伊藤千桃74歳「40代で2人の子どもを抱えて離婚、葉山の自宅でカフェ運営。お金はなくても、自然に囲まれ、知恵を使って暮らすことが私の楽しみ」
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生活費を銀行から借りたことも
神奈川県葉山町での私の暮らしをご存じの方は、「優雅で素敵ね」とおっしゃいます。でも、昔からお金の心配がない生活なんてしたことがありません。いつも「どうやって工面しよう……」と思って暮らしているのですから。
振り返れば、40代で2人の子どもを抱えて離婚。専業主婦で収入のあてもないのに、思い切ったものです。
しかし、ありがたいことに、私にはこの土地と家がありました。ここは、養母が購入した土地。私の実家です。結婚して一度は東京で暮らしましたが、無機質なマンション生活はストレスが多く、娘が生まれてすぐに葉山に戻りました。今から40年ほど前の話です。
母に「あなたは養女できょうだいもいないのだから、家くらい持たないとダメよ」と言われ、建てたのがこの家。都会暮らしが好きだった夫は16年ほど葉山で暮らしてくれましたが、やはり性に合わなかったのでしょう。
夫が家を出たあとは、私が生活費の工面をしなければなりません。大学生の娘の学費は夫が出してくれましたが、東京で一人暮らしをする娘の生活費は銀行から借りて用立てるしかありませんでした。
働きに出ることも考えました。けれど、勤めに出たら家や庭の手入れができなくなる。そこで、家でできることを考え、自宅でカフェを始めることにしたのです。そのときは「なんとかなる!」という一心でした。
細々と始めたカフェでしたが、少しずつお客様も増え、海外から来てくださる方も。とはいえ、こんな山の上にある小さなお店ですから、収入は生活できるギリギリです。
それでも、庭のハーブでお茶を淹れたり、手作りのケーキでもてなしたりする毎日は、東京での暮らしよりも性に合っていました。
ケータリングの仕事で余裕はできたけれど
カフェを始めて数年後、娘が生まれたばかりの子どもを連れて戻って来ました。大学で経済を学び、卒業後は飲食関係の仕事をしていた娘が、カフェの売り上げを見て「何の儲けにもなってないじゃない」とビックリ。放っておけないと思ったのでしょうね。カフェを閉じて、一緒にケータリングサービスと、離れを開放して民泊を始めることにしたのです。
葉山という土地柄もあるのか、ロケ用のお弁当を100個予約いただいたり、マリーナのヨット大会にケータリングを頼まれたり。鎌倉の方にホームパーティ用のお料理を頼まれることも。この小さなキッチンでお弁当を100個、娘と詰める。やってみると、意外とできるものですね。
娘親子は2階で暮らし、私は1階で一人暮らしを満喫しています。家計も食事も別。仕事で得たお金は娘が管理してくれているので、私は気楽なものです。わずかな年金と、足りなくなったら娘にお給料をもらいます。
年金は前倒しで60歳から受給しているので、若干少ないですが、定期的に入ってくるお金はありがたい。とはいっても、ここでの暮らしはお金をあまり使いません。水道・光熱費と携帯電話代、税金くらいでしょうか。
食材はケータリング用の材料の残りがあるので、困ることはありません。工夫すれば、簡単だけど美味しい料理ができます。
息子家族も近くに住んでいますが、息子の妻はもともと都会っ子。当初は、デパートがない生活が寂しそうでした。
お客様が来るので急いでケーキを焼くと言えば、「え!? 買ってこないんですか?」と驚かれ、私が一人で庭の草むしりをしているのを見ると「業者さんに頼まないんですか?」と不思議がられ……。そんな彼女も今ではすっかり葉山暮らしが板につき、気に入っているようです。
洋服を買うのは4、5年に1度くらいでしょうか。気に入ったものしか買わないので、30年近く着ているものもあります。ファッションは大好きですが、シャツとジーンズが何着かあれば、毎日洗濯して着るので十分です。
