大神いずみ「高校野球を引退したはずの長男が、国体のメンバーに。履正社に入って最初で最後のユニフォーム、最後の一振りは…」【2023編集部セレクション】
*****大神いずみさんは、読売巨人軍のコーチ、元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。苦しいダイエットをしている最中に、長男が大阪の高校で野球をやるため受験、送り出すという決断をしている。夢と希望にあふれてスタートした高校生活はコロナや怪我で波乱万丈。そしてこの夏で引退を迎えた。球児の母として伴走する大神さんが、この2年を振り返る。
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翔大が国体メンバーに
人生で「絶対、あり得ない」と思っていたことが起こることって、どのくらいあるんだろう。
翔大がこの秋の国体のメンバーに選ばれた。
数ヶ月前にここでも書いた「引退試合」を最後に、チームが甲子園でベスト16に残るまで仲間達のサポートに徹していた、甲子園のスタンドから大きなメガホンを振って仲間に声援を送っていた、我が家の長男・翔大である。
全国の高3補欠引退諸君とともに野球道具をまとめ、坊主頭を伸ばし始めて新学期を迎えようとしていた矢先のこと。
ある日我が家の玄関を開けたら目の前にBTSのVが立っていても、こんなに驚かなかったかもしれない。
「ありえない」というか、そんなことが起きるかもという想像さえしなかったことだ。
甲子園も終わり、夢のような帰省時間も過ぎて翔大が大阪に戻ったあたりから、電話の向こうにピッ、と小さな希望のかけらが光を放ち始めていたのを、母は感じ取っていた。
履正社が10月に開催される「国体」に出場する8校に選ばれたのだ。
甲子園の敗退をもって「引退」となった3年生達にとっては、秋の国体でもう一度野球ができることになった!
落ち着け、息子
高校野球は特別開催ということで、甲子園出場校から今年北海、花巻東、仙台育英、土浦日大、慶應、履正社、おかやま山陽、神村学園の八校が選出され、初日から甲子園決勝戦と同じカードの対決となるなど、かなり世間の注目を集めていた。トーナメントで最大3回勝つと優勝である。
この八校に選ばれるまでもドキドキだったが、
基本的に出場するのは三年生主体の、甲子園登録メンバーと決まった。
翔大にとってはチームが選ばれたとて、また応援サポートの立場。切ないけれど、大きく手を振っても自分には出番のない話だと思っていたわけだ。
「お母さん、今日履正が国体に選ばれた!」
「お母さん、メンバーは甲子園ベンチ入り【外】からもあるもしれないって!」
「お母さん、国体の日程と新チームで臨む大阪大会の決勝がかぶったら、補欠メンバーから国体に選ばれるかもしれないって!」
「お母さん!国体なんだけど…」
どうどうどうどう…落ち着け落ち着け、息子。
とにかく毎日毎日学校の合間に電話をかけてきては嬉々として国体の話をしてきていた。
この頃になると、3年生のモチベーションは大学進学やその先の野球のための体力維持ということで、走ったり振ったり、下級生の傍ら自分でやれる練習を見つけて淡々とやっていくものだが、翔大の様子はちょっと違っていた。
後輩たち、頼むから勝ち進んでくれ!
3年生任意の朝練習に欠かさず出席し、放課後は3年生の練習時間以外にも残ったり、自分で知り合いを頼って場所を確保して練習したりしていた。
食生活や整体などにも十分気を遣って、痩せすぎ太り過ぎ、痛みのある場所のメンテナンスにも余念がない。
夜になると近くで後輩達が素振りしている場所に合流して汗をかく。
フラフラになって夜中0時あたりまで振っていることもあったようだ。
また後輩達への眼差しは、一層穏やかで優しさに溢れるようになった。なぜなら…。
彼らが秋季大阪大会で勝ち進んでくれればくれるほど、国体と決勝戦の日程が重なって、国体のベンチ入りメンバーに翔大を含む3年生の甲子園補欠メンバーから選ばれることになるからだ。
頑張れ後輩たち。頼むから勝ち進んでくれ!
