松井久子「76歳と89歳の再婚から2年。結婚を応援してくれた義娘夫婦とは別居に。残りの人生を二人だけで生きていく道を選んで」

「結婚とは、社会的な認知を得て祝福してもらえるものなんですね」(撮影:宮崎貢司)
人生のたそがれどきに出会いを得ても、子どもとの関係や迫りくる介護を考え結婚を選ばないカップルも多いもの。松井久子さんは76歳のときに、13歳上の思想史家の子安宣邦さんと再婚しました。その決断の理由と、現在の思いを明かします(構成=菊池亜希子 撮影=宮崎貢司)

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【写真】13歳上の夫・子安宣邦さんと

前編よりつづく

名義を変更する煩わしさ

結婚後の変化を一言で言うなら、「ラク」です。この年齢でコソコソ恋愛するのは私自身が気持ち悪くて。先生と私はいつも手を繋いで歩くのですが、近所の人に会ったとき、彼が私のことを「妻です」と紹介するのを聞いて、なんてわかりやすい! と思いました。結婚とは、社会的な認知を得て祝福してもらえるものなんですね。

一方で、日本では夫婦別姓がいまだに認められていないので、困ることもあります。姓が変わったほうは公的書類やパスポート、銀行口座やクレジットカードの名義をいちいち変更しなくてはならない。この煩わしさには怒りすら覚えます。

結婚という制度について言えば、そのために皆が縛られる。その現実は、根深いものだと思います。父親、母親といった役割を生きて、同じ屋根の下でただ暮らしている。同居していても、心は別々に生きている夫婦がとても多いと感じます。

でも、それは仕方のないことだとも思うのです。相性のいい人に出会ってずっとラブラブなんてケースはまれ。

ほとんどは、お互いが少しずつ無理や我慢をして一緒に生きる努力を重ねているわけですが、努力が成功するとは限らない。相手を間違えれば、努力しても苦労ばかりということもある。

それに比べて、仕事は裏切らないという実感が私にはありました。だからもう結婚はしないと思っていたのに、わからないものですね。

私たちが衝突しない理由

先生も私も、相手に「こうして」とは一切言いません。この年齢まで自分の人生を生きてきた者同士、お互い、大事なことやルーティンは変えず、一緒にいられることに感謝して、毎日を楽しんでいます。

そもそも先生には、家長的な性質がまったくないんです。それは幼くして父を亡くし、働く母親を支えて家事もこなしてきたからじゃないかと思います。男尊女卑的な考え方がなく、料理、洗濯、アイロンかけからボタンつけまで、何でもサラッとやってしまう。

お互いこれだけ年を重ねていると、好き嫌いがハッキリしていて、合わないことも多いのが普通でしょう。それで衝突する。

ところが、思想史の世界でひたすら思考して文章を書いてきた彼は、専門分野での集中力はものすごいけれど、それ以外はほぼ〈白紙〉。年齢を重ねた誰もが身につけているこだわりやワガママが皆無です。

感情を理性と知性で封じ込める訓練をしてきて、それがもはや性格となっている。だからずっと一緒にいても、衝突しません。これも私にとって初めての感覚でした。

一方で、先生はこれまで夫婦や家族に執着することがあまりなかったのではないかと感じています。愛情深い人なので、夫として父親としてできることを精一杯やってはきたけれど、夫婦や親子のあり方に疑問を持ったり、よくしようと働きかけたりすることはなかったのではないか、と。

ところが90歳を超えたいま、この結婚を通して、先生自身の人生を「生き直す」作業をしているようなのです。

この年齢での結婚は家族を作るためではない

実は、私たちの結婚を後押ししてくれた先生の娘夫婦が、少し前に家を出ていきました。結婚前から先生は長年、娘夫婦と同居していましたが、生活は完全に別々でした。夕食も先生はスーパーで自分で1人分のお惣菜を買って、ご飯を炊いて食べていたのです。

彼女は「父親を年寄り扱いするのは失礼」と思っていたようですが、両者の気持ちに齟齬も多少あったように感じます。

そこに突如、私がやってきて、夕飯は私が作り2家族で食卓を囲む生活になりました。その変化を先生はもちろん、彼女も最初は喜んでくれていたと思います。

ところが同居して5ヵ月ほどたったお正月、おせちを囲んだ数日後に娘さんの夫から突然、家族のグループLINEに「話し合いたいことがあります」とメッセージが届いたのです。

話し合いの席で彼に「彼女は久子さんが怖い、顔を見ると過呼吸になると言うんですよ。僕たちが出ていくことも考えています」と告げられ、娘さんからは、「ずっと我慢していたけれど、もう耐えられない」と……。

私は長く一人暮らしだったので、家族4人の夕食を作れることが嬉しくて、張り切って料理をしていたのですが、娘さんには複雑な気持ちがあったのでしょう。一人娘で、父親のことが大好きだった人ですから。そこからは私抜きで先生と娘夫婦が話し合いを繰り返し、最終的には同居を解消することになりました。

先生は自分の気持ちより家族が喜ぶことをしたい人でした。その彼が、娘に「久子と暮らすことは譲れない」と宣言した。それは先生にとって、これまでの自身の生き方をひっくり返すほどの覚悟を伴うものだったと感じています。

そんな先生のことが心配で、朝目覚めると、ベッドの中で私は何度も「大丈夫?」と問いかけてしまいます。そのたびに先生は、「久子がいるから大丈夫」。そして、「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれます。

何かの役割ではなく、自分のままでいていいという安心感。私が長い間、プライベートでも仕事でも、求め続けて得られなかったものはこれだと、いまはわかります。人生で初めて、あるがままの自分でいることが許される喜び。この感覚が、二人で暮らすなかでの最大の恩恵だと言えるでしょう。

家族のことについては、時間がかかっても、皆が幸せになれるといいと思っています。けれど、悩んでも考えてもどうすることもできないことが人生にはあると知りました。

結婚して2年が経ついま、私たちの年齢での結婚は、新たな家族を作るためのものではないと実感しています。子どもや孫たちに囲まれ、幸せなおじいちゃん、おばあちゃんとして生きていくこととは、両立しない。残りの人生を二人だけで生きていく道を選ぶこと、ではないかと思うのです。

私は、この先の人生を、先生と二人で歩いていきたい。闘病や介護の日々が訪れても、寄り添い抜くと決めています。

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