新世代のプリマ伊藤晴、新国立劇場の開幕《夢遊病の女》に登場

10月3日(木)にヴィンチェンツォ・ベッリーニの《夢遊病の女》(新制作)で開幕する新国立劇場2024/2025シーズン。主人公のライバル役リーザを演じるソプラノの伊藤晴は、近年飛躍的に活躍の場を拡げている新世代のプリマ・ドンナだ。

リーザはストーリー的にも音楽的にも重要な役どころ。声の超絶技巧を存分に生かした「ベルカント・オペラ」を代表する傑作だけに、この役も難易度は高い。稽古真っ最中の伊藤に聞いた。

「同じベルカント・オペラでも、ドニゼッティよりもpuro(プーロ=純粋)というか、オーケストレーションも薄くて、歌手の声の色や技術を丸裸にされるようなところがあります。その怖さはありますが、歌手冥利に尽きる作品です」

オペラ冒頭。舞台裏から聴こえてくる合唱に続いて、幕開けのアリアを歌うのがリーザだ。

「主人公のふたり、アミーナとエルヴィーノの結婚を祝う場なのですが、エルヴィーノの元彼女的な存在のリーザは、それをいまいましく思っているというシーンです。指揮者のマウリツィオ・ベニーニさんからは、『いちばん最初に歌う君がうまく歌えるかどうかでこのオペラの出来が変わってくるんだ』とプレッシャーをかけられています(笑)。

リーザ役にはアリアが2曲あって、それほど長いアリアではないですけれども、テクニック的な難しさもありますし、アミーナとまったく違う表情を出さなければなりません。やわらかいフレージングで美しく歌うアミーナと対照的に、ヒステリックでちょっと辛口の表現が求められています。わたしは最近プッチーニを歌わせていただく機会が多かったので、それとはまったく違う歌い方です。マエストロ・ベニーニからは『(ラ・ボエームの)ミミのように歌うな! 油断するとすぐミミになる!』と厳しく叱られて(笑)。ロマンティックな深い歌い方よりも、もっとストレートな方向に、毎日試行錯誤しながら進んでいます」

ベルカント・オペラは声と音楽に身をゆだねて聴く!

指揮者のマウリツィオ・ベニーニはベルカント・オペラのエキスパートとして知られる。

「稽古は緻密です。マエストロは、『ベッリーニは、それぞれのマックスを出して初めて成り立つ』とおっしゃいます。ベルカント・オペラでは、ダ・カーポ・アリアの2回めは技巧的なヴァリエーションをつけて歌うのが慣例なんですけれども、そこでたとえばハイD(3点ニ)を出せるんだったら、次はハイEs(3点変ホ)も出せるだろう、やってみなさい、という具合に。歌手の最大限の力を引き出してくださっていると思います。

ただ、みんなに平等に厳しいんです(笑)。フレージングひとつにも、ものすごくこだわって、『いや、それは違う!』と。でもそのこだわりが、ちゃんとロジカルで、すべて納得できることなんですね。だからマエストロがスコアの謎解きをしてくださっているような感じで、他の人のパートの稽古を聴いていても、とても面白いんです。こんな時間ってなかなかありません。

そしてすごく愛情を感じるのは、歌手一人ひとりをすごくよく見ていること。教えていただいたことができるようになると、ちゃんと『よくなった!』と言ってくれて、アメとムチがすごいんですね(笑)。そうやって、とにかくベルカントの極意を伝えようとしてくださっている。いま、それを受け取るのに必死です」

ベルカント・オペラのレパートリーの拡大は、大野和士芸術監督就任以来の、劇場としての方針のひとつだ。

「マエストロは、ベルカント・オペラを見るときは、ドラマよりも、純粋に音楽に身をゆだねてほしいとおっしゃっていました。この作品も、ドラマ自体はシンプルなお話なんですけれども、旋律の美しさと歌手のヴィルトゥオーゾ性、声の技巧の素晴らしさや音色の表現、そういうところをお聴きいただければと思います。なにより、マエストロの作る音楽が素晴らしく、ソリストも合唱も、みんながそれに応えようとしているので、自然に素晴らしい奇跡が生まれるはずです。その奇跡を、どうぞ楽しみにしていてください」

