「周りは危険な囚人ばかり…」プロボディビルダー・山岸秀匡が直面した刑務所生活
日本人として初めて『ミスター・オリンピア』に出場した、世界屈指のプロボディビルダー・山岸秀匡。「ビッグ・ヒデ」の愛称でも知られる彼は、34万人の登録者数を誇る人気YouTuberでもある。
そんな彼が経験した「土壇場」、それはアメリカでの刑務所生活だ。ニュースクランチ編集部は、その壮絶な体験談を中心に、そこからの復帰と再び栄光をつかむまで、そして一度は引退を表明したものの、現役に復帰するに至った経緯や今後の目標などを聞いた。
筋肉増強剤の大量所持でアメリカの刑務所に収監
高校時代、ラグビー部で体を鍛えることに喜びを覚えた山岸は、大学ではバーベルクラブに入部。本格的にボディビルを始めた。それから30年以上、ボディビルを続けることができたのは、なによりもボディビルが好きだからだ、と語る。
「最高の自己満足を毎日、繰り返してますね。まず、筋肉をつけるということが、5年、10年という単位で時間がかかるので、とにかく長く続けなくちゃいけない。始めるときはモテたい、他人からどう見られたいとかですけど、それだと長く続かないんです。特にボディビルは“好き”じゃないとできない。ボディビルをプロでやってる人で、お金のためにやってる人はいないと思います。最終的には自己満足なんです」
2004年に渡米し、プロデビュー。すぐに結果は出なかったものの、2007年にはボディビルの最高峰『ミスター・オリンピア』に、日本人として初めて出場。名実ともにトッププロビルダーの仲間入りを果たす。
だがその直後、人生最大の「土壇場」に直面する。一時帰国していた山岸が、再びアメリカに渡り入国しようとするも、ロサンゼルス空港で入国検査に引っ掛かり、足止め。そのまま逮捕されてしまった。容疑はアナボリックステロイド、いわゆる筋肉増強剤の大量所持だった。
「自分の考えが甘かったんですね。そこで拘束されて、結局2か月、アメリカのジェイル、つまり刑務所に入りました」
ステロイドの使用については、プロに転向した頃から始めていた。それについては全く後悔はないという。
「自分が行動するときに考えるのは、“あとで後悔しないか?”ということ。晩年になって“ああしてればよかった……”と思ってしまうことが一番悲しい。自分の夢は『ミスター・オリンピア』に出場することであり、そのためにステロイドの使用は避けては通れないと思ったんです。
それが、良いか悪いかはそれぞれの判断によると思いますが、自分は使うことをチョイスしたわけです。その結果、自分の限界を見ることができたので、そこに全く悔いはないです」
山岸がアナボリックステロイドを使ってわかったのは、ステロイドは決して「魔法の薬」ではないということ。
「やっぱり基本は同じでした。トレーニングして、食事して、寝て、またトレーニングする。そうしないと筋肉は大きくならない。効果がないわけではないけれども、あくまで微力のヘルプでしたね」
刑務所でお酒を作ってしまうアメリカの囚人
ロサンゼルス空港で拘束された山岸は、そのままカウンティジェイル(拘置所)に移送された。
「そんな大事になるとは思ってなかったんです。朝、空港に着いて、そのまま夜まで取り調べが続いたんですけど、取り調べ中は“そろそろ帰れるかな?”とか呑気に考えていました。
すると、夜中になって空港からカウンティジェイルに連れていかれたんです。“あ、刑務所に入るのか”と。暖房も何もない集団部屋に詰められて、とにかく待たされました。冬だったので寒かったですね。時計もないので、どれくらい待たされたかもよくわからない。
その後、ブルーのジャンプスーツに着替えさせられて、さらに奥の部屋に連れていかれたんです。そこは、いわゆる海外の映画に出てくる刑務所のような、2段ベットがバーッと並んでる部屋に入れられました。そこは150人くらいインメイト(囚人)がいました。なにがなんだかわからないでまま、ジェイルでの生活が始まったんです」
寝ることもままならない過酷な環境での生活。それでも3日ほどすると、だんだんと慣れてきたという。
「人間って不思議なもので慣れてくるんですよ。周りの人とも喋るようになって。特に驚いたのが、食事で出てくるフルーツとか蜂蜜で、お酒を作ってる人がいたこと(笑)。ここにいる人たちは、何もないところからいろんなものを作って、楽しみを見つけてるんですよ。それは“すごいな!”と思って。
すごく歌がうまい人とか、すごく絵がうまい人とか、僕から見ても才能豊かな人がいっぱいいるんです。夜になったら歌声があちこちから聴こえてきて、“なんか映画みたいだな”と思いながら聴いてました。でも、彼らも育ってきた環境が悪かったんだろうな、ということも考えました。どれだけ才能があっても、悪事に手を染めないと生きていけない環境は存在するんだろうなって」
凶悪犯ばかりの環境で助けてくれたボディビルの経験
カウンティ・ジェイルで数日拘束されたあと、空港裁判所を経て、アメリカで最も警備レベルが高い「スーパーマックス」刑務所に収監された山岸。そこではボディビルで鍛えた体が役に立った。
