白井貴子さん、荒木田裕子さんは「困った時のピンチヒッターだった」 女子バレー五輪でともに金

白井貴子さん

1976年モントリオール五輪バレーボール女子で金メダルに輝いた荒木田裕子さんが死去したと18日、複数の関係者が明らかにした。70歳だった。荒木田さんは語学が堪能で、国際オリンピック委員会(IOC)や、国際バレーボール連盟(FIVB)とのパイプを持ち、日本でも数少ない国際スポーツ人の先駆けだった。21年東京五輪・パラリンピックの招致にも尽力し、組織委員会の副会長も務めた。

 モントリオール五輪日本代表のエース、白井貴子さん(72)は18日午後3時頃、知人からのLINEで、荒木田さんの訃(ふ)報を知ったという。「びっくりしました。(荒木田さんと)最後に会ったのは4、5年前で、バレーの国際大会の抽選会でした。今思うと、ちょっと疲れた様子に見えました」と振り返った。

 代表時代、荒木田さんはオールマイティーの選手だった。「セッターも、レフトも、ライトも、レシーバーもできた。困った時のピンチヒッターだった」と、白井さん。山田重雄監督にとっては、チームに欠かせない選手だったという。

 現役引退後は、会う機会はそれほどなかったが、荒木田さんが、日本協会の強化委員長を務めるなどバレー界に貢献している姿を頼もしく見つめていたという。「バレーが大好きで、強化や普及にも力を入れていたのに…。まだ若いし…」と残念そうだった。

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