《次々と明らかになる水原一平容疑者の過去》日本ハム通訳時代には「大麻所持の前科」を抹消 勤め先の日本酒輸入会社で起きた「不当解雇訴訟」の真相
ドジャースの大谷翔平(29)の口座から多額の窃盗をしていた元通訳・水原一平容疑者(39)。経歴詐称や大谷翔平への“口裏合わせ”の懇願など次々と明らかになる過去は、我々が抱いてきた“頼れる相棒”のイメージとはかけ離れたものだった。現地・ロサンゼルスで彼の半生を辿ると、彼が「不都合な過去」を消し去ろうとした痕跡が見えてきた──エンゼルス時代に水原容疑者と交流があった、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏がレポートする。(文中敬称略)【前後編の後編。前編から読む】
【写真】抹消されていた水原容疑者の「マリファナ所持」裁判資料。他、出廷前、玄関先にぽつんと置いてあった「お~いお茶」の段ボール。目がうつろだった解雇前日の水原氏など
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水原は高校卒業後の経歴を「カリフォルニア大学リバーサイド校卒」と公言していたが、同校は今回の騒動後、「彼が通っていた記録はない」と公表している。
高校を卒業したのは2003年。わかっているのは2006年頃から、父・英政の旧友である松木保雄(75)が店長を務める日本料理店「古都」で、数年アルバイトをしていた事実だ。松木が語る。
「ホール担当として時給9ドルぐらいで雇っていました。ロサンゼルスにある日本酒の販売会社で働いていた時期もあります。うちにも一度営業に来ましたが、向いていなかったのか、あまりうまくなかったですね。一平ちゃんの父からは、カジノのディーラー学校に通っていたという話も聞きました。自分探しをしていたんでしょう」
一方でこの頃には水原の重要な「裁判記録」が残っている。
高校を卒業直後の2004年に車のスピード違反で取り締まりを受け、2008年には車中でマリファナを所持していたとして起訴され裁判沙汰になっている。
現地の裁判所で入手した後者の裁判資料には、水原が「運転中のマリファナ所持」で有罪を認めたこと、翌2009年に州内の短大で更生プログラムを受けて不起訴処分となった事実が記載されていた。
「2014年に記録抹消の手続きを申し立てている」
この“前科”は、水原がMLBの世界に入る際に問題視されなかったのか。カリフォルニア州弁護士会に登録している鈴木淳司弁護士は、「水原氏が記録を抹消した形跡がある」と解説する。
「資料を見ると水原氏は2014年に記録抹消の手続きを申し立てている。同年裁判所がこれを認めて、記録は破棄された。こうなると州法上、民間の就職などでは『前科なし』と説明しても問題はない」
2014年といえば、大谷が侍ジャパンとして日米野球に出場、国際試合デビューを飾った年でもある。水原は当時、日本ハムで球団通訳を務めていたが、そのタイミングで記録を抹消していたことになる。
前出の松木が「営業はうまくなかった」という日本酒の輸入販売会社では、不当解雇をめぐる訴訟が起きた。現地メディアのロサンゼルス・タイムズは賭博問題発覚後の今年3月28日、「2008年に酒類会社が元従業員から不当解雇の申し立てに直面した時、水原氏は宣言書を提出したと裁判所記録が示している」と報じている。が、水原が不当解雇を受けた当人か否かは不明だった。水原が当時働いていた日本酒の輸入販売会社を突き止め、社員に話を聞いた。
「水原君は弊社のロサンゼルス支社で2~3年働いていました。主にオフィス業務で、輸入元とのやりとりや出荷の登録、手配を担当していました」
不当解雇の件については、次のように説明した。
「当時、サンフランシスコの支社で働いていた社員が不当解雇の訴えを起こしたことがあります。ですがそれに水原君が関係したという記憶はないですね。彼はこの時に会社を辞めたわけではなく、業務態度で特に問題は聞いていません。野球が大好きだと言っていたのが、印象に残っています」
こうした状況から推察できるのは、水原自身が不当解雇を受けたわけではなく、同僚の解雇について状況を説明するような宣言書を提出した、ということだ。
水原はこの頃すでに、野球に関係する仕事を意識していたとみられる。しかし、まったく異なる業界での日々にもどかしさを感じていたのではないか。日本人相手なら英語力は武器になるが、米社会においてはそれが前提での競争だ。そこに特殊能力やスキルといった付加価値がなければ、職探しは難航するだろう。
高校卒業後の「空白の10年」は、水原にとって紆余曲折の連続だったと言える。その浮かない姿を側で見守っていたのが、松木だった。
「一平ちゃんはドジャースに移籍して来た野茂英雄投手の姿を見て、野球の仕事がしたいと言い始めた。イチロー選手が決勝打を放った2009年のWBC、そして2010年当時エンゼルスに所属していた松井秀喜選手は、2人で一緒に観戦しました。一平ちゃんの野球を見る目は、ギラギラしていた」
その野心が実り、日本酒販売会社を退社し、2012年に当時入団予定だった岡島秀樹の通訳としてヤンキースに雇われることになる。岡島の入団が取り消される不運もあり即解雇となったが、まもなく日本ハムの専属通訳として働くことが決まった。生まれ故郷の北海道で、後に二人三脚を組む大谷選手と対面する。
「お父さんは、大谷選手と出会った一平ちゃんを『幸運の持ち主だ』と言っていました」(松木)
だがその幸運には、ギャンブルで見放された。
家の中から「犬の声」
4月12日、ロサンゼルスの連邦地裁前には多くの報道陣が詰めかけた。水原は白っぽいワイシャツに黒っぽいスーツ姿で出廷。韓国・ソウルで3月22日に行方がわからなくなって以降、公に見せた初めての姿だった。
私はこの4日前、彼の「現在地」を探っていた。冒頭の場面はその日のことだ。水原が住んでいたとされるニューポートビーチの高級マンションは観葉植物に彩られた重厚な門構えで、中に入ると椰子の木に囲まれたプールが目に飛び込んできた。住人たちは上品な雰囲気で犬を連れて歩いている。南国のリゾート地さながらの光景が広がっていた。
家賃は最低70万円から。面会の意図を告げると、門番は意外にもあっさり私を通した。部屋の前には、アマゾンで注文したとみられる段ボール箱2つが置かれていた。そのうちの1つは、日本のペットボトル緑茶「お~いお茶」が詰まっていた。
誰かいるのは間違いなさそうだ。呼び鈴を鳴らすと間もなく、中から2匹の犬が吠える声が聞こえてきたが、ドアの方へ向かってくる気配はない。もう一度鳴らしても、結果は同じだった。
帰り際、門番の詰め所へ行き、部屋に住人がいるかどうかを確認してもらった。門番が部屋番号をダイヤルし、コールが2回鳴った後、ガチャッと受信する音が響いた。やはり居留守だったのだ。電話口から微かに漏れる声には、聞き覚えがあった。そして、門番は私に「住人が会いたくないと言っている」と告げたのだった。
松木の店を訪れると、以前は誇らしげに飾られていた水原の似顔絵がなくなっていた。
「似顔絵は私の部屋にあります。ここまで騒動が大きくなると正直、言葉が出ないですね」
失なったものはあまりにも大きい。
(了。前編から読む)
【プロフィール】
水谷竹秀(みずたに・たけひで)/1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーに。2004~2017年にフィリピンを中心にアジアで活動し、現在は日本を拠点にしている。2011年に『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健ノンフィクション賞を受賞。近著に『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。
※週刊ポスト2024年5月3・10日号
04/23 10:59
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