彼女の「声」を方向づけたフランス・オペラ

新国立劇場では、来年2~3月のビゼー《カルメン》にも出演。ミカエラを歌う。パリに留学した伊藤。自分の声の方向性を見いだすきっかけになったのがフランス音楽との出会いだった。

「若い頃は、リリコにもレッジェーロにも行ききれない自分を中途半端に感じて、とても迷っていました。それがフランスに留学して、グノーやマスネを中心に勉強していたら、フランス音楽の抒情性やロマンティックなフレーズを歌うことで、息の使い方がわかってきたように感じたんです。感覚的な部分ですが、わたしは外に響かせようと力んで歌ってしまうところがあったのが、フランス語の響きや音楽の内容との兼ね合いなのか、自分の内に収まるというか。そうすると息の支えも一緒につながっていくんですね。フランスものなら、リリコの中音域を作りながら高音も出せるし、自分の音楽性も出せる。自分にはすごく合っていたんだと思います。おかげで、そこからもう一度ベルカントもしっかり勉強しなおそうと考えるようになりました。

アレックス・オリエさん演出の《カルメン》は、エイミー・ワインハウス(2011年に早世した英国のシンガー)をモデルにした、現代的な設定ですよね。わたしも彼女の歌を見たり聴いたりしていたので楽しみですし、そういう読み替えの演出の経験がほとんどないので、すごくドキドキしています」

11月には藤原歌劇団のドニゼッティ《ピーア・デ・トロメイ》で題名役を歌うので、ベルカント・オペラの出演が続く。

「ベッリーニからドニゼッティという流れはすごく理想的です。《ピーア・デ・トロメイ》という作品は、ヴェルディに近いようなところもあって、オーケストラも少し厚いので、声を助けてくれます。そのあと、来年の《カルメン》までにプッチーニやヴェルディも続いているのですが、いい流れで、声にとってはありがたいです。これがもし、ミカエラを先に歌ってドニゼッティに戻るとか、両方を行き来するのだと、やはりちょっと喉の調子が心配です。これからも、調整する時間を考えながら、ベルカントも、プッチーニやヴェルディも、両方をレパートリーにしていきたいと思っています」

「憧れだった」という新国立劇場には、昨シーズンの開幕公演《修道女アンジェリカ》のオスミーナ役でデビュー、年末の《こうもり》にもイーダ役で出演した。そして新シーズンは、より主要な、アリアも与えられている役へと着実にステップアップ。「毎日の稽古が刺激的。充実しています」と、名前のとおり晴れやかに話してくれた。さらなる飛躍のきっかけのシーズンになりそうだ。

取材・文:宮本明

新国立劇場オペラ「夢遊病の女」

■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2452528

10月3日(木) 18:30
10月6日(日) 14:00
10月9日(水) 14:00
10月12日(土) 14:00
10月14日(月・祝) 13:00
新国立劇場 オペラパレス

【指 揮】マウリツィオ・ベニーニ
【演 出】バルバラ・リュック
【美 術】クリストフ・ヘッツァー
【衣 裳】クララ・ペルッフォ
【照 明】ウルス・シェーネバウム
【振 付】イラッツェ・アンサ、イガール・バコヴィッチ
【演出補】アンナ・ポンセ
【舞台監督】髙橋尚史

【ロドルフォ伯爵】妻屋秀和
【テレーザ】谷口睦美
【アミーナ】クラウディア・ムスキオ
【エルヴィーノ】アントニーノ・シラグーザ
【リーザ】伊藤 晴
【アレッシオ】近藤 圭
【公証人】渡辺正親
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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