94歳の産婦人科医・堀口雅子「当時の産婦人科医は男性ばかり。同じ女性だからこそできることもあるはずとこの道へ。気に病まないのが一番の薬」

「〈人間はみな年を取っていくもの。自分だけじゃない〉と考えるようにすることが大事」と語る94歳の産婦人科医・堀口雅子さん(撮影:藤澤靖子)
女性ホルモンが減少すると、気分が落ち込みやすくなるもの。産婦人科に女性の医師が少なかった時代から60年以上、女性たちの悩みに寄り添ってきた堀口雅子さん。今悩みの渦中にいる人に向けたアドバイスは(構成=樋田敦子 撮影=藤澤靖子)

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【写真】雅子さんと同じく産婦人科一筋の夫・貞夫さんと

話すことによって、人は解放される

先月末、誕生日を迎えて94歳になりました。夫の貞夫に「私、何歳になったっけ?」と聞いたら、94と言われて本当にびっくり(笑)。そんな夫ももう91歳ですから、二人ともいい年だわね。夫婦で協力しながら、なんとか暮らしています。

私は、30代の初めに医師になってから産婦人科一筋。数年前までは定期的に病院で診察をしていたのですが、最近は不定期にお電話で相談を受けるくらいです。連絡してくるのは、心や体の悩みを抱える女性たち。年代は10代から更年期を過ぎた女性まで、さまざまです。

そもそも産婦人科というのは、出産に限らず女性が抱える心配事を扱う場所なのですよ。月経の不順やパートナーとのセックス、不妊や子育ての葛藤、更年期の不定愁訴……。そして、相談してくる女性たちの悩みは、私自身が通ってきた道でもあります。

『婦人公論』の読者は、更年期以降の年代が多いのでしょうか。65歳以降の「老年期」では、更年期ほど女性ホルモンの減少は急激ではないものの、シミやシワが増えたり、足腰が弱くなったり、以前とは違う自分を目の当たりにして、うつうつとすることも少なくありません。

また、家族の問題が起こってくる時期でもあります。夫が定年を迎えることで関係性に変化があったり、子どもの巣立ちによって「空の巣症候群」に陥ったり。親しい方との別れなども経験するでしょう。それらが心の負担になることもあるのです。

そんな方々に、皆さんより少しだけ人生の先輩である私がアドバイスするなら、「人間はみな年を取っていくもの。自分だけじゃない」と考えるようにすること。

年を重ねれば、シワも増えるし、体もうまく動かなくなる。けれど失ったものを数えて嘆くのではなく、少しずつ新しいステージに自分をなじませていく。そう捉えることが大切だと思います。

ただ、心の不調が続くようなら、迷わず精神科や産婦人科の医師に頼りましょう。その際は、複合的な視点で治療を提案してくれる医師を選ぶようにしてください。

私は一貫して診察中の《おしゃべり》を大事にしてきました。話すことによって人は解放される、というのが私の考え。対話療法とでも言うのかしら。自分の話をじっくり聞いてもらえると嬉しいものでしょう。とかく女性は親や夫に悩みを相談しても、「そんなもの知るか」と真剣に聞いてもらえないことが多いもの。

だから医師である私がその悩みの受け皿になろうと考えてきました。患者さんは話すことで自分の気持ちが整理できますし、私はその話から医師としてどうアプローチしていけばいいのかがわかります。

更年期以降の悩みを持つ人に、体内で起こる変化を医学的に説明したうえで、「みんなそうやって通り過ぎていくから、あなたもそんなに心配しなくて大丈夫よ」と伝えると、皆さんホッとした表情になりますね。

昔の産婦人科医は男性ばかり

私は、1930(昭和5)年の生まれです。医師の家系ではなく、家業は出版業。5人きょうだいの2番目、次女として生まれました。小さい頃は体が弱くてね。体調を崩すたびに診てくれた小児科の先生が素晴らしい方で、次第に「先生のような医師になりたい」と思うようになりました。

