巨人・阿部慎之助監督が坂本と長野に伝えた「俺はお前らと心中するから。広島から行くよ!」

涙ながらにインタビューに答える阿部慎之助監督(カメラ・宮崎 亮太)

◆JERA セ・リーグ 広島1―8巨人(28日・マツダスタジアム)

 目には涙が浮かんでいた。阿部監督が歓喜の胴上げで10度、舞った。「夢の中にいるような…。感動した。減量して良かった」。毎朝6時から7~8キロのランニングが日課。ストレスで晩酌の量が増えても体重90キロ前後を維持してきた体が夜空に映えた。優勝監督インタビューでは「最高でーす!」と腹の底から叫んだ。

 「ターニングポイントだった」という10日からの広島との首位決戦(マツダ)。初戦で2番で起用した坂本が初回決勝ソロ。2戦目は0―2の9回に坂本が安打でつなぎ、長野の代打適時打など一挙9得点で大逆転した。敵地3連戦3連勝で優勝へ加速した。

 8日のDeNA戦(東京D)は大敗で監督会見を拒否。無言で球場を去ったその夜、坂本と長野を食事に誘い、都内の焼き鳥店で熱い言葉を贈っていた。

 「俺はお前らと心中するから。広島から行くよ!」

 1差2位との大一番を前にどうしても目を見て伝えたかった。「勝負どころを分かっていると思うし、困った時のベテランだって」。頼むぞサカチョー。思いは届いた。22日から今度は2差の2位・阪神との天王山2連戦(甲子園)。2戦目に坂本が代打で決勝打を放ち、長野も初戦に先発で2安打した。現役時代に合同自主トレをした2人が即、最高の結果で応える。これほどドラマチックな恩返しはなかった。「あそこで打てるんだからすごいよ」と感極まった。

 プロ1年目の監督が長嶋茂雄さん。ある日、ネットでミスターの名言集を発見した。「スランプなんて気の迷い。普段やるべきことを精いっぱいやって土台さえしっかりしていればスランプなんてありえない」「ウサギと亀なら亀でいい。我慢する勇気が重要なんです」。声に出して原点の長嶋イズムを復唱。今、監督として大切にする考えと一致した。

 捕手・阿部を我慢強く使った長嶋さんのように浅野ら若手を辛抱強く起用。76年10月16日に、長嶋さんが監督として初優勝を決めたのは広島市民球場。同じ広島、同じ土曜日。考えも運命もミスターと重なった。自身が300本塁打と2000安打を達成した思い出のマツダで頂点に立った。

 若手との接し方にはアメとムチを使い分けた。井上のベースカバー遅れのような、取り組み姿勢の緩みは厳しく指摘した。それでも翌日は何事もなかったように談笑。「ふざけんじゃねえとか、ぶっ飛ばしてやらせる時代じゃないからね」。明るく前向きに。令和式の人心掌握術で背中を押した。

 8月には、21日の広島戦で本塁打を浴びたグリフィンに謝罪した。「昨日は俺が捕手に球種のサインを出して打たれた。申し訳ない」。外国人も巧みに操縦した。「俺が監督だ!って偉そうにしてもしょうがないでしょ」。采配も含め、変化を恐れずアップデートできる柔軟性がチームを強くした。

 投手陣に「困ったらど真ん中」を掲げ、チーム与四球数は昨年の401から350に大幅減(28日時点)。昨年の救援防御率リーグワースト3・81で「最重要課題」としたリリーフは3連投回避など無理のない運用で2点台と劇的に改善した。捕手出身の視点で小林、大城卓、岸田の3捕手併用も的中。リーグ最少失策、最少失点と守り勝つ野球が浸透した。

 9日時点で4・5差に4球団がひしめく歴史的大混戦。最後は少年時代に大ファンだった阪神の連覇を阻止し、「アレでなくアベ」を実現した。現役時代の登場曲にかけ、就任時に「最高のファンの皆さんと喜びのセプテンバーを味わえればうれしい」と誓った通りの9月Vになった。

 捕手出身監督の就任1年目Vはセ初、巨人の捕手出身監督Vも初。最大の理由は「チーム力」とし、「全員が同じ方向を向いていた」と一丸で頂点に立った。ミスター、原辰徳さんとつながれてきた伝統を継承し、坂本、長野というレジェンドを信じ抜き、独自色を出して球団創設90周年の節目に優勝。新人監督が涙とともに新たな歴史を刻んだ。(巨人担当キャップ、片岡 優帆)

◆ ビール3000本が泡に 浅野は炭酸水浴びる

 〇…午後11時から広島市内でビールかけが行われ、岡本和の「行くぞ!」のかけ声でスタート。約3000本のビールが泡と消えた。開幕前に「やってやろうじゃないの!」と選手を鼓舞した阿部監督は「やってやったな、おい! いっぱい浴びちゃってください」とあいさつ。主将の岡本和は、指揮官の涙に「日本一になったら失神しちゃうんじゃない?」と笑わせた。19歳の浅野は坂本らから炭酸水を浴びた。

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