県庁で働こうと思ったが…無名からヤクルト1位、愛知工大の中村優斗

ヤクルトからの1位指名を受け、気勢を上げる愛知工大の中村優斗投手(中央)=2024年10月24日午後6時36分、愛知県豊田市、小玉重隆撮影

(24日、プロ野球ドラフト会議)

 24日にあったプロ野球ドラフト会議で、ヤクルトから1位指名を受けた愛知工大の中村優斗投手は、ほんの少しほおを緩めた。

 「(顔に)出さないようにしていたけど、内心はうれしかった」

 無名だった長崎・諫早高時代、プロ野球は「ほど遠い夢」だった。

 コロナ禍だった高校3年の長崎独自大会は初戦敗退。高校では農業土木科で、卒業後は県庁で働こうと思っていた。

 その決断に待ったをかけたのが、愛知工大の平井光親監督だ。元ロッテで首位打者経験もある平井監督の目には、光るものがあった。

 「高校生の中ではレベルが違う」

 就職を希望する中村を説得するため、何度も長崎に通った。中村も、やりきれていない自分の思いに気づいた。

 「まだ、成長できるかもしれない」

 高校で手をつけていないウェートトレーニングに力を入れた。頭角を現したのは大学3年の春。150キロ超の速球に加え、鋭く落ちるフォークやスライダー。3季連続で、リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。

 今年3月には、日本代表「侍ジャパン」の強化試合に「飛び級」で選出された。

 周囲はプロばかり。国際大会どころか、全国大会も初めてだった。気にかけてくれたのが、ヤクルトの村上宗隆だ。

 3学年上のスラッガーは、「緊張していない?」ときさくに声をかけてくれた。張り詰めていた緊張から、気が楽になった。

 「村上選手はベンチで誰よりも声を出していた。人間性も素晴らしかった」

 強化試合では、欧州代表を相手に1回無失点。プロでも戦える、と自信がついた。

 最終学年の秋は調子を崩すこともあったが、大学最終戦で初の160キロをマーク。夢の夢だったプロ野球は、いつしか現実味を帯びていた。

 1位指名の喜びは格別だ。「自分のように可能性がなかった人間でも、プロに指名していただけると示せてよかった」

 ドラフト会議の中継は、チームメートも大学で見守った。中村が指名を受けると、本人より先にその仲間たちが涙した。

 指名を受け、頭によぎったことは。

 そんな質問に、中村は迷わず仲間との日々を挙げた。

 「同級生たちと一緒に4年間トレーニングしてきて、頑張ってきた姿が浮かびました」

 名前の由来は、言葉通り、「優しい人」。

 周囲に愛される人柄も、この右腕の魅力だ。(加藤秀彬)

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