私が女学校を卒業したのは終戦直後です。当時も東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)はありましたが、私は共学がよかった。男女がともに学び、交流することで、新たな考え方を発見することができるのでは、と思っていたからです。

ところが他大学の医学部は女性に門戸がほとんど開かれていなくてね。そこで医師は諦めて、薬学を学べる学校に進学します。

卒業後は東京大学で研究職につきました。私が選んだ研究対象がホルモンです。男女の生物学的な違いについて研究するうちに、「医師になりたい」と再び思うようになって。挑戦したところ、なんとか群馬大学の医学部に入学することができました。その時、私は26歳。60人くらいのクラスのうち、女性は3人でした。

もともとホルモンを研究していたので、思春期から閉経に至るまでの、女性の体の変化についての知識は人一倍ありました。そこで目指したのが、産婦人科医です。今では考えられませんが、当時の産婦人科医は男性ばかり。同じ女性だからこそできることもあるはずだ。そう考えて志したのですが、またもや壁にぶつかりました。

医師として働くためには、どこかの医局に入らなければなりません。そこで東京大学の産婦人科に連絡を取ったところ、「これまで女性の医師はいませんから、無理です」と取り付く島もない。「女だから」という理由による拒絶には本当に腹が立ちました。

ところがしばらくして、急に入局を許すと言うのです。なんでも東大に縁のある方の娘さんが入局を希望しているとか。だからあなたも許可しますと。釈然としませんでしたが、チャンスですからもちろん入局しましたよ。

医局は男ばかりでしたが、とまどいはなかったです。むしろ周囲のほうが気を使っていたのではないかしら。医局から派遣されて病院を回っていると、患者さんやスタッフは女性の医師を見たことがない。患者さんに、「看護婦さーん!」と呼ばれるのもしばしば。あとで医者とわかってびっくり仰天されました。

私が診療することが当たり前になると、患者さんに「女性医師だから悩みを伝えるのが恥ずかしくない」と言われることも。そう聞くと、やはり女性医師の存在は必要なんだと思うようになりました。

気に病まないのが一番の薬

同じ医局に勤める、3歳下の貞夫と結婚したのは38歳の頃。当時としてはかなり遅い結婚です。夫に結婚した理由を聞くと、「家庭の中に閉じこもっているよりも、社会とつながりのある仕事をしている人のほうがいい」と思ったとか。年は私が上ですが、産婦人科医としては夫が先輩です。

39歳で長男を、42歳で次男を出産。これまた、当時としては《超》のつく高齢出産です。とはいえ、私も夫も医師としてさまざまなお産を経験していましたので、慌てることはありませんでした。子どもたちは貞夫が取り上げたんですよ。

子どもを持ったことで、女性たちが子育てに関して抱える葛藤を理解できるようになりました。子は可愛い存在である一方、産んでしまうと以前と同じようには過ごせなくなる。仕事と子育ての両立に悩む人たちの相談にもずいぶん乗りました。女性医師や看護師たち仲間と、保育園を作るなんて挑戦もして。

更年期も、ホルモン補充療法の助けを借りつつ乗り越えました。患者さんを見ていると、更年期が来るぞと身構えれば身構えるほど、症状が重く出ているようです。気に病まないのが一番の薬とも言えますね。

70歳、80歳、90歳……と節目を超えるにつれて、確かに体の衰えは出てきます。でも老いを残念なこととは思っていません。むしろ小さくてもいいので、成し遂げたことに目を向け、「私はまだできる」と思いながら過ごすようにしています。

幸い体調も良く、こうしてお話もできる。これからも困っている人がいたら、医師として、人生の先輩として、その人が悩みから抜け出すお手伝いできたらと願っています。

次からは、患者さんから相談を受けた際に、お伝えするアドバイスをまとめました。迷った際の道しるべにしてください。

「ラクに老年期を過ごすためのヒント7」につづく

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