「負けることは恥ではない」。寺地拳四朗が生涯唯一の敗戦で得たものとは?
2階級制覇に挑む寺地拳四朗
今月13、14日の2日間、日本ボクシング史上初めて、世界戦7試合の2日間興行(『Prime Video Boxing 10』)が東京・有明アリーナで開催される。初日の13日、元WBC&WBAスーパー統一世界ライトフライ級王者で現WBCフライ級1位の寺地拳四朗は2階級制覇をかけて、同級2位のクリストファー・ロサレス(ニカラグア)と王座決定戦に挑む。現在国内では世界主要4団体すべて日本人が世界王者というバンタム級に注目が集まっているが、拳四朗の参戦で、ユーリ阿久井政悟(WBA)やアンソニー・オラスクアガ(WBO)が世界王者のフライ級も俄然目が離せなくなった。
ライトフライ級では安定王者と呼ばれた男は、フライ級でも主役になれるのか。転向初戦でいきなり勝負をかける拳四朗に独占取材。トレーナーの加藤と二人三脚で歩む拳四朗は、難敵待ち構えるフライ級でどのように戦うのか。そして、拳四朗自身が「あの敗北のおかげで、いまはより強くなれた」といまも心に刻まれた矢吹正道との死闘についても振り返ってもらった。(全4話/第3話)
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「正直言えば、フライ級で誰と戦いたい、というような気持ちはあまりなくて......。シンプルに強さがわかりやすいので、『ベルトはたくさん集めたいな』と何となく考えたりはしますけど......」
拳四朗は、やや答えに窮したように「うーん」と言い口元を尖らせた。
「フライ級ではユーリ阿久井選手とトニー選手に勝利して4団体統一を達成したい」と威勢の良い答えを期待していた著者にとっては、やや拍子抜けにも思えるような答え。しかし、拳四朗の性格を誰よりも理解する加藤はこう補足した。
「拳四朗の凄い所は、決めた事はしっかりやるし、やり切れる所。普段はふんわりしていますが、拳四朗は試合が決まればどんな相手でも、コンディションがどうであろうと関係なくやるべきことを淡々とやり続けます。ふんわりしていてやることもやらなければ、『おいおい、もっと考えろ』とお説教したくもなりますが、拳四朗はそのあたりはしっかりしています。そういう意味でも、拳四朗の場合は誰と対戦するとかタイトルがかかっているという理由でモチベーションが左右される事はないかもしれません」
加藤も、「ボクサーとしてより成長した姿を見られるのではないか」という意味では、ユーリ阿久井やトニーとの対戦は楽しみにしていた。ただし「それをモチベーションにボクシングはして欲しくない」と考えていた。
「次戦でWBCのタイトルを獲って、次はユーリ阿久井選手やトニー選手と試合をして4団体統一が見えてきた。それがボクシングを続ける理由にする事は、自分から見れば、まわりに振り回されているように思えてしまいます。拳四朗にはそういう感覚で続けて欲しくありません。対戦相手やタイトルに関係なくボクシングそのもの。自分自身の成長と向き合ってもらえたら嬉しいですね」
加藤の話を横で聞いていた拳四朗は表情を明るくし、尖らせた口元を開いて何か腑に落ちたように話し始めた。
「とりあえず一戦一戦、頑張る事ですよね。現役は、長くてもあと2年くらいと考えています。最後は、できれば勝って終わりたい。でも勝てば続けそうだし(笑)。自分はボクサーとしてどうしたいのかは、辞めてみなければわからないかもしれませんね」
■負けることは恥ずかしいことではない
拳四朗に、加藤の存在についてたずねると「ボクサーとしても人としても、なくてはならない存在」と答えた。
「加藤さんは、ボクシングについてはもちろんですが、生活面も厳しく助言します。ただ厳しいだけではなくて、言葉のひとつひとつが納得できるし、自分を成長させてくれる事ばかりです。本当、良い人に出会えたと感謝しています」
拳四朗にとって加藤はトレーナー以上の存在。拳四朗はボクシングを通して、加藤から人生そのものを学んでいる気がしていた。前回取材した際のあるエピソードを思い出した。
自身のベストバウトについてたずねると拳四朗は「矢吹選手とのリターンマッチ」と即答した。一度負けた相手に勝利できた事、ベルトを奪還できたことはもちろんだが、それ以上に、まわりに対する感謝を実感できた事が何よりも強く心に残った。
