棋士コンビでM-1に出場して…「だからこそ将棋の成績を残さないといけない」という思いを強めたワケ

「実力もさることながら…」当時14歳だった藤井聡太が、三段リーグの対戦相手に与えた“衝撃”とは〉から続く

 昨季は昇級・昇段を果たし、服部慎一郎六段と組んだ漫才コンビ「もぐら兄弟」の活動も話題となった冨田誠也五段。インタビューの後編では、「振り飛車党」としての思い、M-1グランプリにチャレンジした真意について聞いた。

【画像】棋士コンビとしてM-1に出場した「もぐら兄弟」の服部慎一郎六段と冨田誠也五段

冨田さんの作戦に対するこだわり

――前期の順位戦C級2組で9勝1敗の成績を上げ、C級1組に昇級しました。このように将棋で結果を残された時に精神が高揚することはないのでしょうか。

冨田 プレッシャーがすごくかかっていました。正直、三段リーグを抜ける時よりもC級1組に上がるときの方がきつかったです。7勝1敗で残り2局を連勝なら昇級という2ヵ月間は、肌荒れなども出ました。それは今でも完治していません。他の棋士に聞いても順位戦の昇降級争いは体に異変が起こると言います。昇級できたときもうれしいというより安堵の方が強く、そして上がったら上がったで、次もまた1期目からB級2組へと思っています。気が休まるときがなくて、ホント、割に合わないですよね(笑)。

 

――冨田さんは振り飛車党として知られていますが、作戦に対するこだわりなどはありますか。

冨田 振り飛車は子どものころから指していますが、自分に合っていると思います。美濃囲いの美しさが好きなんですよ。作戦という意味では相手のデータを調べるのが好きですね。初手から調べて、何を指したらどうかと、それぞれの勝率を比較して作戦を決めたりしています。それもあって事前に手番が決まっている順位戦は自分には向いていると思います。昼食休憩の時点で当初の想定から外れているとピンチで、準備が甘かったかということになりますね。

 最近だと順位戦で門倉さん(啓太六段)と指した将棋がそうでした。昼食休憩での局面自体は知っていましたけど、そうなる可能性を低く見積もっていたので、それほど研究しておらず失敗したと後悔していました。勝ち負けは結果なので仕方がないですが、対局中に「もう少しやっておけばよかったか」と思うようなことはしたくないですね。

師匠譲りのスーパー四間飛車、と言われるようにもなりたい

――一番影響を受けた振り飛車党の棋士を挙げるとするならば?

冨田 一番というと難しいですね。まず御三家の先輩(藤井猛九段、久保利明九段、鈴木大介九段)がいるじゃないですか。皆さんの棋譜をたくさん並べて、それぞれのいいところを真似しようかと。奨励会時代は菅井さんの記録を一番取っていました。あとは大山先生(康晴十五世名人)の全集も並べましたね。自分は受け将棋だと思っていますが、大山先生の手厚い受けにはかなり影響されました。もちろん四間飛車に愛着があるので、師匠譲りのスーパー四間飛車と言われるようにもなりたいです。

 ただ昔と比べるとそこまで振り飛車にこだわる気持ちはなくなっています。以前はここ一番は四間飛車と考えていましたが、最近はそうでもありません。四段昇段の一局も居飛車でした。もっともこれは相手が振り飛車だったこともあります。その時に一番勝率の高い作戦を選ぶこともありますが、私は振り飛車党というよりは、対抗形党なんです。

――近い世代の関西棋士についてはいかがでしょうか。

冨田 注目はしていますね。子どものころからの付き合いとなる人が多くて、古森君や黒田君は友人の延長という感じです。あと最近は服部君の将棋は見ています。彼が勝っていると自分も頑張ります。やっぱり、お互いに勝っていた方が、漫才の仕事などでも機嫌よく向き合えますから。服部君とタイトル戦の挑決を戦った出口君(22年の第7期叡王戦)は小学2年の頃からの知り合いで、お互いの実家を行き来していました。出口―服部の挑決となったことで、どちらがタイトルへ挑戦しても遠くに行ってしまうなと思い、挑決当日はサウナに籠って、リアルタイムで将棋をみないようにしていました。

趣味はサウナ通い?

――以前、別の対局で冨田さんに取材した時も、その後にサウナへ行くとおっしゃっていた記憶があります。サウナ通いは趣味なのでしょうか。

冨田 趣味と言えるものがあまりなく、サウナ通いとそれに合わせた旅行くらいですかね。体を動かすのは好きなので、ジムには行っていますけど。こだわりがあまりないので、誘われたら何かをするという感じです。こんなこと言っていいのかどうかはわかりませんけど、棋士になってよかったなと思うことの一つは、普及などの仕事であちこちへ行けることです。

――それくらいは言ってもいいでしょう(笑)。特に印象に残る場所などはありますか。

冨田 仕事ですと、棋士になる前ですが、2018年の竜王戦第6局で記録係を務めた鹿児島の指宿ですね。その一局で副立会人を務められたのが佐々木勇気さん(八段)で、その時からお世話になっています。今期の竜王戦七番勝負では第6局の指宿があれば行きたいですね。