拝むような気持ちで彼らの勝ち上がりを見守っていたに違いない。
いや本当にスリスリ手を合わせて背中を丸め、拝むように速報を待っていた私にはよくわかる。
頑張れ履正社!…うちの子出てないけど。
だんだん電話口から疲労と焦りとみなぎる自信、いろんなものが感じられるようになり、少しオーバーワーク気味でハイテンションになっている息子が心配になりだした。よく夜中に目がパッ!と覚めて素振りをしに外に出ることもあったようだ。
国体に取り憑かれて…
ある日の晩のこと。いつものようにかかってきた息子からの電話でいきなり、
「お母さん!いつも使ってるユニフォーム洗いのブラシ、どこやった!?」
「ヤバい。あれがないとユニフォームパンツの汚れが落ちひん。絶対誰か盗ってったわ…」
え…?
もうあの夏の甲子園以来、母は大阪に行っていない。部屋の掃除も冷蔵庫の補充もしていない。
いったい誰が翔大の一人暮らしの家に入って、その汚いユニフォーム洗いブラシ一つ盗って出ていくというのだ。
どう考えても家のどこかにあるはずだと言っても、いや絶対に誰かがこのブラシだけを盗って行ったと言ってきかない元木翔大。
ヤバい。
練習しすぎて国体に取り憑かれて…ちょっとメンタル危ういことになってしまっていると母は察した。
…って。
そのくらいなんで野球部引退前に練習せんかったんか、遅いわ!
…と喉元まで出かけていたら、残念なことにきっちり父親は声に出してそう言い放った。
あー、言ってもうた。
大事なブラシは結局小さな翔大の部屋のどこからも見つからない。どう考えてもあんな小さなモノがてくてく歩いて出ていくはずないのに。
謎。ミラクル。マジカル。
結構そんなことは気づかないだけで日常にたくさん散らばっているものかもしれない。
でも最後の最後、翔大が国体のベンチに入れるなんてミラクルは、著名な魔法使いが杖をブンブン振り回して相当な魔法をかけないと叶わないことだ、とさえ思いもしなかったのに…。
後輩くん達の快進撃、大阪大会準決勝進出により国体日程が見事重なってくれたおかげで、晴れて翔大は国体のベンチ入りメンバーに選ばれた。
背番号は「14」。
履正社に入って最初で最後、正規の履正社のユニフォームを着て、試合に出られることになった。
初日、まさかの雨天順延
正規のユニフォームは練習試合用ユニフォームより少し色味がかっていて、学校の名前もしっかりとしたロイヤルブルーの刺繍が施されている。こんな時期に「RISEI」の伝統の重みをずっしり帯びたユニフォームに最初で最後、袖を通した時の翔大の顔を、私は見ることはできなかった。そばにいないからしかたない。どんな顔だったのかな。
何度も諦めてはいたようで、やっぱり見たかった我が息子の瞬間瞬間を、幾つもいくつも逃してきたんだなぁ…とあらためて寂しい。
さあ!もうこれが本当の本当の本当の最後、
翔大の晴れ舞台!いざ、鹿児島へ!
シーズンが終わって一段落したばかりの夫、身辺騒がしくなる前に張り切って初日から鹿児島に乗り込んで行ったのだが…。
初日からまさかの雨天順延。
しかも2日目も雨で試合は2試合のみ、履正社の試合は3日目からのスタートとなった。決勝戦は行わず、準決勝に進んで勝った2校が同時優勝ということになった。
丸2日間桜島をぼんやり眺めながら、本来なら思いがけずご褒美のような家族の鹿児島旅行なのだが、やはり翔大の晴れ舞台が待ち遠しくて落ち着かなかった。
大阪から駆けつけたほかの選手たちの家族も、長距離ドライブや車中泊で鹿児島入りして順延の日程に対応していた。保護者応援団にとっても履正社として最後の試合。遠くから集まってきた親たちは皆笑顔が溢れていた。
ネクストバッターサークルに翔大の姿が!
