長嶋茂雄が、制止振り切って歩を進めた、ファンもカメラマンも社内の鬼デスクも泣いた衝動的な惜別…巨人瞬間の記憶

現役最後の試合を前にグラウンドを一周、外野席を埋めたファンにあいさつする長嶋茂雄

 1974年10月14日 球団創設90周年の巨人の、スポーツ報知に残る膨大な取材フィルムの中から記憶に残る名シーンを振り返る写真企画「瞬間の記憶」。最終回は50年前の1974年10月14日、現役引退を表明した長嶋茂雄が、後楽園球場でのシーズン最終日の中日戦ダブルヘッダーの間に衝動的に行動し、日本中が涙した感動の4分間。

 正午から始まった第1試合は、最後となるONアベック弾が飛び出し7―4の勝利で午後2時10分に終了。すぐに行われる第2試合に向けてグラウンド整備が始まっていた。次の試合が現役最後となる長嶋は、一度はナインと一塁ベンチ裏に下がったが、すぐに戻ってきて、小野陽章広報部長と短い言葉を交わすと右翼方向へ歩みを進めた。

 「突然歩き出したから、慌ててね」と話すのは、当時入社13年目だった中山広亮カメラマン(84)。この日は鬼デスクから長嶋徹底マークを厳命されていた。予定では、第2試合の後にマウンド付近であいさつし、ナインに送られるセレモニーが行われるはずだったが、外野席のファンにもお別れと感謝のあいさつをしたいと要望。当時の報知新聞は「混乱を苦慮した球団の制止を振り切って歩を進めた、衝動的な惜別だった」と伝えている。

 2時12分、カメラマンを一塁側ファウルゾーンに残して、長嶋は右翼からフェンス沿いに一人で歩き出した。球場を包み込む拍手と「長嶋」コール。ポケットから白いタオルを取り出して時折顔を覆う長嶋は、ついに左中間で歩みを止めた。「たくさん泣け」「もっと泣け長嶋」、ファンから渡された花束を手に再び歩き出すと、拍手は歩調に合わせた手拍子に変わっていた。

 この間に左翼側に回っていた中山らは、再び長嶋を取り囲んだ。報知だけでも十数人のカメラマンが投入された大舞台。「とにかく長嶋の近くで撮らないと、と無我夢中で、これが最後だと考える余裕もなかった」。24ミリレンズの先で長嶋は人目もはばからず涙を流し、両手を広げて歓声を存分に浴びると一塁ベンチの裏に消えた。2時16分だった。

 2時41分に始まった第2試合は10―0の大勝で4時57分に終わった。場内一周では感情がこみ上げることがなかった中山も、第2試合の途中からは涙を隠そうとファインダーから目を離せなかったという。夕暮れ迫る5時ちょうどにスポットライトを浴びて始まった引退セレモニーは、「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し9分間で終了。会社の鬼デスクも泣きながらフィルムをチェックしていたと、後に聞かされた。長嶋一色となった翌日の1面は、中山が撮影した写真が飾った。

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