ABEMAは一番楽しくできたトーナメントでした。

――他に冨田さんがファンの注目を集めたのではと思う舞台がABEMAトーナメントではないでしょうか。2年前と今年は予選を勝ち抜いてエントリーチームとして参戦し、昨年は斎藤リーダーの指名を受けての参加でした。

冨田 2年前のエントリーチームは「下克上」というチーム名の通りで、チーム藤井に勝ったりもして、自分にとってはプロになってから一番のニュースでした。1年前は選ばれたプレッシャーを感じていましたね。私は選ばれるかどうかの当落線上にあったと思うので、リーダーに迷惑はかけられないと思っていました。

――フィッシャールールという独自の超早指しについてはどうですか。

冨田 持ち時間としては自分に一番向いていると思います。長い将棋ですと考えた末に気持ちの整理をつけてから指さないといけないという状況がありますが、フィッシャーだとそんな暇はなく、思い切りよく指すしかありません。その結果として普段よりも手が延びます。

――適性があったということでしょうか。今年は再び予選を勝ち抜いてのエントリーチーム参戦です。

冨田 自分が一番驚きました。ベスト4で当たったのが西田さん(拓也五段)なのですが、それまで西田さんに勝ったことがなくて決勝も強敵の古賀君で勝てるとは思っていなかったです。たまたま運がよくて無欲でやったのが良かったですね。今年のABEMAトーナメントはトークはもうチームメイトの井出さんにすべてをお任せして、自分は笑っているだけ。一番楽しくできたトーナメントでした。

――冨田さんはABEMAの番組では解説でもよく登場されていますね。

冨田 フィッシャーのような早指しの時は解説というよりも実況というか、視聴者の方を盛り上げることを意識しています。持ち時間の長い将棋の時も、基本的には話を面白くするように心掛けています。自分に最新形の解説は求められていないと思うので(笑)。

 基本的に話すことが好きなので、長時間の将棋でもフィッシャーでも、どちらも歓迎ですが、フィッシャーの将棋は1日に解説する対局が多くなり、また控室でチームメイトが聞いていますよね。フィッシャーに選ばれる棋士は強い方ばかりなので「あいつ、何言っているんだよ」と思われるのは怖いです。将棋が最新形に進んだら、あからさまに口数が少なくなりました(苦笑)。

「もぐら兄弟」として、M-1への出場のきっかけ

――話すことが好きということで、関連してM-1への出場についてお聞きします。そもそも、なぜ服部六段と「もぐら兄弟」のコンビを組まれたのでしょうか。

冨田 最初は2年ほど前に西遊棋(関西の若手棋士が構成するユニット。関東のそれに「東竜門」がある)のイベントで、私と徳田君が対局し、負けたほうが服部君と組んで、その日の最終演目として漫才をするというのがありました。そのネタ自体は本職の芸人さんが作ってくれたものです。将棋ファンは暖かい方が多いので笑っていただき、拍手もくれました。鳥肌が立つほどうれしかったのを覚えています。お笑いっていいものだと思いました。

 ただその後に服部君と活動するということはありませんでした。転機となったのは昨年で、長谷川さん(優貴女流二段)の結婚式があり、その余興で漫才を頼まれたんです。それから何度か漫才をやって、じゃあM-1にも出るか、という流れです。

――もともと、お笑いはお好きだったのでしょうか。

冨田 関西で生まれ育ったこともあり、子供のころからM-1や吉本新喜劇も見ていました。芸人の方ではかまいたちさんが好きです。M-1はアマチュアでも出られるので、人生で一度くらいは出てみたいなと思っていました。お笑いは芸人さんがファンの方を笑わせることで皆が幸せになる、そういうのが良いと思いましたね。

――もぐら兄弟と同時期に、関東では「銀沙飛燕」(山本博志五段と谷合廣紀四段の漫才コンビで、やはりM-1へ挑戦)が登場しました。

冨田 衝撃でしたね。銀沙飛燕が先だったら、自分たちがM-1へ出ていたかは微妙だったと思います。

今後の「二刀流」の活動は?

――これからのもぐら兄弟の活動はいかがでしょうか。

冨田 もう一度M-1へ挑戦するということはないと思います。将棋のイベントで求められたら多少は、でしょうか。将棋ファンへ向けるネタと、M-1のためのネタでは違いもありますし、外部に向けてというのは少なくなりそうです。一つ宣伝をしますと、もぐら兄弟のTシャツを販売中なので、それを着てイベントなどに来ていただければと。

――いわゆる「二刀流」の活動について、いかがでしたか。

冨田 棋士は将棋をやってなんぼだと思う人もいるはずで、だからこそ将棋の成績を残さないといけないという思いがより強くなりました。服部君が順位戦を先に上がっていったことで刺激になった面もあります。

 自分は三段で一度退会した身と思っており、また将棋界における役割として、いい棋譜や人を感動させる将棋を沢山残せる立場とは思っていません。色々なことにチャレンジして、将棋をより多くの人に知ってもらえればと思います。一回しかない人生なので、大学へ行ったこともつながりますが、将棋以外のいろいろな人とかかわりを持って、多くのことにチャレンジするのが自分の人生の幸せだなと。それで将棋も勝てたら、カッコいいじゃないですか。

写真=石川啓次/文藝春秋

(相崎 修司)

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