世界選抜“10連敗”でプレジデンツ杯の存在意義に疑問符!? ライダー杯に匹敵する大会に変身するための仰天プランとは?

米国vs世界選抜の対抗戦「プレジデンツカップ」はポイント18.5対11.5で米国チームが勝利。大方の予想通りの結果となってしまった。そこで懸念されるのが、世界選抜チームが10連敗を喫したことによるプレジデンツカップの存在意義を問う声の高まり。なかには現状のフォーマットを大きく変更するプランを主張する人もいるようだ。

リブゴルフ勢が抜けてすっかり様変わりした顔触れ

 今年のプレジデンツカップは、日本のエース、松山英樹が世界選抜チームの主力選手として出場し、丸山茂樹が副キャプテンを務めるということで、日本のゴルフファンは楽しみにしていたことだろう。

プレジデンツカップ最終シングルスマッチの14番でタイに持ち込むバーディーを決め、ガッツポーズの松山英樹 写真:Getty Images

プレジデンツカップ最終シングルスマッチの14番でタイに持ち込むバーディーを決め、ガッツポーズの松山英樹 写真:Getty Images

 しかし、太平洋の向こう側の米国では、開幕前から「どうせ米国チームが勝つ」「盛り上がらない」などと冷めた目で見る人々も多かった。

「どうせ米国チームが勝つ」という声が上がっていたのは、過去の戦績がそうなる高い可能性を示していたからに他ならないのだが、過激な論調で知られる米国のある記者は「さまざまな理由により、プレジデンツカップはゴルフファンから愛されない大会になってしまっている」と言い切り、プレジデンツカップそのものを取りやめるか、あるいは大会名は維持したまま、戦いの内容を変えるべきだと主張していた。

 プレジデンツカップがファンから愛されているか否かはファンの胸の中だが、「さまざまな理由」の中にリブゴルフの影響が含まれていることは確実である。

 プレジデンツカップの発案者は、何を隠そう、現在はリブゴルフのCEOを務めているグレッグ・ノーマンだった。

 1990年代のはじめごろ、オーストラリア出身のノーマンは、米国人選手や欧州選手がライダーカップに費やすエネルギーやパッションを傍目にして、「国や大陸の名誉を懸けて戦う熱いチーム戦を経験する場と機会が、米欧以外の選手にないのは不公平だ」と主張。そして、米国チームと欧州以外の世界各国出身選手で構成される世界選抜チームによるチーム対抗戦を考案。

 PGAツアーは当時としては画期的だったノーマンのアイデアを採用し、94年に第1回プレジデンツカップが開催された。第1回大会は米国チームが勝利を挙げ、次なる96年大会は接戦にはなったものの、やはり米国チームが優勝。

 しかし、オーストラリアのロイヤルメルボルンで開催された98年大会は初めて世界選抜チームが勝利を挙げ、「ようやくプレジデンツカップがエキサイティングな戦いになった」と言われた。

 しかし、その後は、2003年大会こそ引き分けになったものの、05年大会以降は9回連続で米国チームの勝利となり、しかもその大半は米国チームの圧勝だった。

 そして、米国のクエイルホローが舞台となった22年の前回大会の際は、リブゴルフに移籍した選手たちがプレジデンツカップから消えてしまった。

 それもそのはず。プレジデンツカップはPGAツアーの主催ゆえ、リブゴルフへ移籍した選手たちをプレジデンツカップに出場させるはずはない。

 米国チームからはダスティン・ジョンソンブルックス・ケプカブライソン・デシャンボーらが抜け、世界選抜チームからはキャメロン・スミスやルイ・ウエストヘーゼン、エイブラハム・アンサー、ホアキン・ニーマンの姿がなくなった。

 残った顔ぶれからすれば、これまで以上に「米国圧勝」が予想され、実際、22年大会は途中で接戦もあるにはあったが、「17.5対12.5」で米国圧勝に終わった。

ブックメーカーが弾き出した米国の優勝確率は71.43%

 そして、カナダのロイヤルモントリオールが舞台となった今年も、出場選手の顔ぶれは開幕前から「米国圧勝」を予想させていた。

 米国チームにはスコッティ・シェフラーを筆頭にザンダー・シャウフェレ、コリン・モリカワなどメジャー覇者が6名。世界ランキングを見ても、1位のシェフラー、2位のシャウフェレ、4位のモリカワ、6位のウインダム・クラークなどトップ10以内が5人も揃っていた。

 一方、世界選抜チームのメジャー優勝者は松山、アダム・スコット、ジェイソン・デイの3人で、世界ランキングでは松山の7位が最高位。その次が18位のスコットという具合で、ランキング差は歴然だった。

