんですよね」。
「好き」という気持ち
類まれなる才能を持って、瞬く間にスターの道を駆け上がった安室。それと同時に生まれた、「歌手・安室奈美恵」としての葛藤と苦悩。そこから解き放ってくれたのは、大好きな歌とダンスだった。あれほどの輝かしい功績を残し、社会現象を生むカリスマ性を持ったスターも、「好き」というシンプルな気持ちに改めて気づくことが、次のステップへ進む大きなきっかけになるとは思いもしなかった。
ここまではあくまでヒットまでの道のり。その後も第一線で輝き続ける原動力について、次回は迫っていこう。(文中敬称略)
後編はこちら
ここまではあくまでヒットまでの道のり。その後も第一線で輝き続ける原動力について、次回は迫っていこう。(文中敬称略)
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