「こういう場所に来ないと分からない」 日本のホープ・中野麟太朗がアジアアマで感じた中国勢が先を行くところとは?
日本で開催された「アジアパシフィックアマチュアゴルフ選手権」。マスターズと全英オープンへの出場権を逃したが、日本のホープ・中野麟太朗にとっては得るものの大きい大会だったようだ。
松山英樹が“世界”にその名を知らしめた大会
「優勝すれば、翌年のマスターズと全英オープンに出られる」
そんな大きな魅力を備え、アジアパシフィックアマチュア選手権(注:創設当初はアジア・アマチュア選手権)が創設されたのは2009年のことだった。
しかし、2010年の第2回大会の際、松山英樹はその魅力的な特典を知らずにエントリーし、大会直前になって東北福祉大学の阿部監督に「監督! 優勝したらマスターズに出られるらしいですよ」と興奮気味に告げに来た。そして、その勢いのまま優勝したという逸話は、何やらおとぎ話のように聞こえるかもしれないが、正真正銘の実話である。
翌年、松山は大会連覇を果たしたが、中国や韓国、そしてオーストラリアも負けじと勝利をつかみ取り、日本も18年には金谷拓実が、21年には中島啓太が優勝。
そして、松山が21年マスターズを制し、アジアパシフィックアマ覇者として初めてマスターズチャンピオンに輝いたとき、松山のサクセスストーリーは世界のゴルフ界の伝説となり、同時にアジアパシフィックアマのステータスは一気に急上昇。「僕もマツヤマが辿った道を歩きたい」と願うジュニアがアジアやオセアニアで急増し、大会のレベルは年々高まりつつある。
第15回を迎えた今年の大会には、12歳から66歳まで120名の超ハイレベルなトップアマたちが太平洋クラブ御殿場コースに集結。悪天候による中断と日没サスペンデッドが続いた不規則進行の下での戦いは、体力気力を使い果たす消耗戦になった。
日本の期待は昨年の日本アマ覇者で早稲田大学3年の中野麟太朗に寄せられ、実際、初日から2位タイと好スタートを切った中野は、第2ラウンド終了時には単独首位へ浮上。しかし、第3ラウンドはスコアを伸ばせず、3位タイへ後退。第4ラウンドは2ボギーを先行させながらも後半は執拗な粘りで盛り返し、勝利への小さな光をなんとか自力で見い出した。
だが、通算12アンダーで優勝したのは中国出身の19歳、ディン・ウェンイーだった。通算11アンダーで単独2位に食い込んだのは、やはり中国の18歳、チョウ・ジキン。残念ながら中野は勝利を逃し、通算10アンダーで単独3位に終わった。
優勝だけを見据えて挑んだという意味では、3位は悔しく残念な結果だったが、戦いを終えて小1時間が経過したころには、中野は「なんか、すっきりしてきました」と、すがすがしい声で戦いを振り返った。
結果はさておき、そのすがすがしさは、彼が大きな手ごたえを感じ取り、今後につながる新たな光を見出していたことを如実に物語っていた。
優勝争いの最終ホールで談笑する中野とディン
72ホール目の18番パー5を首位のディンから3打差で迎えた中野に残されていた勝利への可能性は、きわめて小さなものだった。安定したプレーを続けていたディンが、このホールでボギーを叩く可能性は決して高くはなかったが、中野自身は「やるしかないと思いました」。
左サイドのラフ。足場は前下がりで左足下がりの複雑な傾斜地。そこから池越えで2オンを狙うことは、とてもリスキーなギャンブルだったが、中野は果敢に挑み、低弾道で飛び出したショットは、一見、グリーンをヒットしても止まらないかに見えたが、「グリーンで止まったのには驚きました」。
中野の鋭い眼光には激しい闘志が漲っていた。だが、グリーンに向かって歩き始めると、ディンが中野に声をかけた。
「『狙ったの?』って聞かれたので、『もちろん』と答えると、ディンくんが『低い球で止まるんだね』って驚いていました」
優勝争いの真っ只中でも、2人が笑顔で会話したこのシーンは、エチケットやマナーを重んじ、スポーツマンシップに則ってプレーするゴルフの素晴らしさを象徴していた。テレビ中継を見ていたアジアやオセアニアの子どもたちの脳裏に焼き付き、憧憬の念を抱いたのではないだろうか。
