荒木田裕子さん、東京五輪パラ後に発覚した談合事件に「本当に悔しい」 正義感はとても強かった

荒木田裕子さん

 1976年モントリオール五輪バレーボール女子で金メダルに輝いた荒木田裕子さんが死去したと18日、複数の関係者が明らかにした。70歳だった。荒木田さんは語学が堪能で、国際オリンピック委員会(IOC)や、国際バレーボール連盟(FIVB)とのパイプを持ち、日本でも数少ない国際スポーツ人の先駆けだった。21年東京五輪・パラリンピックの招致にも尽力し、組織委員会の副会長も務めた。担当記者が急な別れを悼んだ。

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 荒木田さんと連絡を取れなくなったのは、6月下旬だった。それまでは、パリ五輪での日本代表のことを心配する電話やメールが頻繁にあった。だが五輪後、音信不通となり心配していた。その予感が当たり、がく然としている。

 「久浦君、元気してるー」と電話がかかってきて、バレー界のことをああでもない、こうでもないと話し、気づけば1時間を過ぎていることもしょっちゅうだった。荒木田さんは、東京五輪・パラリンピック後に発覚した談合事件に特に心を痛めていた。組織委副会長を務めた責任感から「大失敗ですよ。これをきちんと総括しないといけない。だけど、誰もやろうとしない。私は本当に悔しい」と、正義感はとても強かった。

 もちろん、バレー界についても常に気にかけていて「川合(俊一)会長は、何か手伝ってほしいことはないのかな。国際連盟との関係がうまくいかないのなら、私は何でもやるつもりなんだけど」とも話していた。もう「元気してるー」の声は聞けない。もう、バレーの話もできない。バレー界、スポーツ界は貴重な人材を失った。

(元バレーボール担当・久浦 真一)

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