パリ五輪で5つのメダル獲得! チームの救世主として交代選手が躍動したフェンシング

2021年に開催された東京オリンピックのフェンシング男子日本代表・宇山賢。エペ団体の一員として、日本フェンシング界悲願の初めてのオリンピック金メダルを獲得した。その後、選手という立場から退き、フェンシング、スポーツを支える立場になれるよう第2のキャリアに挑戦している。

今回の2024年パリオリンピックでは、強化スタッフなど日本選手団に関わる形ではなく、競技普及に関する活動のためパリに入った。俯瞰した立場から見た今回のオリンピック。金2つ、銀1つ、銅2つ、合計5つのメダルを獲得し注目を集めた日本フェンシング選手団の活躍について宇山が語る。

最新テクノロジーがフェンシングを盛り上げた

新型コロナウイルス蔓延の影響から、2021年東京(夏季)と2022年北京(冬季)、2大会続けて無観客となったオリンピック。

有観客の開催地パリ市内は、開会に向け厳戒態勢が敷かれていた。普段のパリは路上駐車が当たり前。しかし道はすっきりとしていて通行しやすい状態。立ち寄ったレストランの店員は「こんなに静かで平和なパリは初めて」と笑いながら話していた。

大会の象徴の1つとなった、オリンピックシンボルが掲げられたエッフェル塔をはじめ、開会式周辺のエリアには専用のIDが無いと通行できない。しかし、その外ではたくさんの人たちであふれ、オリンピックが盛大に始まることを待ち望んでいるようだった。

個人的に今回注目していたのは、なんと言っても各国代表による入場行進だ。セーヌ川を船で悠々と渡る日本選手団の表情からは、オリンピックに関わることができる喜びと有観客の声援、注目からか笑顔に満ちていた。

今回の日本選手団の旗手の1人に女子サーブルの江村美咲が選出され、発表されたときにはフェンシング界が大きく盛り上がった。彼女は多くの期待、プレッシャーを背負いつつも、その注目に応えるべく堂々と日の丸の旗を掲げていた。自分も引退せずに続けていたら、あのボートに乗れていたのかな……と正直、羨ましいと思う心情もあった。

今回のフェンシング競技の会場は「グラン・パレ」。この建物は1900年パリ万国博覧会に合わせて当時の最新技術で建築された。高い天井が特徴的であり、2010年にはフェンシング世界選手権が開催されたこともある。

▲フェンシングの会場となった「グラン・パレ」 写真:筆者提供

このすばらしい空間での試合を世界中に届けるため、たくさんのテクノロジーが使われており、そのなかでも一際めだっていたのが「スカイカム」だった。

スカイカムとは、張り巡らされたワイヤー上を移動しながら撮影できるカメラであり、多様な角度から撮影することができる。サッカー中継など他スポーツでも使用されているが、フェンシングに使用されているのを見るのは初めてだった。オリンピックという注目される大会があるからこそ、新しい技術が活躍していく様子は興味深い。

▲「スカイカム」により、さまざまな角度から見ることができる 写真:筆者提供

圧倒的な強さを世界に見せつけた加納虹輝

フランスの国技であるフェンシング。そのなかでも、フランスのエペに対する力の入れようは過去の実績からも格別と言える。

東京オリンピックでは、当時のフランスの若手、ロマン・カノンネが個人で金メダルを獲得。ベテランのヤニック・ボレルは、今回のパリオリンピックでリベンジをかけ、フランス人選手を得意としていた日本の見延和靖山田優を破り、決勝の舞台に上がってきた。その同じ舞台に上がるのは日本のエース・加納虹輝。ボレルへの歓声は、審判の号令が全く聞こえないほどであった。

しかし、この応援などのプレッシャーからか、ボレルはミスが目立った。対して、加納は臆することなく持ち前のスピードやテクニックを操り、この舞台のために準備してきたプレーを淡々と発揮した。フランスのベテラン選手を、オリンピック決勝の舞台で寄せつけることなく“快勝”。日本フェンシング界初の個人金メダルを獲得した。

▲史上初の個人金メダルを獲得した加納虹輝(左)とツーショット  写真:筆者提供

帰国後、長年にわたり日本のエペの強化に多大なる貢献をしてきたヘッドコーチ、オレクサンドル・ゴルバチュクから決勝当時の様子を聞くことができた。「加納は精神的にとても落ち着いていて、逆に相手選手のほうが自国のプレッシャーからか、通常のパフォーマンスを発揮できていないように見えた」と話してくれた。

今年5月に開催されたワールドカップの団体戦において、チームとしては勝利したが、同対決の結果は個人スコア4-11と苦しい試合。しかし、その経験を活かし、技術面でも対策をおこなっていた。お互いに強い部分をぶつけようとするのではなく、あえて“弱い部分”を見せてあげることで、相手のミスを誘うというもので、この対策が功を奏したと語っていた。

試合終了時、観客はオールスタンディングオベーション。加納の勝利を讃えた。その光景からは“試合は争いではない”という、まさにスポーツのあるべき姿でありオリンピックが目指すオリンピズムが体現されていると感じられた。

