足が動かない人や目の見えない人が、バイクでさっそうと風を切る。障害がある人の「やりたい」を叶える「Side Stand Project」
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【写真】6人のライダーを支えるために集まったスタッフは55人。1人のライダーに3、4人のスタッフがつき、乗車をアシストする
緊張感のなかにも笑顔が絶えない
強い風が吹く4月のある晴れた日。千葉県公認のレーシングコース・袖ヶ浦フォレストレースウェイで、小規模のバイク走行会が開催された。コースを走るのは6人。脊髄損傷、半身麻痺など、身体に何らかの障害を負った、《パラモトライダー》と呼ばれるメンバーだ。
主催するのは、Side Stand Projectという団体だ。健常者がサイドスタンド(二輪車を駐車する時などに用いる支え棒)のように支えることで、「障害があってもバイクに乗りたい人」を応援する。
代表の青木治親(はるちか)さんは現役のオートレース選手で、ロードレースの元世界チャンピオン。長兄の宣篤(のぶあつ)さん、次兄の拓磨(たくま)さんとともに、ロードレース界では「青木三兄弟」として名を馳せた。
1998年、練習中の事故で下半身不随となった次兄の拓磨さんを再びバイクに乗せるために発足したプロジェクトが、その前身となっている。
だがプロはまだしも、障害のある一般の人が、不安定で操りにくい二輪の運転などできるのだろうか。
この日、6人のライダーを支えるために集まったスタッフは55人。全員がボランティアだ。午前9時。開会挨拶に続き、ボランティアマネージャーの杉本卓弥さんがレクチャーを始める。
「安全第一のため、まずは情報共有が大切です。どんなに小さなことでも必ず周りに相談してください。スタッフには、医療関係者、バイク屋さん、教習所の先生もいます。専門の方の判断を仰いでくださいね」
続けてライダー一人ひとりの障害の詳細と、どんなサポートが必要かを丁寧に説明。ライダーごとにスタッフをグループ分けし、乗り降りをアシストする練習に入る。バイクは走り出してしまえば車体が安定するので、発進と停車さえサポートすれば問題ないという。
使用するバイクは、たとえば足が動かなければ代わりに手で操作できるよう、各人に合わせて改良されたものだ。専用のインカムがヘルメットについていて、走行中はライダーに指示することができる。
ボランティアスタッフの動きは機敏で、驚くほど連携が取れていた。ピリピリした雰囲気はなく、緊張感のなかにも笑顔が絶えない。
駆け寄る夫とハイタッチ
午前10時、1回目の全員走行が始まる。1人のライダーに3、4人のスタッフがつき、乗車をアシスト。車体の前と後ろについてバランスが崩れないようにスタート位置へ誘導し、徐々に手を放していく。
走り出したバイクを不安げに見守っていたのだが、一度スピードに乗るとそんな心配は消し飛んだ。どのバイクも翼が生えたように、のびのびとコースを周回する。
1回目の走行を終えた女性に話を聞いた。早岐(はいき)伸子さん、53歳。彼女は7年前に脳出血で右半身麻痺になった。
「夫婦でバイク好きで、以前は2人でよくツーリングしていたんです。恢復後のリハビリは、生活に精一杯で身が入らなくて。でも3年前、拓磨さんのイベントでの走行を見て、自分もやってみたいと言ったら、夫がここを探してきてくれたんです」
早岐さんの夫は、この日もスタッフとして妻の乗り降りを手伝っていた。早岐さんは語る。
「最初に見学に来た時、全盲の方が走るのを見て衝撃を受けました。インカムで指示があるとはいえ、どれだけ怖いか。それでも走りたいという意欲と、それを実現する姿を見て、諦めるのはまだ早いと思いました」
目標ができるとリハビリにも熱が入った。何度か初心者向けの練習会に参加し、去年からコースに出られるようになったという。走行後、駆け寄ってきた夫と、バイクにまたがったままハイタッチを交わす姿に、見ているこちらも胸が熱くなった。
あくまで自分のために
「僕らは24年前の同じ日に事故に遭い、リハビリの病院で偶然知り合ったんです」
そう言って笑うのは、古谷卓さん(50歳)と丸野飛路志さん(60歳)だ。古谷さんは脊髄損傷、丸野さんは右脚切断で義足。ともに車椅子を使っている。
「スポーツが好きで、事故後も車椅子バスケやアイスホッケーなどはやっていました。でも、バイクにもう一度乗れるとは思ってもみなかった。丸野さんが、『乗れるかもしれないけど、やってみる?』と誘ってくれて、『やる』と即答。初めてバイクに乗った時は、足が動かないのを忘れるぐらい楽しかった」と古谷さん。
丸野さんは、自分よりも重傷の古谷さんに気兼ねしつつ、彼のためにできることを探っていたのだと言う。
「僕は義足なので普通のバイクにも乗れるのですが、同じバイク好きの古谷さんの前では乗らないようにしていました。そんな時SSPを知り、1人で見学へ行って。これなら古谷さんにも紹介できると思ったんです」
今でも2人は病院やサーキットで少なくとも月に1度は顔を合わせ、走ったあとは帰り道の《反省会》を楽しむ仲だ。
「次のレースのこととか、あのバイクの乗り心地はどうだったとか、話は尽きません。彼はいわば戦友のようなもの」と丸野さん。バイクを通じて、2人の友情はより深まったようだ。
障害を持つ多くの人に影響を与えた青木拓磨さん本人も、午後の部から参加した。走行中、前輪を持ち上げて後輪だけで走る「ウィリー」という技を披露し、スタッフたちが沸く。
「見ましたか? 今の拓磨さんの走り。ありえないです。僕もバイクは長く乗っていますが、五体満足の僕より間違いなくうまい。障害って、一体なんだろうと思いますよ」と話すのは、ボランティアマネージャーの杉本さんだ。
バイク店を経営する杉本さんはもともと青木兄弟と親しかった。プロジェクト発足以来、毎回イベントに駆けつけてはボランティアマネージャーとして動いている。
「『障害者はみんないい人で、社会と繋がりたいけど繋がれない被害者だ』という偏見が、世間にはあると思う。でも違うんです。ハンデのあるなしにかかわらず、いい人もいればいやな人もいます。以前、スタッフに向かって、『おい、ヘルメット!』と横柄に命令した参加者がいて。それはおかしい。ライダーとスタッフは対等です」
自分でできることは自分でやってもらう。スタッフはあくまでサポートをするだけだと、杉本さんは言う。
「この活動を誰かのためにやっているなんて思っていません。もし自分が障害を負ってもバイクに乗り続けたい。乗れるものなら這ってでも乗ろうと思う。その気持ちが痛いほどわかるから、参加者をサポートするのは僕の喜びでもあるんです」
杉本さんの言葉に、イベントの雰囲気が心地よい理由がわかった。健常者と障害者の間の垣根がまったく感じられないのだ。それは、「やってあげる」という気持ちからではなく、各々が純粋に楽しんでいたからだろう。
09/05 12:30
婦人公論.jp