娘と私用に2台あった車は1台を手放し、今は娘の車をときどき借りています。基本はどこへ行くのも徒歩。2時間くらい歩くのも平気です。毎日、犬の散歩に行きますし、ゴミ出しは坂の下まで行かなければいけません。足腰が鍛えられて健康になるので、お金がないのも悪くないものです。
「病気をしたらどうするの?」と聞かれることもありますが、少ないながらも医療保険に入っていますので、何かあればその範囲で、と子どもたちにお願いしています。今は、体調が悪くなれば庭のハーブを煎じて飲むだけ。2日も寝ていれば元気になりますから。化粧水もハーブを使って自分で作っています。
あるとき、友人が指の関節が痛むへバーデン結節で病院通いをしているという話になりました。「どんな治療をするの?」と聞くと、しばらくお湯に手を浸けるのだといいます。これは笑い話ですが、それだけなら家の洗面所で十分ですよね。
私が優先的にお金を使うのは、この場所で暮らすための費用です。家や庭の手入れにかかるお金は必要経費。自分でできることはして、どうしても難しい場合のみ業者さんにお願いします。
たとえば、こんな1日が私の日常です。庭のハーブやレモンの木の世話をしたあと、おやつ用のドーナツを生地からこねて、発酵させている間に掃除機をかける。そのあとシャワーを浴び、ドーナツを揚げて一人コーヒータイム。お金はかかっていませんが、豊かな時間です。
ケータリングの仕事が入れば、娘と調理。そんな生活が、きっと優雅で素敵な暮らしに見えるのかもしれません。でも、お金がないからそうやって暮らしてきただけなんですよ。
自然に囲まれて、知恵を使って暮らすことが私の楽しみであり、幸せ。ここでの暮らしは豊かで、お金がたくさんなくても安心できます。だからあれこれと贅沢する必要はないのです。
お金持ちの友人に羨ましがられるなんて
こんな話をすると、不安がない達観した人に思われますが、それも70代の今だからこそ。お金に何不自由なく暮らしている友人をすごく羨ましいと思うこともありますよ。
でも、彼女たちはいつも退屈しているといいます。だから外に出かけて買い物をしたり、素敵なレストランで食事をしたり。それなのに、なぜか私が羨ましいというのです。
私はいつも家のことで手一杯。忙しくて、ゆっくり外食を楽しむ暇もありません。それに人づきあいにはお金がかかりますしね。ですから、大切な友人との特別な時間のためにとっておきたいのです。
ときどき仕事で都内に出ることがあり、そんなときは年に1度くらい、友人と食事を楽しむ。それで十分です。
そんな私も、数年に一度は海外旅行を楽しみます。イタリアでバッグデザイナーをしていた友人が相棒です。彼女は実家も裕福で、2人で旅行をするときは、彼女はファーストかビジネスクラス、私はエコノミークラスで。「じゃあゲートで待ち合わせね」という具合です。
以前タイに行ったときは、安宿を探してきてくれて。激安旅行です。タライの水で髪を洗うような美容院に行ったこともありました。
そのあとは、特別に高級ホテルでランチをするのです。「こういう経験も楽しいわよね!」と言ってくれる彼女とは気が合って、ときどき一緒に出かけています。
子どもたちは「お母さんは、お金がなくてよかったね」と言いますが、そうなのかもしれませんね。お金があったら、ものは手に入れられたかもしれませんが、退屈して満たされない毎日を送っていたでしょう。
結婚した頃は料理もできないような状態でしたが、少しずつ生活の知恵を身につけていくうちに、手作りするのが楽しく豊かな生活だと思うようになりましたから。
今もこれからも、きっとお金はないけれど、家族で食卓を囲んだり、庭でキャンプをしたり、愛犬と海を散歩したり。自然の恵みをいただきながら、穏やかに過ごす毎日が幸せなのだと思います。
10/19 12:30
婦人公論.jp