「とんでもない運動神経」慶大野球部・清原正吾秘話 父・清原和博氏の逮捕、断絶を乗り越えた先に…入部挨拶を父は遠くで見守った

息子を遠くで見守っていた

 10月24日のドラフト会議で注目されるのが、元西武や巨人の清原和博氏(57)の長男で慶應義塾大の清原正吾(22)だ。様々な困難を抱えた清原家の父と子の秘話を、ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする(文中敬称略)。

【写真】プロ志望届を提出した慶大4年の清原正吾

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 4年前となる2020年の夏の終わり──。慶應義塾大学の下田グラウンドを訪ねた大男がいた。清原和博だった。巨人在籍時の打撃コーチ・内田順三に案内された清原の目的は、慶大野球部の練習視察だった。慶大監督の堀井哲也が振り返る。

「二言、三言しか言葉を交わしませんでしたが、(長男の)正吾が大学で野球をやりたいんだ、ということでした。『入部を希望しているのなら、一度連れてきてください』とお伝えしました」

 内田と堀井は同じ静岡出身で、堀井が2019年まで監督を務めたJR東日本で内田に外部コーチを依頼したこともある旧知の間柄だ。

 2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、ふたりの息子や慶應に迷惑をかけた清原からしてみれば、独りで出向くことは憚られ、恩人である内田に仲介を頼んだのだろう。

 当時、慶應義塾高校3年だった正吾がグラウンドを訪れたのは秋口のことだ。堀井はこう告げた。

「6年間野球をやっていないと聞いているし、まして清原和博さんの息子だ。注目もされるだろうし、大変だぞ」

 小学3年生で野球を始めた正吾だが、慶應普通部(中学)ではバレーボール部、塾高ではアメフト部に所属した。正吾は堀井の目を直視し、すぐに返答した。

「清原という名前で野球をやる以上、それは覚悟しています」

 正吾の強い意思が感じられる眼力と言葉だった。

 その様子を、清原はグラウンドの遠くから静かに眺めていた。父である自らの過ちによって正吾は野球から一度、離れた。その息子が、再び野球を始めると決断したことはこれ以上ない喜びだった。

 その日、堀井と共に正吾の話を聞いたのが、塾高の元監督で、慶大のコーチを務めた上田誠(現・香川オリーブガイナーズ球団代表)だ。

「自分が野球を頑張ることがお父さんの励みになると言っていて、正直、そんな気持ちで野球をやる18歳がいるのかと驚きました。

 中学、高校と別のスポーツをやっていた子が大学野球に挑戦するなんて、普通はあり得ない。ところが、高等部のアメフト部の監督に言わせると、『とんでもない運動神経』らしいんです。アメフトで日本代表レベルにもなれる逸材なんだけども、アメフト部の監督や部長が『野球をやらせたら面白いんじゃないか』と、むしろ入部を勧めてくれていました」

 上田はアメフト関係者の声を堀井にも伝えた。

「もし彼が成功したら、同じように中高で野球をやっていなくても大学から挑戦するケースが増えるかもしれない。そんな話を堀井監督として、入れることにしたんです」

 主に二軍の練習を任されていた上田は、入学直後の正吾と接する機会が多かった。正吾の飛距離は目を見張るものがあったが、当初は変化球がまるで打てなかったという。

「当然ですよね。硬式球すら初めてなのに、大学生レベルの変化球を打席で見たことなんてないですから。私は『当てに行くな。とにかく振れ』とだけ伝えました。走塁も酷くてね……大変でした」

父・清原和博に近づくということ

 正吾が普通部(中学)に進学するタイミングで野球から離れたのは、当然ながら6年生の時の両親の離婚や、父の薬物騒動と無関係ではない。

 当時の一家の様子を証言するのは、清原兄弟が慶應幼稚舎(小学校)時代に所属した軟式野球チーム「オール麻布」の代表・福住高志(当時はヘッドコーチ)だ。正吾と福住の次男は、6年間クラス替えのない幼稚舎の幼なじみで、家族ぐるみの付き合いは現在も続く。

「母親の亜希さんは子供たちの生活を守ることに必死だった。清原さん=野球ですよね。正吾が野球をやることは父親に近づくということですから、一家を知る者はみな共通の意識として、正吾を野球というスポーツに近づけたくなかった」

 喧騒のなか、正吾は野球から離れ、まだ小さかった3歳下の弟・勝児はオール麻布で野球を続けた。福住が続ける。

「亜希さんは、チームや相手チームに迷惑をかけることをすごく嫌がる方。だからこそ、勝児が野球をやることも反対した時期はあったと思います」

 事件を機に崩れた関係に変化があったとするなら、父子の“再会”だ。ある時、正吾は弟からバッティングの意見を求められた。しかし、野球から離れていた正吾に、弟に役立つようなアドバイスは送れなかった。

 清原家では父のことを「アパッチ」と呼んでいた。正吾の「アパッチに相談してみたら?」という一言がきっかけで、父が勝児の指導を再開することになったのだ。一家が練習場所に選んだのが、福住が運営する屋内練習施設「ベースランド」だった。

「清原さんと弟の練習を手伝うような感じで、正吾もうちに来ていた。亜希さんに似て常に前向きで明るく人の懐に入っていくのが上手な正吾に対し、弟はものすごく真面目だけど、父親に似て不器用なところもある。弟思いの正吾は父親との橋渡し役を担ったと思います」

 弟の練習をサポートするうちに、正吾も再び野球を志す決断をした。今年7月に私が担当した「Number Web」のインタビューで、正吾はこう答えている。

「自分が大学で野球を再開すると決めた時、一番喜んでくれたのが父だった。母も、僕や弟が野球をやることによって、父の功績や偉大さを改めて感じていると思う。うちの家族にとって、野球というのは本当に必要なツールなんです。一度、バラバラになった家族を繋ぎとめてくれたのも野球でした」

 父のお下がりであるファーストミットを左手にはめ、赤いリストバンドを着用して正吾は一塁の守備につく。打席では「リラックス」「センター返し」という父の教えを守ってきた。

 10月24日のドラフト会議で自身の名前が呼ばれる──それこそが最大の親孝行であると思って、正吾は運命の日を待っている。

【プロフィール】
柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。2016年に『永遠のPL学園』で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『甲子園と令和の怪物』がある

※週刊ポスト2024年11月1日号

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