史上初の女子種目メダル獲得とその意味

女子フルーレ団体、女子サーブル団体、ともに銅メダルを獲得した。これは日本フェンシング界で史上初の快挙であり、競技界隈でも悲願の成果に喜びの声が上がっている。

女子フルーレは「アジアで勝てても世界では勝てない」と言われていた。その理由として女子フルーレのチームは若いチームで構成されることが多く、ハングリー精神に欠けることが多かったからと僕は推測している。

そんなチームを変えたのが、2017年から加入したフランス人のフランクコーチ。もともとフェンシングを楽しみ、目の前の試合には向き合えていたが、足りなかったテクニックと、なによりも“勝つ覚悟”を何年もかけて育て、芽を出したのは東京オリンピック。実になったのがパリオリンピックであると考える。彼女たちが団体で金メダル、個人でメダルを獲得する未来も近いであろう。

女子サーブルは、フルーレよりも世界、ましてやアジアでも勝てないと言われてきた。サーブルは韓国やウズベキスタンなどアジアでも競合が多く、瞬発力や反射神経が他の種目よりも求められることから、フィジカル要素で他国より劣っていた。

その大きな壁を破ったのが江村美咲である。現コーチのフランス出身ジェローム・グーシュからの指導が彼女にマッチし、世界選手権2連覇、世界ランキング1位でパリオリンピックを迎えた。江村は日本選手団の旗手を務め、周囲からのプレッシャーからか、個人戦で思うような結果を出すことができなかった。しかし、その状況を支えたのは福島、高嶋、リザーブの尾崎だ。

準決勝進出をかけて戦った初戦は、世界ランキングでも格上のハンガリー。近年、団体として対戦しておらず、情報も限られているなかでの一戦となった。この試合を制したのは、江村だけの力だけではなく、この4人が揃っていたからこそのパフォーマンスと言える。

フェンシングは、近代オリンピックの初回大会(1896年アテネ)から採用され続けている歴史があるが、女性選手が初めて参加を許されたのは、1世紀前の1924年パリ大会である。

フェンシングというスポーツが、ひとつの歴史を刻むこのタイミングで、彼女らは偉業を成し遂げた。今大会では、IOCによって男女の参加比率が1:1になったと公表されている。ジェンダーに関する注目がスポーツ界でも広がるなか、彼女たちの活躍は周囲に勇気を与えるものになったと思う。

交代選手たちの活躍によるメダル量産と今後の課題

オリンピックにおいて、交代選手という立場があることは、あまり知られていない。開会式などのセレモニーに参加する権利もなく、選手村内に宿泊する権利もない。彼ら彼女らの立場は不安定であり、それは私自身が身をもって感じたことである。

私も東京オリンピックでは交代選手という立ち位置だった。当時、一時的には悔しい気持ちがあふれたが、“交代選手とは何か”というものと正面から向き合えたことで、試合当日まで準備をすることができた。

今大会、個人的には女子フルーレの交代選手である、菊池小巻がMVPだと思っている。日本勢が出場する団体種目のスタートを切った女子フルーレ。菊池の出番がやってくる。2プレー目に彼女が積極的な攻撃を繰り出した。結果は無効面(突いても得点にはならない)の判定だったが、その姿勢を見た瞬間に“菊池は準備がしっかりできている”と感じることができた。

もちろん、正規メンバー3人の活躍を含め、4人全員がパフォーマンスを発揮しての結果だと理解しているが、自分の過去と照らし合わせると、その喜びは大きいものだった。

翌日の男子エペでは古俣聖、その次は女子サーブルの尾﨑世梨、最終日は男子フルーレの永野雄大と、代表チームの交代選手の活躍に各メディアも注目した。単なる4番手ではなく、ピンチを救う救世主として交代選手が控えていたというイメージを体現してくれた彼ら彼女らに、自分も救われたような気がした。

その流れを最初に作ってくれた菊池に試合後、賞賛のメッセージを送ったところ、「東京のときの宇山のように、と意識した」と返信があった。種目や大会が違えど、自分が伝えられたものがあると感じて、いまさらながらに熱いものが込み上げた。

▲カウンターを決める菊池小巻選手 写真:筆者提供

太田雄貴氏によって、日本勢初のメダルを獲得したのは2008年北京オリンピック。その活躍をきっかけにフェンシングを始めた子どもたちが、今の代表メンバーのほとんどを占めている。

フェンシングというスポーツを始める動機のひとつに「自分もオリンピックに出てメダルを取りたい」という純粋な強い部分があると私は感じている。今回のメダル量産の注目により、メダリストになることを夢見る子どもたちが現れることが楽しみだ。

日本フェンシングの強さは今大会で十分に発揮される形となった。しかしながら、普及に関する課題は私も感じている。「フェンシングをやってみたい」という声に、どれだけ応えられるか。体験会やクラブの整備、指導者の養成など、オリンピックの熱が消える前に推進していくことが急務と考えている。

4年後の2028年ロサンゼルスオリンピックでは、もっと多くのファンに応援される競技に成長してほしい。私も支える側の立場として何ができるかを日々模索していく。

▲俯瞰の立場から見たオリンピックは勉強になった 写真:筆者提供

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