電撃引退した最後の「松坂世代&ダイエー選手」和田毅がオフの旅番組企画でOBの池田親興氏に明かしていた「終わりの美学」
ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、福岡市内で引退会見を行った。球団が来季の契約を進めようとしていた中での電撃引退。1980年生まれ(和田は1981年の早生まれ)の最後の松坂世代、最後のダイエー戦士である和田は、満身創痍の中で大リーグ挑戦も含めた日米22年の現役生活に別れを告げた。テレビ西日本のオフ企画「和田投手と行くぶらり旅」シリーズで、2018年オフから故郷の島根県出雲から韓国まで濃密な時間を過ごしたOBで評論家の池田親興氏(65)に和田の功績と知られざる秘話を聞いた。
7月に引退を伝え、引退試合は固辞
誰もが驚いたに違いない。今季は故障に苦しみ2勝に終わったが、本拠地の開幕投手に一度は内定し、ポストシーズン用に中継ぎ準備までしていた和田が電撃的に会見を開き、引退を発表したのだ。
だが、和田は7月には引退を決断して妻には伝えていたという。
「5年前ぐらいから肩の痛みと戦いながら投げていた。ホークスで選手としての役割というのは、だんだん終わりを迎えているのかなと感じ、選手ではない立場でホークス、そして野球界に貢献したいと感じた」
引退の決断はギリギリまで内密に進めた。王貞治会長に報告したのも4日の朝という徹底ぶり。そこまで表に出さなかった理由は「和田さんのために日本一になろう、という空気にだけは絶対にしたくなかった」という美学。
そして引退試合についても「僕のプライドは真剣勝負。22年間、奪ってきたアウトの中に、その1つのアウトを入れたくなかった」との理由で固辞したという。
球団OBの池田氏も「驚いた」という。
だが、一方でここ数年、旅の中での話の中で「終わり」という言葉が増えていたことにも気がついていた。2018年のオフから池田氏は、解説を務めるテレビ西日本のオフ企画「和田投手というぶらり旅」で、和田と一緒に故郷の島根、宮崎、沖縄、北九州などを巡ってきた。昨年のオフは韓国。ソフトバンクでもコーチを務め、韓国では“野神”と呼ばれている金星根氏を訪ねた。
和田は、引退会見で引退を考え始めたのは、5年前と語っているが、池田氏も「確かにこの5年は、毎年、今年でダメなら終わりという覚悟を持ってシーズンに向かっていた。1年勝負の積み重ねが限界に達したのだろう」という。
「チームで一番走っていた男」
池田氏は、入団時から、メジャー挑戦の期間を除き、自主トレ、キャンプ、シーズン中と和田をずっと取材する中で印象に残っているのは、外野のレフトポールからライトポールの間を延々と走り続ける姿だという。
「どれだけ走っても膝に手をついて休むことも座り込むこともしない。今の時代は走ることへは、色んな考え方が出てきているが、和田の22年間を支えたのは、泥臭い原点とも言えるランニングだったと思う。会見では、最後は足の怪我にも苦しんだという話をしていたが、走れなくなったことで引退を決意したのだと私は思っている。引き際の美学というか、最後の松坂世代であり、最後のダイエー選手としてのプライドが、彼にこれ以上、マウンドに立たせることを許さなかったのだろう」
会見で和田は、膝、腰だけでなく、内転筋の肉離れを起こしたことも明かしていた。クライマックスシリーズ、日本シリーズでの中継ぎ左腕としてのチーム貢献を考えて、終盤には中継ぎテストをしたが、9月25日の西武戦では肩に痛み止め注射を打って登板。10月13日の実戦形式マウンドで左足を痛め、ポストシーズンでの登板はできなかった。
池田氏は、和田の凄さを「魔法のような投球術」と表現した。
「42歳で150キロをマークしていたが、おそらく打者の体感としてはもっと速く感じていたと思う。腕が隠れて出て、ストレートと変化球の腕の振りは同じ。回転数や回転軸などのベストのポジションを常にキープしていたんだと思う。ボールの質、そして投球術。最高のものを追求し続てきた姿が素晴らしいと思う」
和田は思い出に残るゲームとして、早大から“逆指名”で当時のダイエーに入団したルーキーイヤーの2003年の日本シリーズ第7戦に先発して2失点完投で胴上げ投手となったゲームをあげた。池田氏も「あの星野阪神との第7戦が私も印象に残っている。新人なのに、最後キャッチャーに背を向けて外野に向かってガッツポーズをした。なんてチーム全員のことを考えている男なのかと思った」と振り返った。
今後について和田は、「まったく何も決まっていない」という。
ソフトバンクでは、もちろん将来の幹部候補。
「今の自分ではまだまだ勉強不足ですぐなれると思っていない。しっかりと勉強してそういう日が来るのであってオファーをいただけるのであれば、それに見合う人物になって戻りたい」と偽らざる気持ちを口にした。
池田氏も「まるで哲学者のような人格者。社会貢献や子供達の野球普及にも力を入れてきた。コーチよりも監督向きだと思う。どのタイミングがいいかはわからないが、まずはコーチから入って将来的にはソフトバンクを監督として引っ張っていってもらいたい」と見ている。
和田が残したレコードは、日米通算163勝92敗。2010年、2016年に最多勝タイトルを獲得し、2016年は、最優秀防御率との2冠だった。2003年の新人王に2010年はMVP。オールスターには6回選ばれた。
「悔いのないやり残したことのない野球人生だと思っています」
最後まで涙はなかった。
11/06 08:46
RONSPO