大失敗…。冬の海外移籍で苦しんだ日本人選手5人。難しいタイミング? 欧州で適応に苦しんだ実力者たち

【写真:Getty Images】

2024年となり欧州主要リーグの冬の移籍市場が開幕した。Jリーグがオフシーズンのこの時期でJリーグから海外に移籍する選手もいるが、欧州のクラブがシーズン途中のこのタイミングでの加入は難しく、適応に苦戦することは珍しくない。今回は、冬の海外移籍で失敗した5人の日本人選手を厳選して紹介する。
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MF:中田浩二(なかた・こうじ)
生年月日:1979年7月9日
移籍先:鹿島アントラーズ→マルセイユ(フランス)
移籍日:2005年1月31日
移籍金:フリー

 監督の強い意向で獲得された選手は、その監督が解任されてしまうと立場が危うくなる。その代表例が元日本代表MF中田浩二だろう。

 中田は、フィリップ・トルシエが率いた日本代表で主軸として活躍し、2002年の日韓ワールドカップで全4試合に出場。そして2005年1月に元日本代表監督の恩師を追いかけてフランスの名門マルセイユに移籍した。

 得意とするボランチやセンターバックなどのセンターラインではなく、あまり日本時代はプレーしてこなかった左サイドバックでの起用が多かった。それでもトルシエ体制では出場機会を得たが、怪我や同監督の解任により、移籍から半年経たずして構想外となった。在籍2シーズン目となった2005/06シーズンはさらに出場機会を減らし、2006年1月にスイスのバーゼルへと移籍。わずか1年でマルセイユを退団する結果となった。

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FW:大久保嘉人(おおくぼ・よしと)
生年月日:1982年6月9日
移籍先:ヴィッセル神戸→ヴォルフスブルク(ドイツ)
移籍日:2009年1月3日
移籍金:200万ユーロ(約2.4億円)

 セレッソ大阪でプロデビューを飾った大久保嘉人は、後にJ1最多得点記録を更新することからもわかるように、Jリーグで数多くのゴールを決めてきた。しかし、2度に渡る海外移籍は成功したとは言い難い。

 特に難しかったのが2009年1月の自身2度目となる海外移籍だ。長谷部誠も所属していたヴォルフスブルクに2008/09シーズンの後半戦から加入も、エディン・ジェコとグラフィッチの不動の2トップを前にベンチを温める日々が続いた。同シーズン、ヴォルフスブルクはクラブ史上初めてブンデスリーガを制覇し、長谷部とともに優勝を経験したが、同リーグでのスタメン出場はわずか1試合に留まった。Jリーグ時代と打って変わって得点も0に終わっている。

 予想以上に出場機会を得られなかったことや、1年後に迫る南アフリカワールドカップに向けて大久保はわずか半年でのヴィッセル神戸復帰を決断した。結果的に2度目の海外移籍は短期間で幕を閉じ、失敗と言わざるを得ない挑戦となってしまった。

MF:山口蛍(やまぐち・ほたる)
生年月日:1990年10月6日
移籍先:セレッソ大阪→ハノーファー(ドイツ)
移籍日:2016年1月1日
移籍金:100万ユーロ(約1.2億円)
 所属していたセレッソ大阪と日本代表でレギュラーに定着していた山口蛍は、満を持して16年の冬の移籍市場で海外挑戦を決断した。ところがこの挑戦は想像以上に短いものとなってしまった。

 山口が加入していた当時のハノーファーは清武弘嗣酒井宏樹が所属しており、適応には困らないかと思われていた。ところがチーム事情の影響で本職のボランチではなく、右のサイドハーフで起用されたり、チームがダントツの最下位だったりしたこともあり苦戦。3月の日本代表戦で負傷するまでは比較的多くの出場機会を得ていたが、この怪我で早々に山口の2015/16シーズンは終了した。

 チームの2部降格や本人の強い意向もあり、ハノーファー移籍から半年後にセレッソ大阪復帰が決まった。山口のハノーファーでのデビュー戦は2016年1月30日で、ラストゲームは同年3月19日。ドイツで試合に絡めたのは2ヶ月足らずというあまりに残念な結果で、彼の海外挑戦は終わった。

DF:槙野智章(まきの・ともあき)
生年月日:1987年5月11日
移籍先:サンフレッチェ広島→ケルン(ドイツ)
移籍日:2011年1月1日
移籍金:フリー
 サンフレッチェ広島に在籍していた2010シーズンにJリーグのベストイレブンに輝いた槙野智章は、同年末に海外移籍を目指して渡欧。練習参加したドルトムントとホッフェンハイムでは契約に至らなかったが、ケルンへの移籍を勝ち取った。

 デビュー戦となったザンクト・パウリ戦こそCBで先発出場を飾ったが、それ以降はベンチを温める日々が続き、11年1月から11年12月までの約1年間の在籍期間でわずか247分間の出場に留まった。

 2011/12シーズンにはセカンドチームで試合に出場するなどトップチームで構想外に近い扱いとなっており、欧州移籍から約1年後の12年1月にサンフレッチェ広島時代の恩師、ミハイロ・ペトロヴィッチが新監督に就任した浦和レッズへの期限付き移籍が決定した。翌13年に完全移籍での浦和レッズ加入が決まり、槙野の海外挑戦は正式に終わりを迎えた。

MF:井手口陽介(いでぐち・ようすけ)
生年月日:1996年8月23日
移籍先:ガンバ大阪→セルティック(スコットランド)
移籍日:2012年1月1日
移籍金:76万ユーロ(約0.9億円)
 ロシアワールドカップ出場がかかったオーストラリア代表とのワールドカップ最終予選で豪快なミドルシュートを決めて、日本代表を本大会出場に導いた井手口陽介だが、その後挑戦した2度の海外移籍はいずれも上手くはいっていない。

 リーズ・ユナイテッドへの移籍が失敗に終わり、初の海外挑戦から1ヶ月半が経過した19年夏にガンバ大阪に復帰。Jリーグで再び結果を残し、2022年の冬の移籍市場でかつて横浜F・マリノスを率いた経験があり、Jリーガーのことを熟知しているアンジェ・ポステコグルー率いるセルティックに完全移籍した。

 同時期に加入した旗手怜央と前田大然がチームの主力で活躍する中、井手口は加入から1年で公式戦6試合にしか出場することができていなかった。怪我の影響も出場機会を掴めていない理由だが、ポステコグルー監督の中で他の選手よりも序列が低く、22/23シーズンに至っては1試合も出場できず、23年2月にアビスパ福岡への期限付き移籍が発表された。福岡では公式戦32試合に出場してYBCルヴァンカップ優勝にも貢献するなど、まるで別人かのような評価を受けた。日本国内ではかつての輝きを見せていただけに、海外挑戦の失敗がより浮き彫りになってしまう。

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