大谷翔平が悲願の地区優勝&プレーオフ…現役選手で最も苦しんだ7年間…苦悩乗り越え夢舞台【番記者が現地で見た】

◆米大リーグ ドジャース7―2パドレス(26日、米カリフォルニア州ロサンゼルス=ドジャースタジアム)

 ドジャースが、3月20日に韓国・ソウルで行われた開幕戦に勝利してから1度も首位の座を明け渡すことなく、3年連続のナ・リーグ西地区優勝を決めた。

 大谷翔平投手(30)にとっては悲願だ。メジャー7年目。ドジャース加入1年目でようやくつかみ取った地区優勝と、プレーオフ進出。エンゼルス時代の6年間ではたどり着かなかった頂点を狙うための切符だ。19日(日本時間20日)にプレーオフ進出を決めた際には「メジャーリーグに来てからずっと夢に見てた舞台。素晴らしい日になったんじゃないかなと思います」と感慨深げに振り返り、世界一へ向けて「今後はそこに向けてまた一から頑張りたい」と気を引き締め直していた。

 19日(同20日)に、プレーオフ進出を決めた時点で、レギュラーシーズン866試合に出場してプレーオフ進出がないのは現役最多だった。昨オフにFAになった際には多くの球団からのオファーにあまたを悩ませながらも「最終的にここでプレーしたいなという気持ちに素直に従った結果」と、11年連続でプレーオフに進出している常勝軍団のドジャースを選んだ。

 二刀流で成功し1年目の18年に新人王を受賞し、21、23年にMVPを受賞するなど輝かしい道を歩んできたように見えるが、苦悩も多かった。1年目は右肘の故障に悩まされてシーズン終了直後に右肘のトミー・ジョン手術。19年は打者に専念したが、成績が大きく伸びることはなく、9月には左膝の手術も受けた。

 20年は二刀流復帰を目指したが、新型コロナウイルスの影響もあって復帰への計画が一度は白紙に。投手として復帰を遂げたが、状態は万全になっておらず、2度の登板だけでまたしても離脱となった。打者としても成績は落ち込み、打率は1割台。スタメンから外されることも少なくなかった。

 21年からは二刀流の軌道に再び乗ったが、チームの勝利には恵まれなかった。同年の終盤には思わずバットをたたきつけ「勝ちたいという気持ちの方が強い」、「もっと楽しいというか、ヒリヒリするような9月を過ごしたい」と胸の内を吐露。2ケタ勝利&2ケタ本塁打、規定投球回&規定打席をクリアした22年もプレーオフへの道は遠く、シーズン中の監督解任など厳しいシーズンだった。

 エンゼルス最終年だった23年もチームが夏場以降に急失速。自身も8月途中に右肘を痛めて投手での出場が終わり、9月に入ってからは脇腹を痛めた。本塁打王に輝いたが、9月以降の出場はほぼなく、2度目の右肘手術を受けて、やりきることなくエンゼルスの6年間を終えた。

 ドジャース加入後も、水原元通訳との思わぬ形での別れも迎え、チーム内でも故障者が続出する厳しい状況になったことも多かったが、打者に専念して数々の偉業を成し遂げて、ようやく地区優勝を手にした。

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