「最初、刑務所に入るときに、全裸にされてお尻の穴まで見られるんですけど、そのときに“すごい体してるヤツがいる”って話題になったみたいです。刑務所にはランクがあって、数字が大ききれば大きいほど危険な囚人ということになるんですが、自分は起訴された件数がすごく多かったので、かなりレベルの高い7番というところに入れられたんです。
見るからに危ないヤツばっかりで、“ここはヤバイ”と思いました。ここで生き延びる覚悟を一度は決めたんですけど、たまたま刑務官の一人が、ボディビルダーとしての自分のことを知ってたんです。
その人が、“こいつのこと知ってるから、そんな凶悪犯じゃない”と言って、レベルの低いところに移してくれたんです。ボディビルをやってたから刑務所に入ることになったんですけど、ボディビルのおかげで最悪の事態は免れました。あのまま7番に収監されてたら、どうなってたかわからない(笑)。
それから、カウンティジェイルでもそうだったんですが、刑務所に入ってる人たちは外見にすごく左右される。強そうなヤツならあまりちょっかいは出してこない。俺自身はトラブルに見舞われることなく穏やかに過ごせました。それはよかったなと思います」
ボディビルによって訪れた土壇場を、ボディビルによって救われた山岸。それでも、約60日間にも及んだジェイルでの生活。そこで山岸が身をもって体感したのはアメリカの「負」の側面だった。
「刑務所で初めて“人種”というものを意識しました。それまではアメリカに住んでいても、人種について意識することはなかった。刑務所では人種別に使えるトイレが決まってたりして、なんでも人種で分けられてるんだということを知りました。
それから、犯罪者ってめちゃくちゃ口がうまいんですよ。彼らと喋ってると、“なんでこんな良いヤツがジェイルに入ってるんだ?”って思うし、みんな無実なんじゃないかと思うくらいなんです。だけど、実際はすべて口だけ。彼らと相対してると、世間にはこういう口がうまいヤツがゴロゴロいるんだなとわかりました。それだけに騙される人がいるのもわかります」
一度は引退するも…念願の『オリンピア』を獲得
そんな壮絶な経験を経て、プロボディビルダーとして競技に復帰。2016年には、かのアーノルド・シュワルツェネッガー主催の大会『アーノルド・クラシック』の212ポンドクラスで、この大会では日本人初となる優勝を成し遂げる。
2020年に自身10度目となる『ミスター・オリンピア』に出場。その後、初の自伝『筋トレは人生を変える哲学だ』(KADOKAWA)で競技からの引退を表明……したのだが、2023年に競技に復帰。40歳以上の世界一を決める大会『マスターズ・オリンピア』に出場した。
「じつは……あまり出る気はなかったんです。引退する前の最後の数年は本当にツラくて、肉体的にはもちろん、メンタルがキツくなっちゃいました。“もうやりたくない”って思いが強かったんですけど、私のパートナーであるFWJの庄司さんから“もう一度、全盛期の山岸さんを見たいな”と言われて。それに応えたいという気持ちになったんです。
それでも、まだ踏ん切りがつかなくて迷ってたんですが、大会に出るための準備を始めてみたんです。そうしたら、長年のトレーニングと栄養摂取が日常のライフスタイルになっていたので、昔みたいに気張って準備しなくても、半分準備できてる状態に体がなってたんですね。この状態だったらと思ったので、出ることを決めました。体が先にあって気持ちが固まりましたね」
そして、この大会で山岸は見事に優勝。夢だった『オリンピア』の称号を獲得した。
「『マスター』はついたけど『オリンピア』のタイトルを獲得できたので、それは本当にやってよかったなと思います」
山岸が『マスターズ・オリンピア』に出場するうえで心がけたのは、「日常的な生活をしながら、体をコンテストに出場できる状態に仕上げる」ということだった。
「これまでコンテストに出ていたときは、メンタルがちょっとおかしいというか、そのことしか考えてなくて。冷静になって振り返ってみると、“あんなことはもうできない”という思いがありました。
今はジムも経営してますし、YouTubeもやってるし、サプリメント販売のビジネスもやってるので、当然そちらが優先になって、ボディビルのことは2番、3番になる。“その状態でもコンテストに出れるのか”ということを模索しました。いざやってみたら出られたし、しかも優勝できたので、こういう楽しみ方もあるんだと思いました」
一度は引退を決意した山岸に新たな目標ができた。それは「生涯現役」だ。
「プライオリティは変わってますけど、トレーニングに関しては“好き”なので、一生続けていきます。栄養摂取は大変なんですが、ボディビルを30年やってると、普通に生活していても、筋肉はそんなに落ちないということがわかったんです。
来年の『マスターズ・オリンピア』に出るか出ないか、まだ決めてないですが、この調子なら“出れる”という思いがあります。まだまだ続けていきますよ」
(取材:山崎 淳)
07/22 12:00
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