齋藤なずな「78歳漫画家、多摩ニュータウンに暮らして40年。すっかり高齢者だらけになった団地の、実体験を元に描いた漫画『ぼっち死の館』で話題に」

「住みはじめた頃は子育て世帯がたくさんいましたが、いまではすっかり高齢者だらけ」(撮影:藤澤靖子)
手頃な価格に適度な広さ。周辺は緑が豊かで、地域猫がやってくる――。そんな団地に40年近く暮らしているのが、漫画家の齋藤なずなさんです。『ぼっち死の館』は、団地暮らしの日常をもとに描かれたもの。実際の生活や、周囲の方との関係性について、お話を伺いました(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)

* * * * * * *

【イラスト】『ぼっち死の館』に登場する、ご近所さんたち

みんな明るくお迎えを待っている

団地を舞台にした漫画『ぼっち死の館』の反響がけっこう大きくて、びっくりしています。私は40歳で漫画家としてデビューしたのですが、76歳で代表作ができるとは(笑)。どこまでも遅咲きですね。

『ぼっち死の館』って、一瞬ドキッとするタイトルですね、とよく言われます。でも、この作品は私の身の回りで起こっている現実をもとに描きました。

私が住んでいるのは「多摩ニュータウン」といって、東京の西のほうの街にある団地。住宅不足が起こっていた、昭和のベビーブームの頃に建てられたところです。

都心から引っ越した当時は、夜は真っ暗だし、なんてところだろうと思ったのだけれど、住めば都。ここに住んでもう40年近く、緑も多いし、けっこう気に入っています。

住みはじめた頃は子育て世帯がたくさんいましたが、いまではすっかり高齢者だらけ。駅から団地へと走るバスに乗っていると、年齢層の移り変わりがよくわかります。

ご近所さんと「あの人、最近あまり姿を見ないねぇ」などと話していると、ひとりで亡くなっていたとか、病院に運ばれたとか、しょっちゅうよ。みんな慣れているのか、とくに驚かないし、それほど深刻にもなりません。

外からサイレンの音が聞こえてくると、ほかの棟の友人から「救急車がどこに停まったのか、下を覗いてみてちょうだい」と電話がかかってきたりして、みんな興味津々。「次は私かねぇ」などと、みなさん明るくお迎えを待っています。(笑)

ご近所さんとの井戸端会議では、「クリスマスもひとりだからクリぼっち」や「ぼっち正月」なんて言葉がよく出てくるので、『ぼっち死の館』というタイトルを思いつきました。

漫画はいまも手描き。すべてひとりで仕上げていく

《ヒモ様》の夫と60歳で結婚

かくいう私も「ぼっち」のひとり。約10年前にダンナを見送り、それからひとり暮らしです。

おひとり様になってさみしいかと言われると、まったく(笑)。ダンナが亡くなって、肩の荷が下りたというか──。というのも、私が58歳の時、ダンナが脳梗塞で倒れて半身不随になりました。

それから自宅で11年介護をしていたので、その間は漫画を描くどころではなかったんです。見送った時、これでやっとすべての時間が自分のものになると、晴れ晴れとした気分でしたね。

実は介護が始まるまで、ダンナとは婚姻届を出していませんでした。結婚というものにあまり興味がなかったし、必要性も感じなくて。

彼との出会いは、ずいぶん前のことになりますけれど、私が静岡から上京して短大を卒業したあと、英語学校で事務の仕事をしていた時でした。そこに経営側で携わっていた彼は、『文藝春秋』の記者もしていたから、ちょっと素敵に思えちゃったのよ。私もまだ素朴だったし。

絵を描くようになったのもこの頃です。英語学校で使う教材の絵を描いていた人が退職したのを機に、少し絵の描ける私が後任を頼まれて。

そのうちに出版社に勤めていた友人の紹介で、雑誌や単行本のイラストを描くようになりました。英語学校は辞め、イラストレーターとしてなんとか暮らしていけるようになったのです。

絵が鍛えられたのは『サンケイスポーツ』で漫画ルポを週に一度担当したからだと思います。当時は写真のほうが高価だから、記者と一緒に全国を飛び回って取材相手のイラストを描いていたんです。

なにせスポーツ紙ですから、いかがわしい場所にも行きました。女の人がふんどし姿で男性を接待するふんどしパブとか、SMショーにも行きましたよ。たぶん私は好奇心が旺盛なんでしょうね。そういった仕事も、けっこう面白がってしまう性格です。

気がつけば、こうしたイラストの仕事を始めて8年が経っていました。そんな時にダンナが病気を患い、それをきっかけに、ずるずると働かなくなってしまったんです。しかも、働かないのに外に女をつくる。もう、漫画の題材にもならないようなダメ人間で。(笑)

よく、「結婚してないんだから別れればいいじゃない」と言われたのですが、どうして別れなかったのかと自分でも思います。「なんでこの人、こんなことできるんだろう」「へぇ~、不思議な人だなぁ」と目を見開いて観察しているうちに月日が経ってしまったんです。

話を戻すと、そんな《ヒモ様》に介護が必要になり、医療費を私がすべて払っているのに、夫婦じゃないからって医療費控除が受けられない! かなり頭にきたので、60歳の時に婚姻届を出しました。そんな夢のない結婚です。

後編につづく

ジャンルで探す