 ブックメーカーが弾き出した米国の優勝確率は71.43%。「どうせ米国が勝つ」という声が上がっていたのは、日本人としては残念ではあるが、ある意味、当然だった。

 初日のフォーボール5マッチは米国チームが全勝し、「やっぱり米国強し」となった。

 しかし、2日目のフォーサム5マッチは逆に世界選抜チームが全勝する驚きの展開になった。

 チームの面々やムードを盛り上げようと、キャップを振ったり、ギャラリーに呼びかけたりして必死の努力をしていたトム・キムの姿は健気で可愛らしかった。日ごろはあまり表情を変えない松山が珍しく表情豊かだったことも面白かった。

 世界選抜チームに5勝を奪われた米国チーム側が多少なりとも焦りを見せたことも、なかなか痛快だった。

 しかし、3日目は午前のフォーサム4マッチで米国チームが3勝1敗、午後のフォーボール4マッチも3勝1敗となり、3日間の通算成績は「11対7」で、やっぱり米国チーム優勢となって最終日のシングルス12マッチへ突入。

 いざ始まった個人マッチは、世界ランキング1位のシェフラーを松山が下し、大健闘。

「最後のパットは死ぬほど手が震えた」と、いつになく感情をあらわにした姿はとても新鮮で、「チームにとっても大事なポイントだった」と、世界選抜チームの勝利を決して諦めてはいない様子だった。

 トム・キムやイム・ソンジェも、執拗に粘り、米国チームの勝利を全力で阻止する戦いぶりを見せていた。

 しかし、米国チームは次々にマッチを奪い、ポイントを増やしていった。そして、キーガン・ブラッドリーがキム・シウーを1アップで下し、15.5ポイントを先取した瞬間、予想通り、米国チームの勝利が確定した。

リブゴルフとの対抗戦? 男女混成チーム同士?

 今年のプレジデンツカップを観戦して「楽しかったか?」と問われたら、ところどころで楽しさはあった。だが、ライダーカップの試合会場で自ずと伝わってくる震えるほどの緊張感や緊迫感は、残念ながら伝わってはこない。

男女混成チーム同士の戦いとなれば、現時点なら女子はリディア・コや古江彩佳ら世界選抜側の選手が一転、世界ランキングの上位を占める 写真:Getty Images

男女混成チーム同士の戦いとなれば、現時点なら女子はリディア・コや古江彩佳ら世界選抜側の選手が一転、世界ランキングの上位を占める 写真:Getty Images

 それは、ライダーカップより歴史が浅いからだろうかと思ったこともあった。だが、プレジデンツカップとて、すでに創設から30年。歳月の重みは十分にある。

 トム・キムが米国チーム側から「スポーツマンシップに欠ける言葉を聞いた」と怒りの発言をしたり、世界選抜チームを応援するギャラリーがシェフラーの妻を侮辱する言葉を発して、シェフラーの相棒キャディーのテッド・スコットが激怒したりといった「小競り合い」はあったが、それは大会そのものの緊張感や緊迫感とは次元が異なる話にすぎない。

 米国チームも世界選抜チームも、もちろん真剣に必死に戦っていたはずである。しかし、これで10回連続で米国が勝利し、「米国強し」の流れが今後もなかなか変わらないとしたら、今後も盛り上がり切らないのだから「もはや大会を取りやめるべき」あるいは「別の形に変えるべき」という米メディアからの提案は、一考に値すると私も思う。

「別の形」とはどういう形か? たとえば米国と世界選抜の対戦ではなく、PGAツアー選手とリブゴルフ選手の対抗戦にすれば、「かつてのスター選手揃いとなるため、間違いなく盛り上がる」とは、「なるほど」と頷ける。

 あるいは、米国チームと世界選抜チームの対抗戦という形は維持したまま女子選手を加え、「男女混合のチーム戦に変えたら?」という提案は数年前から囁かれ、今年のソルハイムカップの際に米国のステーシー・ルイスが公の場で提言していた。

 男女混合戦になれば、米欧対抗戦のソルハイムカップには出場できないニュージーランドのリディア・コが世界選抜チームのメンバーとして力を発揮し、人気や注目を高めることにもつながってくるのではないだろうか。

 プレジデンツカップが「盛り上がらない」と言われながらも、30年にわたって続けられている最大の理由は、どちらが勝つかはさておき、それなりに大きな興行収益が得られ、開催地にも大きな経済効果をもたらすからだと言われている。

 だが、今、PGAツアーに求められていることは、「お金」ではなく、かつての「人気」や「注目」を取り戻すことである。

 そのためには、女子選手の華やかさに助けを求めることは選択肢の一つである。

 そして、「敵」とも言えるリブゴルフを利用するぐらいの覚悟で、プレジデンツカップの名の下に新たな対抗戦を創設することは、もしかしたら、なかなか進まないPIFとの交渉をも押し進めることにもつながりそうな気がする。

文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。

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