22歳で本塁打王も…オリックスの暗黒時代を支え続けたT-岡田が「苦しくて、しんどかった野球」の呪縛から解放された瞬間
〈「あれが本塁打にならないから、引退なんですよ」オリックスT-岡田、現役最後の打席で心に刻まれた“最初で最後”の応援歌〉から続く
今季限りで引退したオリックス・バファローズのT-岡田(36)。2005年、ドラフト1位でオリックスに入団すると、2010年には王貞治以来となる22歳の若さで本塁打王になるなど、輝かしい実績を残した。しかし、結果としてこのシーズンが現役生活のキャリアハイとなり、36歳となる今年引退するまで長く苦しい時代を過ごしていたという。現役引退した今だからこそ話せるT-岡田の本音とは。(前後編の後編)
【画像】T-岡田が「彼がいないとここまでできなかった。僕の中ではなくてはならない存在」と話すかつてのチームメイト
22歳で本塁打王獲得のプレッシャーの中で…
2021年の優勝は心からうれしかった。だけど……。チームが強くなるにつれ、自分の出番は減っていく。長年その「轟砲」でチームを鼓舞し、ファンを魅了してきた岡田は、当時の思いをこう述懐する。
「やっぱりね、チームスポーツですけど、個人スポーツでもあるんです、野球は。チームが優勝して、その喜びの中でもユニフォームを脱いでいかないといけない人がいるんで。当時はとにかく自分の成績を上げることしか正直、頭になかったですよね。明日こそ、勝ったときに、そのチームの中心にいたいなって。もう常にその繰り返しでした。明日は、明日こそはって」
岡田といえば「労働基準法違反」と言われるほどの練習の虫。誰よりも早くグラウンドにきて練習している姿はファンにもよく知られていた。彼をそこまで駆り立てていたのはなんだったのか。
「僕、2019年のシーズンが終わってから、プエルトリコのウインタリーグに参加したんです。それまで野球することに対してけっこう苦しかったというか、しんどかったんすよね。それこそ2019年はケガが多くて、試合にもなかなか出られなくて、苦しくて、しんどくてっていうのがあったんです」
2019年の一軍出場は20試合。本塁打はわずか1本に留まった。野球が「つらくしんどかった」岡田は、31歳とベテランながら初めて参加した海外リーグで思わぬ発見をすることになる。
「プエルトリコに行ったら、みんなめちゃくちゃ楽しそうに野球するんですよ。そういう選手たちを見ていたら、こんなに野球って楽しんでいいんやって思えて。もうほんまに初心に帰るというか。すごい感銘を受けました。それからまた野球を楽しめるようになってきて」
そう当時を振り返る岡田は少年のように目を輝かせる。
「なんて言ったらいいかな、もっともっと野球うまくなれるんやって思った。次の日にはもっとこういうことができるようになるんじゃないかって。そういう楽しみを持って野球ができるようになったんですよね。それがでかかったんですよ、僕には」
盟友・安達了一の存在
楽しいと思って始めた野球が、徐々に苦しいものになってくる。若くして本塁打王のタイトルを獲得し、ブレイクが早かった岡田にとっては、過去の自分を乗り越えなければならないというプレッシャーもあったのだろう。
「とにかくしんどかったですね。22歳で本塁打王を取ってから、しんどい期間のほうが長かったです。一気にもうポンと行っちゃった感じですから。みんなも「もっともっと」って求めますし、自分もそうなりたいと思ってやってましたし。 徐々に徐々に(上がっていく)っていう感じではなかった。周囲が求める結果とのギャップにはずっと苦労してきたかもしれないです」
野球がしんどい、苦しいと感じる中で、でもその気持ちを共有できた友がいた。奇しくも今年引退を決めたチームメイトの安達了一。同い年の安達について聞くと、初めて岡田は少し声をつまらせる。
「僕が引退するって決めて、発表される前に安達に電話したんですよね。『ちょっと先に辞めるわ』って言ったときに、『俺もちょっとしんどいかも』みたいな話はしてましたね」
「安達がどういう存在か……うーん、どう言葉で言っていいかわかんないですけど、やっぱ彼がいないと、僕もここまでできてなかったと思いますし。それこそ3連覇もなかったと思います。
なんて言ったらいいか、難しいですけど、僕の中ではなくてはならない存在ではありましたね。本当になんでも話しましたし。それこそね、どうやったら(チームが)勝てるやろうっていう話は何回もしてきました」
