天皇杯に特別な思い=クラブ消滅を経験した神戸・吉田監督ら―サッカー

天皇杯を掲げ、喜ぶ神戸の吉田監督(中央)=23日、東京・国立競技場



神戸の吉田孝行監督と永井秀樹スポーツダイレクターにとって、天皇杯は特別なタイトルだ。1999年の元日、横浜フリューゲルスの選手として優勝を経験した2人。清水を破った決勝では永井氏のパスを受けた吉田監督のゴールで勝負を決めた。
横浜マリノス(当時)との合併によるクラブ消滅が発表された中で戦った。当時の天皇杯はリーグ戦の終了後、11月からの開催だった。敗れた瞬間にクラブはなくなる。そんな切迫感に負けず、目の前の試合に向き合った。吉田監督は「常にプレッシャーと闘いながら、一日でも長くという思いでやっていた」と振り返る。
リーグ戦では勝てなかった磐田などを次々と破り、つかんだ栄冠。クラブがなくなる最後の瞬間に、その名前を歴史に刻み込んだ。永井氏は「サッカーの神様がみんなに力をくれたのかな。本当の意味での一致団結を学ばせてもらった」としみじみ言う。
神戸は2000年代初頭に業績悪化に陥り、消滅の危機を楽天の三木谷浩史オーナーが救った過去がある。永井氏は「(天皇杯優勝は)オーナーへの恩返し。フリューゲルスでの出来事が二度と起こらないように、魅力のあるクラブにしていく」。昨季は初のリーグ制覇。今季は2冠も見えてきた。つらい経験が糧となり、強豪クラブとしての地位を築きつつある。


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