なぜ阪神は岡田監督に続投要請をしなかったのか?

 阪神の岡田彰布監督(66)が今季限りで退任することが3日、明らかになった。2年契約を満了する岡田監督に球団サイドが続投要請を行わなかったものだ。阪神は同日に横浜スタジアムで行われた横浜DeNAとの今季最終戦に3-1勝利。退任報道を受けてファンは、岡田コールでその功績を称え退任を惜しんだ。次期監督には球団OBで現在球団本部付きアシスタントの藤川球児氏(44)が最有力となっている。

 次期監督は“火の玉”藤川氏が最有力

 雨が上がったハマスタのスタンドには「岡田監督、ありがとう」のパネルボードが掲げられ、その一文字、一文字をファンが揺らしていた。
 今季の最終戦を3-1の勝利で終えた岡田監督は「六甲おろし」が鳴り響くレフトスタンドへ向けて歩き始めた。選手会長の中野拓夢が音頭を取り、岡田監督以下、コーチ、選手全員が整列して、今季の応援への感謝の意を込めて頭を下げた。すぐに「岡田コール」が沸き起こった。岡田監督は帽子を脱いでその声に応えた。岡田監督がベンチへ消えるまでそのコールは終わらない。
「ありがとう」「お疲れ様」の声に岡田監督は何度も右手を振った。
 涙を流している虎党もいた。
 3日付けのスポーツ報知が「岡田監督今季限り退任、後任は藤川球児SA最有力」のスクープ記事を掲載、スポーツ各紙だけでなく朝日新聞や共同通信までその記事を追いかけてネット配信した。その報道を見た虎ファンたちは、昨季18年ぶりのリーグ優勝、28年ぶりの日本一の感動を与えてくれ、そして今季も5月、6月に低迷したチームを立て直し、最後まで巨人との熱い優勝争いを演じてくれた岡田監督への感謝の思いを「岡田コール」に変えたのだ。
 岡田監督は報道陣へのコメントを拒否してチームバスへ歩を進めた。
 全試合終了後、総括取材に応じないのは異例だ。取材を受ければ、退任報道の真偽についての質問が必ず出る。嘘のつけない岡田監督は喋らなかった。
 試合前にコーチ、選手にもまだ何も伝えていなかった。まずこの2年間共に戦った同志たちに伝えてからという決意なのだろう。義を重んじる岡田監督らしい配慮。
 午後4時に粟井一夫球団社長が横浜スタジアムで取材対応した。
「報道は出ていますけど、我々は現在戦っていますので、勝ちたい思いが強いですし、現時点では大変申し訳ないですがコメントすることはございません」
 人事問題をシャットアウト。ただ「報道に関しては何も言うつもりはないが、ちょっと控えといてもらえたらなと思います」と語り退任報道を否定しなかった。
「しかるべき時期に公表させていだたきたい」「戦いが終われば間違いなく公表させていただきます。戦っている最中は戦いに集中して欲しい」と続け、12日から甲子園で横浜DeNAを迎えて始まるクライマックスシリーズのファーストステージ、そこを勝てば16日からの東京ドームでの巨人との同ファイナルステージ、そしてその先にある26日からの日本シリーズが終わるまで監督問題を封印する意向を示した。
 ただ岡田監督は、コーチ、選手には、退任の意向を伝えた上で、CSからの“下剋上”の戦いに臨みたい考えだという。
 退任が決まったのは9月29日。巨人と最後まで優勝争いを繰り広げていたが、前日に神宮でのヤクルト戦に2-7で敗れ、マジック1だった巨人も広島に勝ったことで巨人の優勝、阪神の2位が決まり、移動日無しで甲子園に戻ってきたタイミングで杉山健博オーナー、粟井社長と話し合いを持ち、今季限りの退任が決まった。

 

 

