全員がロードレーサーの三兄弟、次兄が事故で下半身不随に。「もう一度バイクに乗せたい」と試行錯誤の末、21年ぶりに鈴鹿で走ることが叶って

走行会後、充実した表情でスピーチをする青木拓磨さん(撮影:木村直軌)
足が動かない人や目の見えない人が、バイクでさっそうと風を切る――。そんな光景を創り出した団体があると聞き、走行会に行ってみた。主催は一般社団法人Side Stand Project(通称SSP)。夫の勧めで、友人に誘われて、など参加のきっかけはそれぞれだ。ライダー、ボランティアスタッフ全員が一体となって楽しむイベントに参加する人たちの思いは(撮影=木村直軌)

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【写真】ボランティアスタッフたちがライダーたちを迎える

前編よりつづく

「無理です」とは言わない

SSPでは、教習所やサーキットの敷地を借りて、毎月のように全国各地でイベントを開催している。教習所で開催する初心者向けの練習会や、今回のようなコースを使った走行会、公道を走る「やるぜ!! 箱根ターンパイク」など、習熟度に応じてさまざまな形態があるのだ。

2019年にプロジェクトが発足して以来、参加者は約160人、ボランティアに携わった人は約1600人にのぼる。

「リピーターの方に加えて、新規で待っている方が常に30~40人ぐらいいる状態です。練習用の補助輪付き車両は1台しかないし、運営側のキャパシティの問題もあって、毎回数名しか呼べない。申し訳なく感じています」と、治親さんは言う。

数人のパートスタッフはいるものの、運営はほとんど現役オートレーサーである治親さん1人で行っている。活動は参加費用を徴収しておらず、企業や個人の寄付頼みだ。

その協力を募るために企業を回るのも治親さんの重要な役目だが、二足の草鞋を履く生活は楽ではない。

「収入はオートレースのみで、SSPは完全なボランティア。僕もいつまで元気でやれるかわからないし、今のうちに組織として基盤を作っておかなければと思っているのですが……」

そんな苦労をしてまで、活動を続けるのはなぜか。

青木三兄弟がロードレースの道に進んだのは、幼少期に父が買ってきたポケットバイクに夢中になったのがきっかけだった。小学生のレース大会に出場したのを皮切りに、負けず嫌いだった三兄弟全員がロードレーサーを目指すようになり、1997年には3人揃って世界選手権を走るまでになった。

だが翌98年、拓磨さんを悲劇が襲う。テスト走行中の事故で脊髄を損傷し、下半身不随となったのだ。

治親さんが、そんな拓磨さんをもう一度バイクに乗せられるかもしれないと知ったのは、それから20年後だった。

「普段は車椅子生活の方がバイクに乗っている、海外の映像を見たんです。『もしかしたら』と思いついて、宣篤に相談しました。それで、鈴鹿8時間耐久ロードレース(毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される、日本最大のオートバイレース)で拓磨がデモンストレーションをする、という目標を掲げたプロジェクトが始動しました」

治親さんは早速、車体を改良できる部品を海外から取り寄せ、試行錯誤を繰り返した。アイデアを聞いて、「遅えよ」と照れながらも喜んでくれた拓磨さんと兄弟たちの努力の末、翌年の7月、ついにプロジェクトが結実する。

6万人超の観衆を前に、21年ぶりにバイクで鈴鹿を走る拓磨さんの姿は、全国のバイク好きを驚かせ、感動させた。

「その後、『私もバイクに乗れますか』って、さまざまな障害でバイクを諦めた人たちからたくさんの連絡をいただいたんです。これまでバイクに生かされてきた僕だから、バイクで何か恩返しをしたいという気持ちはずっとあって。それで、活動を一般の方にも広げました」

日々舞い込む相談。そのいずれにも、治親さんは「無理です」と言ったことがない。

「障害を抱えている方は、日頃から何かを諦めさせられることばかり。無理だと言うのは簡単です。でも、僕が断ればその人が一歩前に出るチャンスをつぶすことになる。だからノーと言いたくないんです。やってできなければ諦めもつく。まずはチャレンジしてみることが大事だと思っています」

治親さんが走行中のライダーに無線で指示を出す

目が見えなくても、バイクが初めてでも

治親さんたちは、視覚障害を持つ人の夢も叶えた。細川紀子さん(50代)は、網膜色素変性症のため、40歳ごろから徐々に視力を失った。バイクは乗ったことがないけれど車は好きだった彼女は、視覚障害者のメーリングリストでSSPの活動を知る。細川さんは翌日電話で問い合わせ、練習会に応募した。

「夫は少し心配しましたが、子どもたちは『ママすごい』と賛成してくれて。補助輪を付けた大きなバイクにまたがった瞬間、全身から喜びが湧き上がり、不安なんて飛んでしまいました。

『右手のアクセルをまわして』『ブレーキの用意』など、インカムから聞こえる指示に従い、体で風を感じるのが最高に気持ちよかった。周りでスタッフの方々が応援してくださっているのもよくわかって、一緒に走っているような一体感もすばらしかったです」

拓磨さんも、「可能性は人が決めるものじゃない。自分自身で探っていくものです」と語る。

事故の後、四輪での復帰を目指すも、「障害が身体の50%以上ある人は不可」という理由で、日本でライセンスが下りず、活動の場を海外に移した。昨年のアジアクロスカントリーラリーでは、健常者ドライバーに交じって総合優勝を勝ち取っている。

「障害者にどう接すればいいかわからない、という人もいると思います。でも、必要なのは特別なことじゃないんです。みんながお互いを認め合い、誰も置いてきぼりにならない社会を作ること。たとえば車椅子のためにインフラを整備すると、『特別扱いするな』と声が上がることがありますが、そうじゃない」

「特別」ではなく、あくまでみんなが「普通」になる、と考えるべきだと拓磨さんは言う。

「メガネが必要な人もいれば、補聴器が必要な人、車椅子が必要な人もいる。それをみんながわかっていれば、よりよい社会が開けていくと思います」

イベントを通じて最も印象に残ったのは、ライダーだけでなく、ボランティアの方々も本当に生き生きと活動していたことだ。一つの目標に向けて、それぞれが自分のできることを、楽しみながら精一杯やる。障害の有無は両者を隔てる壁ではまったくなかった。

治親さんは言う。

「健常者だって何かをする時に誰かの手を借りなければいけないことがたくさんある。だから僕らがやっているのは、特別なことではないと思うのです」


お互いがお互いのサイドスタンドとなり、ともに挑戦したり楽しむことが当たり前になったとしたら。それは誰もが生きやすい社会ではないだろうか。

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