それこそが、今大会の存在意義であり、開催目的である。ディンは慎重にパーで収めて勝利をつかみ、中野は圧巻のショットで2オンに成功したものの、イーグルパットを沈めることはできず、バーディーフィニッシュで単独3位。
それでも中野は、すがすがしい声で振り返った。
「(こういう)海外の試合でもビビらなくなりました。以前は外国人選手と回るとやりづらさがあったけど、(今回は)慣れたと感じて、回りやすくなったおかげで気持ちも楽になりました」
昨年と今年はニュージーランドへ自主合宿に赴き、今年はニュージーランドオープンに予選会を突破して自力出場を果たした。リクルート財団の奨学金を得た今年は、夏場に米国へ初遠征し、ウエスタンアマチュアや全米アマチュアにも挑戦した。
「海外試合に慣れてきた」と感じられたことは、そんな自身の歩みが正しい方向を向いているのだと確認できたことを意味しており、そう実感できたことは彼にとって大きな収穫だった。
優勝したディンは22年全米ジュニアを制し、米国のアリゾナ州立大学に在籍していた。アーノルド・パーマーカップやサザンアマチュアといったビッグ大会もすでに経験している。
2位になったチョウも米国のアマチュア大会に多数出場しており、昨年は全米ジュニアでも全米アマでもトップ64に残ってマッチプレーに進出。現在は米国のカリフォルニア大学バークレー校に籍を置き、米国のトップカレッジゴルファーとして活躍している。
ディンもチョウも中国の出身だが、米国や世界の舞台に早い時期から挑み、まだティーンエイジャーながら海外における経験値はきわめて高い。
中野も今年から米国挑戦を始め、今大会ではその手ごたえを早くも感じ取ることができたのだが、ディンやチョウと比べたら、中野の経験値は今回は「まだ不足だった」ということなのだろう。
「まだまだだな。こういう場所に来ないと分からないことです」
「ずっと一緒に回ったディンくんは、やっぱりうまかった。さすが世界アマチュアランキング5位だけのことはあると思いました」
ディンは今大会4度目の出場で優勝し、チョウは3度目の出場で2位、そして中野は2度目の出場で3位。来年への期待は自ずと膨らんでくる。
「ホームの日本で、いい試合ができて良かった」
優勝したディンは、昨年大会では3人によるプレーオフで破れ、悔し涙を飲んだ。
その雪辱を見事に果たした今年、表彰式に臨んだディンは淡々とスピーチしていたが、最後の最後に感極まり、涙が溢れ出した。
悔しさを噛み締めながら4年という歳月を費やし、ついに頂点にたどり着いたディンを眺めていたら、中野の本当の勝負は、むしろこれからなのかもしれないと思えてきた。
悔しい3位になったからこそ、それがこれからの糧になる。
今回は連戦による疲労があり、実を言えば、手指を痛めた状態での参戦でもあった。日程調整や心身のコンディショニング、ミスしたときの焦りといったメンタル面のコントロール。課題は多いほど向上が期待できる。
そして、今夏の米国遠征の際は自分よりはるかに上だと感じられた選手たちを、今大会では抑え込み、「ホームの日本で、いい試合ができて良かった」と、前向きにとらえる中野の姿勢は爽快だった。
「なんか、すっきりしてきました。で、次は日本オープンだなあって思えてきました」
来年の全英アマチュア出場権が単独3位の中野にも授けられたことはサプライズだったが、中野の「次」なる戦いは、文字通り、次々にやってくる。絶え間ない戦いの日々の中、ポジティブで謙虚、そして吸収力が高い中野が勝利する番は、近いうちに必ず訪れると信じたい。
文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
10/08 11:10
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