 球団は岡田監督に続投要請を行わず、2年契約の満了による退任となった。ただ岡田監督の功績を認め、その卓越した野球理論と早大時代から培った球界人脈を今後の阪神のチーム編成や強化に生かしてもらうためにフロントのポジションを用意した。故・星野仙一氏は、監督退任後にSD(オーナー付シニアディレクター)に就き6年務めたが、同じような立ち位置となる予定だ。
 次期監督には、球団OBでSAの藤川氏が最有力だが、コーチ経験もないままの監督就任となる。阪神では同じくコーチ経験のなかった金本知憲氏に監督を任せて失敗した教訓があるため、岡田監督にフロントの立場から藤川体制をバックアップしてもらいたいとの狙いもある。
 ただ解せないのは阪神が今や名将と呼んでいい岡田監督への続投要請を行わなかった理由。理想でいえば、あと1年、岡田監督に任せ、藤川氏を入閣させて、その帝王学を学ばせてバトンタッチする形がベストだろう。
 なぜ阪神は続投要請を行わなかったのか。
 理由は2つある。
 ひとつは、11月で67歳になる岡田監督の年齢からくる健康問題を考慮したこと。10年ぶりに現場復帰した岡田監督は、“浪人時代”にゴルフで鍛えていたが「そりゃ使う体力は全然ちゃうでえ」とキャンプでは朝から晩まで長時間グラウンドに立ち、試合になれば極度の緊張やストレスの中で戦う環境の変化に苦しんでいた。
 特に「遠征の移動が疲れる」と言っていた。喫煙の影響か、咳も止まらず、今季は移動日やデーゲーム後に飲みにいく機会もガクンと減った。ベンチに入るとアドレナリンが駆け巡り、シャンとするが、そのスイッチが切れるとガクンと疲労に襲われた。
 そしてもうひとつは、事実上阪急が選定した岡田監督はそもそも球団の「意中の人ではなかった」という阪神の悪しき伝統と呼べる極めて政治的な理由だ。
 話は2022年にさかのぼる。
 沖縄キャンプ前日に、当時の監督だった矢野燿大氏が、その年限りで辞任する意向を公表するという異例の事態が起きた。球団は時間をかけて次期監督の選定作業に入り、当時、2軍監督で現在ヘッドコーチを務める平田勝男氏(65)に白羽の矢を立て、その次の監督候補として藤川氏を同時に入閣させるという数年先を見据えた“セット”で新体制を構築する考えを固めた。だが、この構想に阪急阪神ホールディングスの最高トップである角和夫CEOが“物言い”をつけた。
 村上ファンドの企業買収にさらされた阪神電鉄は2006年にライバル会社である阪急電鉄に“ホワイトナイト”を頼み、企業統合した。阪急阪神ホールディングスとなっても、阪神タイガースの経営運営は、阪神電鉄と球団に任されていたが、監督人事やFA補強など高額な出費が必要な案件ついては、阪急阪神ホールディングスの取締役会の承認、つまり阪急の合意をとりつけなければならなかった。ただこれまでは阪神タイガースのオーナー、すなわち阪神電鉄のトップの決定に阪急が意見を挟むことはほぼなかった。しかし2005年以来、17年間も優勝から遠ざかっている状況を憂う角CEOが初めて「その構想では勝てない」と、そのプランを差し戻して、具体的に2005年の優勝監督である岡田氏の監督就任を提案した。

 

 

 阪神はそのトップダウンを受け入れ、15年ぶりの岡田監督の再登板が決まり、リーグ優勝、日本一の感動をチームとファンにもたらした。角CEOは阪急前社長の杉山氏をオーナーとして送り込むなど岡田監督のバックアップ体制まで固めた。角CEOの強権発動は、結果的に大成功に終わったわけだが、今夏になって「私たちが口を出すのはこの2年まで。次の監督人事は阪神電鉄と球団が決めること」という姿勢を明らかにするようになった。
 岡田監督の契約は2年。3年目以降の監督人事は阪神に一任したのだ。
 劇団員が不慮の死を遂げた宝塚歌劇団の問題で揺れ、角CEOが来季限りの退任を株主総会で、明言せねばならない状況に追い詰められるなど、阪神タイガースの問題にパワーを注げないという状況も影響したと考えられる。
 阪神タイガースにおける阪神と阪急のパワーバランスが変わり、再び監督の人事権を取り戻した阪神は、もはや阪急に忖度することなく、契約社会のルールに従って2年契約を遵守する道を選び、続投という特別なオプションは採択しなかった。
 その背景には、岡田監督の手腕を正当に評価する前に「阪急さんに押し付けられた人」の経緯への“反発”があり、歯に衣を着せぬ意見を言い、フロントからすればコントロールしにくい岡田監督への“アレルギー”もあった。
 岡田監督というある意味“劇薬”を使いこなすマネジメント能力が阪神には欠けていた。監督の人事権が、阪神に戻った以上、2年前に次期監督として入閣させるつもりだった“意中の人”藤川氏を監督に据えようとするのは、自然の流れだったのかもしれない。
 岡田監督は就任時に「長くやるつもりはない」と明言していた。その2年の任期内に結果を残す公約も実現した。そして勇退の花道として岡田監督の尊厳を守るには十分のフロントのポジションも用意された。だが一方で「大阪万博が開催される2025年に阪神を優勝させて関西を盛り上げたい」との夢を語っていたこともある。
 今季限りで退任することへの胸中はまだ明かされていないが、自分に課せられた責任は果たした「やりきった」感と、連覇を実現できなかった悔しさが交錯しているのだろう。だが、まだ“下剋上日本一”という大きな目標が残っている。有終の美へ。岡田監督には思い残すことなく日本の野球史に刻まれる最高のタクトをふるってもらいたい。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)

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