「苦しいときもよかったときも彼と一緒に経験できたんで、それは本当に僕の中でもすごい宝物なんですよ」
安達は指導者としてチームに残ることを決めた。しかし、岡田は安達とは違う道を歩む。彼はこれからどんな未来を思い描いているのだろうか。
「僕はまだ全然技術不足っちゅうか、知識不足っちゅうか。今の僕がやれることは知れてると思うんで。もっともっと勉強して、いろんなことを身につけないといけないと思うんです。僕は大きいケガはなかったんですけど、小さいケガ、特に肉離れとかは多かったんです。
その辺の体のこと、トレーニング法なんかを勉強したい。あとはやっぱり僕は打つことが専門なので、体のことと技術を繋ぎ合わせて、選手が困ったときには何か力になりたいなと思ってます」
引退後のビジョンは明確だ。
「高校を出て19年間、僕はオリックスしか知らないんで。オリックスのいいところももちろんありますし、他のチームのいいところも勉強したいなと思っています。それこそ12球団すべての球団を見に行きたいですけど、野球に限らずいろんなスポーツも見に行きたいですね。
他の競技の選手との交流って、今まであんまりなかったので。アメフトとかラグビーって『肉離れはケガじゃない』みたいに言われるじゃないですか。どういうトレーニングをしているのか気になります」
山本由伸から聞いたMLBのリアル
日本の球団のみならず、世界各地のいろいろなチームを見てみたいと話す岡田。今年オリックスからMLBロサンゼルス・ドジャースへ移籍した山本由伸投手からの話も刺激になっているという。
「この前、僕ロサンゼルスに行ってきたんですけど、由伸が言うんですよ。『日本にいるときに聞いてた話とちょっと違いました』みたいな。メジャーってキャンプも練習終わるの早いしそんなに練習しないって聞いてたけど、みんなめちゃくちゃ練習しますよって。
たとえば(ムーキー)ベッツ、彼は試合前のルーティーンで守備のドリルとかもけっこうやってるし、 疲労を考慮されて5回ぐらいで交代した試合でも、そこから試合終わるまでバッティングゲージでずっとバットを振ってると。『みんなめちゃくちゃ練習してますよ』って言ってましたね」
現役時代、練習の虫だった岡田が、今その練習から解放されて、ふと不安になることはないのだろうか。
「やっぱ体は気持ち悪いですよね。体を動かさないと気持ち悪い。だからやっぱりトレーニングはやってます。これから誰かに教えるってなったとき、だらしない体の人に教わるより、いい体してる人から教わる方がやっぱり説得力ありますもんね(笑)」
岡田の引退は、オリックスの一つの時代の終わりとも言える。彼が今、若い選手たちに伝えたいことを聞いた。
「伝えたいこと……そうですね。何するにしても、『もっと考えてやったほうがいい』ってことですかね。どうやったらもっといい成績を残せるか考えてやったほうがいいよ、っていうのは伝えたい。今でも十分に考えてやってるかもしれないですけど、ちょっと浅いんです。もうずっとずっと奥まで自分自身を掘り下げていってほしい。
そうやって掘り下げて、練習ではいい形でできても、試合でそれが出せなくなる。結果が出ない、成績が残せない。僕はその繰り返しの日々に『ああ、疲れたな』って感じたときに引退を決めました。僕なりにやりきれたかなと思ったので」
ところで、「T-岡田」の登録名に変更した当時のオリックスの監督で、ブレイクのきっかけを作った岡田彰布監督に報告したのだろうか。
「岡田監督にも連絡したんですよ。『引退します』って言ったら『お疲れさん。おーん、何年やったんや?』って。『19年やりました』って言ったら 『19年もできたんや。よかったやん』って言ってくれましたね」
栄光と挫折を何度も繰り返してきたT-岡田。これからも歩み止めることなく、野球道を突き進む。その足跡はいつかオリックスの未来とつなぐ標となるだろう。
取材・文/西澤千央 撮影/集英社オンライン編集部
T-岡田●1988年2月9日。大阪府吹田市出身の元プロ野球選手。左投左打。2005年にオリックス・バファローズに入団。2009年シーズン終了後に「岡田貴弘」から「T-岡田」に登録名を変更すると、2010年に本塁打王を獲得。2024年シーズンを最後に現役引退。
11/15 11:00
集英社オンライン