2021年9月22日、拳四朗は9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れ、2017年5月20日にタイトル獲得し、4年以上保持し続けたWBCライトフライ級王座から陥落した。しかし試合中のバッティング問題で、拳四朗陣営からJBCに意見書が提出されるなど物議を醸した両者の対戦について、WBCからは異例のダイレクト・リターンマッチが認められた。再戦直前、加藤は拳四朗に「負けることは恥ずかしいことではない。ここまで頑張ってきたことが大切。もし負けたとしても、試合後の記者会見は堂々と受けよう」と助言した。
王座陥落時、加藤は負けたショックが大きく会見を拒否して逃げ去るように会場を後にした拳四朗の姿が目に焼き付いて離れなかった。加藤は当時、『拳四朗はボクサーとしては一流でも、人としてはまだまだ弱い』と感じ、再戦は、勝とうが負けようが関係なく、堂々とした態度で、取材や記者会見を受けて欲しいと願い助言した。
試合は挑戦者、拳四朗の3回1分11秒KO勝利。勝利の瞬間、拳四朗は加藤に抱き着き喜びを爆発させた。後にも先にも、拳四朗があそこまで感情をあらわにして喜びを表現した試合はない。
「勝った瞬間はまず先に『よっしゃーっ! 加藤さん勝ったよ!』と思いました。次にお客さんに対して『応援してくださり、ありがとうございました』と(笑)。リングから見渡した観客席の景色は、泣いていたのではっきりは見えませんでした。再戦に向けて不安はありました。スパーリングでは出来た事も試合で出来るかどうかは違いますし。でも加藤さんと一緒に練習してきたことを全力で出すだけ。後悔しないようにやるだけでした。
試合前に加藤さんから『負けることは恥ではない』と言われた時、最初は意味がよくわかりませんでした。でもだんだん理解できるようになりました。初めて負けたことで、負けた人の気持ちもわかるようになりました。応援してくれる人たちに対する感謝の気持ちも、あの試合からより深まった気がします」
「拳四朗に限らず、選手に対しては技術よりも、人間的な成長を一番に考えます。人間性とボクサーとしての成長は繋がっていると思っているので、余計なお節介と思われるかもしれませんが、私生活についても口うるさく言います。人間的に成長すればボクシングは勝手に強くなりますからね」
と加藤。ボクサー拳四朗とトレーナー加藤。
いまふたりは新たな課題に向き合っていた。それはある意味、蜜月だった師弟関係を見直す取り組みでもあった。
■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)
1992年生まれ、京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座獲得し、2017年10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。8度防衛成功し9戦目で矢吹正道に敗れ王座陥落するも翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利しWBA王座も獲得し2団体王者に。今年7月、フライ級転向発表し王座返上。今月13日、クリストファー・ロサーレス相手にWBC世界同級王座決定戦に挑む。通算成績24戦23勝(14KO)1敗
■加藤健太(かとう・けんた)
1985年生まれ、千葉県出身。2005年三谷大和スポーツジムから20歳でプロデビュー。2006年東日本新人王トーナメントはスーパーライト級で決勝進出。右拳の怪我で1年間ブランクの後出場した2008年同トーナメントはライト級で準々決勝進出し、のち日本王座に就く細川バレンタインと引き分けた。網膜剥離を煩い24歳で現役引退。通算成績9勝(7KO)1敗1分。26歳で三迫ジムトレーナー就任。現在はチーフトレーナーとして名門ジムを支える。2019、2022年度最優秀トレーナー賞受賞
取材・文・撮影/会津泰成
10/06 18:00
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