【パリ五輪「メダル候補」たちの素顔】カヌー・矢澤亜季 ハマった理由は「非日常の景色」祖母から習った日本舞踊で体感が作られた

カヌー日本代表の矢澤亜季

 

 1カ月後に迫ったパリ五輪。カヌー日本代表として出場する矢澤亜季が、これまでの人生を振り返った。

 

「3歳上の兄の練習について行って、一人用のボートでスイスイと漕いでいく兄の姿を見ていたら、楽しそうだなと思ったんです。それで『私もやりたい』と父にお願いして、小学校3年生のときにカヌースラロームを始めました」

 

 そう話す亜季は、リオデジャネイロ、東京に続き、今回のパリで3度めの五輪出場となる。父の勝美さんもカヌーの選手で、兄の一輝さんとともに指導を受けた。

 

 

「カヌーを始めて最初のころは、池や湖で練習していました。自分だけのボートで好きなところへ行けるのが、とにかく楽しくって。人間は基本的に陸の上で生活していて、水の上をスイスイ漕いでいくのも水上から眺める景色も、日常では味わえないこと。たとえば春だったら桜をボートから見上げたり、四季を楽しむことができたのがとにかく素敵でした。そんな思いから、どんどんカヌーに夢中になっていったんです」

 

 競技ではなく、遊びとしてカヌーを始めた亜季。徐々に川に出るようになり、本格的にのめりこんでいった。

 

「川での練習となると、自分の身長よりも高い波に向かって漕ぎ出さなければいけないときもありました。そういうときは怖い気持ちが先にきて、最初はあまり好きではありませんでした。地元の長野県の天竜川は“暴れ天竜”とも呼ばれるほど、流れが激しいんです。そんななかで練習しているうちに、徐々に怖さから楽しさに気持ちが変わっていきました。ライバルはいつも兄で、『負けてたまるか』という気持ちで漕いでいました」

 

 北京、ロンドン、リオと、3回の五輪出場を果たした兄の背中をずっと追い続けてきた亜季。2011年はロンドン五輪の出場がかかっていた世界選手権で結果を残せず、惜しくもチケットを逃した。

 

「すでにロンドンの出場を決めていた兄から、『五輪に出場するためにはどうしたらいいのかを、もっと考えなさい』と言われて、ここから競技への意識が大きく変わりましたね。

 

 兄とは、私が高校進学で東京へ出てきてからずっと2人暮らし。ふだんの生活はもちろん、日本代表の合宿でも一緒でした。そのころは、日常生活から競技のことまで、兄にアドバイスをしてもらっていました。本当に感謝していますし、私にとっては大きな存在です」

 

 もう一つ、亜季を成長させたものがある。激しい流れをくだるカヌースラロームとは正反対に静かな動きが求められる、日本舞踊だ。

 

「日舞は祖母がやっていたことがきっかけで、祖母に3歳から習っていました。日舞は体幹が重要で、曲にあわせてしなやかな動きで踊ります。足腰がしっかりしていないと体幹がぶれるんです。カヌーは長座(両足を伸ばした状態で座った姿勢)で座るので、足・腰・お腹・体幹がしっかりしていないと力を出せませんし、激しい動きに耐えられません。日舞で磨いた体幹が、カヌーに生かされていると感じています」

 

 彼女が競技や舞踊にひたすら打ち込んできた理由を聞くと、恥ずかし気に自身の性格をこう明かした。

 

「なにかにつけ、人と被るのがあまり好きじゃないんです(笑)。習い事もクラスメイトと同じことをしたくなかったという思いがありました。あとは何かを一人で孤独にやっていくのがすごく好きで。そんな性格だから、日舞やカヌーを選んだのかもしれませんね。私がこれまで五輪で出場してきた『スラローム』という種目は、急流のなかのゲートを通り抜ける技術と速さが求められる、いわば“自分との闘い”。ヨーイドン! でみんなで競争する種目は相手を気にしてしまうので、苦手意識があって……。一人でやる競技が好きなのかもしれないです(笑)」

 

 そんな彼女がパリ五輪で新たに挑むのが、苦手な“対人”の競技だという。

 

「新競技の『カヤッククロス』は、スラロームを4人一斉にスタートしてタイムを競い合う対人競技。互いに妨害もアリなので、 “水上の格闘技”と呼ばれるほど激しくぶつかり合うんです。“自分との闘い”である『カヤックスラローム』と対人競技の『カヤッククロス』の2種目に出場するので、ふたつとも見ていただければ嬉しいです。私自身としては3回めの五輪。これまでの経験を生かして、大舞台でしっかり自分のパフォーマンスを披露したいと思っています」

 

 亜季が掴んだ3度めの五輪の舞台。そこにはどんな“川の流れ”が待っているのだろうか。

ジャンルで探す