蛯名正義調教師「スタッフだけでなく馬とも常に話をしています」 馬は人の言葉を聞いて何を感じているのか?

蛯名正義氏は「馬とも常に話をしています」と言う

 1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、馬への声かけについてお届けする。

【写真】ブルーグレーのジャケット姿、馬と顔を付け合せる蛯名正義氏

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 ジョッキーが馬と対話をしながらレースをしている、という話は聞いたことがありますよね。

 トレセンの厩舎内でも馬に触ったり、乗って歩かせたりする時に、常に声をかけています。人間の声も調教の要素の一つなのです。声をかけることで、落ち着かせたりするわけで、こちらが思っていることを、馬が理解してくれているかどうかを判断します。

 自分の名前も認識していると思います。毎日呼ばれているし、「自分のほうを見ながら何か言ってるな」、というのを感じている。馬房の中に声をかけると、何かくれるのかなと思ってこちらに寄ってきたりします。中にはジーっと端っこに寄ったままの子もいるけれど、声をかけられたのは分かっていて、振り返ってこちらを見たりする。「なに?」みたいな感じでね。

 声がけするのは、怒られているわけではないというのを馬は理解しています。あまりナイーブになっても困るから、何気ないことも話す。こちらがそうやって話すのは、「何をごちゃごちゃ言ってるのかはわからないけれど、怖がらなくていいよ、落ち着いてよってことなんだな」というのを教えているということでもあります。話しかけるだけではなく、常に音楽やラジオを流しています。

 馬がいちばん好きなのは、体を洗ってくれたり、ご飯をくれたりする担当厩務員さん。足音が聞こえただけでわかるし、いつも厩舎にバイクで通ってくるようなら、そのエンジン音でわかるぐらいです。お腹がすいてくると「いつかな、いつかな?」って待ってるわけだし、耳慣れた音がすると「あ、来た!」ってそわそわします。

 パドックを歩いている馬が、さかんに馬を引いている厩務員さんのほうに顔を寄せているようなしぐさを見たことがあるでしょう。大勢の人の前に引き出されたりして不安で甘えているのです。「大丈夫大丈夫~」などと小声でささやいている厩務員さんもいますよ。

 厳しく叱責したりすることはしないけれど、それでも言うことを聞かない馬や、わがままな馬というのはいます。担当厩務員は、それぞれの馬の性格を把握して相対しています。1対1の関係では必要なことで、僕もジョッキー時代は、騎乗する馬によって付き合い方を変えていました。

 でも、今は50頭もの管理馬と、その世話をする人を束ねる立場なので、馬に合わせて声のトーンを変えたりはしません。会社でも、相手によって態度を変えたりする上司を、部下はよく見ているというじゃないですか。馬も同じで、僕が相手によって態度を変えたりすることに気が付くと思うんです。(お、エビナはあの牝馬には優しいのに、俺にはいろいろ文句を言うな)なんて思われてはいけない。冗談めかして「ふざけてるんじゃないぞ」と言ったりはしますが、とにかくどの馬にもきっちり話しかけるようにしています。

 でも僕が馬房を覗いても、あまり喜ばれることはない。調教の時にいろいろ指示を出して、オレを走らせているヤツだなとでも思っているのでしょう。

【プロフィール】
蛯名正義(えびな・まさよし)/1987年の騎手デビューから34年間でJRA重賞はGI26勝を含む129勝、通算2541勝。エルコンドルパサーとナカヤマフェスタでフランス凱旋門賞2着など海外でも活躍、2010年にはアパパネで牝馬三冠も達成した。2021年2月で騎手を引退、2022年3月に52歳の新人調教師として再スタートした。この連載をベースにした小学館新書『調教師になったトップ・ジョッキー~2500勝騎手がたどりついた「競馬の真実」』が発売中。

※週刊ポスト2024年7月12日号

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