前日の曇天がウソのような秋晴れの3日目。
注目の花巻東高校との初戦が行われた。
夏に逆戻りしたような陽気のなか立派なリース平和球場に入ってみると…。
まさかとは思ったがスタンド席をうっすら火山灰が覆っていて、雑巾で拭き取ると真っ黒になった。
「こ、これがうわさの火山灰…」
鹿児島に来た感満点の球場だ。朝見た絵葉書のような桜島にかかっていたのは、やはり雲ではなく小さな噴火による噴煙だったようだ。
そんななか試合は行われ、いきいきと本当に楽しそうにグラウンドを駆け回る選手たちの姿を見守った。7月の引退試合の時もそうだったように、
「野球って、こんなに楽しかったかね!?」
そんな野球が目の前に展開した。最初ファーストコーチャーに入っていた翔大の大きな声が、私たちのいるスタンド席までよく響いて届いた。
絶対勝とう!という甲子園の時の執念よりは、1イニングでも長く試合をみんなと野球をやろう!最後はまだ今日じゃないぞ!という試合に見えていたのは、私だけではないはず。
たぶん神奈川の実家から中継で試合を見ていたら、6回の裏3点リードの電光掲示板のメンバー表に8番代打「元木」の名前が入った時、目から鼻からジャンジャン水を噴き出して泣いたであろう母、いずみ。
でも現地で見ていたからネクストバッターサークルで金色のバットをブンブン振る翔大の姿が、かなり手前から視界に入ってきてしまった。
もう何年も何年も何回も、小さい時からこんな場面を見てきたのと同じように、
「いけ、翔大!!」
その瞬間ぎゅっと目をつぶって打席を見守る。
(見てないじゃん、とよく言われる)
そこからハイ、いち、に、さん、とあっという間の、見逃し三振。
( ̄▽ ̄;)…。
ツーアウトランナー1塁でラストバッター、元木翔大
そして迎えた4日目準決勝、対土浦日大戦。
前日瞬殺の「みのさん」をやらかしてしまった元木翔大。
今日こそは父や母の目の前で清々しい一打を…。
なんでもいい。
感謝でも恩返しでもリベンジでも、なんでもいいよ。翔大の納得の一振りで高校野球生活を終わって欲しい…。
そんな思いで試合を見つめていたら、無情にも
7回の裏、7-5で履正社がリードしている時点で翔大は代打レフトフライに倒れ、私たちの帰京の時間ギリギリを過ぎてしまった。もう打席は来ずサードの守備で終わるであろうという息子に「頼むから、エラーだけはしないで!」念を送り魂だけごっそり抜け出すように、球場をあとにした元木一家。
そして鹿児島中央駅に向かうまさかのタクシーの中で、9回表に土浦日大に3点逆転された後の9回裏。
ツーアウトランナー1塁でラストバッター、元木翔大。一打逆転のチャンス!!
いや、ここでまさか翔大に巡ってくるかね!?
私はもう、タクシーの窓から涙目でぼんやり桜島を眺めていた。
センターフライ、ゲームセット!は夫の携帯の速報で知って、私たちは博多行きの新幹線に飛び乗った。
「翔大にまわせー!」
前のバッターにベンチから声がかかり、きっちりフォアボールを選んでもらったという。
これ以上背負えるものがないほどいろんなものを背負って、あの打席に立ったのだと思う。
マンガみたいにあそこで本当に打っていたら、翔大の野球はこの先変わっていたかもしれない。
お父さんが言うように、つくづく「そんなに甘かない」ことを痛感して終わったからこそ、翔大の野球はおごることなく続いていかねばだ。
7月大活躍の引退試合とは全く違ったけれど、素晴らしい引退試合だったねと、心から母は言いたいのです。
「翔大のピークはまだまだ、この先だってわかったよ。大学でも頑張れ!」
そうLINEに送って翔大から返事が返ってきたのは、ずいぶん時間が経ってからだった。
「最後打てなくてすいませんでした。3年間ありがとうございました」
夢は、続くよ。
10/16 12:30
婦人公論.jp