結成38年目の"最遅"武道館公演を成し遂げたニューロティカのATSUSHIが語る「武道館は絶対味方 をしてくれる」

ニューロティカ 日本を代表するパンク・ロックバンド。1984年結成。80年代後半にバンドブームが到来すると、インディーズながらホールワンマンを完売させるほどの人気を獲得し、90年にメジャーデビュー。現在はセルフマネジメントで活動中。メンバーはATSUSHI(Vo、唯一のオリジナルメンバー)、RYO(Gt)、KATARU(Ba)、NABO(Dr)。宮藤官九郎、東京ダイナマイト、まちゃまちゃ、氣志團の綾小路翔ら、著名人にもファンが多い


ニューロティカ 日本を代表するパンク・ロックバンド。1984年結成。80年代後半にバンドブームが到来すると、インディーズながらホールワンマンを完売させるほどの人気を獲得し、90年にメジャーデビュー。現在はセルフマネジメントで活動中。メンバーはATSUSHI(Vo、唯一のオリジナルメンバー)、RYO(Gt)、KATARU(Ba)、NABO(Dr)。宮藤官九郎、東京ダイナマイト、まちゃまちゃ、氣志團の綾小路翔ら、著名人にもファンが多い

日本武道館開館60周年を記念して、武道館と同い年であり、結成38年目の2022年に史上"最遅"の武道館公演を行なったニューロティカのATSUSHI氏にインタビュー! 奇跡の武道館公演の舞台裏、そして結成40周年にあたる現在の活動について話を聞いた!

【写真】10月20日に還暦を迎えるATSUSHI氏

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■借金覚悟の武道館公演

――日本武道館公演の話が最初に来たときにはどんなことを思いましたか?

ATSUSHI(以下、アツシ 「何を言ってるの!?」というのが正直なところですね。Zepp Tokyoですら埋まらないのに。僕はバンドの経理もやっているし、計算から入っちゃうタイプなんで。ただ、僕以外のメンバーが「よし、やろう!」って士気が上がったんです。

その頃はコロナで何をやっていいかわからない時期だったし、これを止めたらもう終わりかなと思った。それだったら「俺が全部借金背負ってやりましょう」ということになりました。

――当時ニューロティカはレーベルや事務所に所属していたんでしょうか?

アツシ 吉本興業さんとタッグを組んでアルバムを出した後で、ちょうど契約満了したときに話が来たんです。なのでなんの後ろ盾もなかった。しかも話を聞いたらお金もすごくかかるらしくて。

――普段のライブとは制作費も桁違いだった。

アツシ そうですね。何十倍もかかりました。でも、金額についての感覚はまひしてましたね。「まあいいや、借金で」と思ってました。

■武道館の先輩たちからのメッセージ

――2010年代に怒髪天やフラワーカンパニーズなどのベテランバンドが武道館公演を成功させる流れもありましたが、そこに後押しされた感じもありましたか?

アツシ 正直言うと、ウチは集客のレベルが一段下がるし、余裕は全然なかったです。1ヵ月くらい前までは「ヤバい」と思って毎日YouTubeで配信していたくらいで。すごいな、すてきだなと思っていたけれど、夢の世界という感じだった。うらやましい気持ちもなかったです。

――周りのバンドやアーティストからのアドバイスはありましたか?

アツシ できる限りの全バンドに聞きました。大槻ケンヂ、宮田和弥や、翔やん(氣志團・綾小路翔)や、いろんな仲間や先輩を呼んで「僕どうしたらいいの?」というタイトルをつけてYouTubeで対談して。LA-PPISCHのMAGUMIさん、アンジーの水戸(華之介)さんにも声をかけて。いろんな方と対談して武道館について聞きました。

――その中で言われたことで覚えていることは?

アツシ ほとんどの人が「武道館は絶対味方をしてくれる」って言ったんです。それは武道館のステージに立ってひと言しゃべったときに感じましたね。「あ、これか!」っていう。

――どういう感覚でしょう?

アツシ なんだろうなあ......。その日は(コロナ禍で)まだ声出しNGで、拍手だけだったんですけど、それでも「ああ、これが味方してくれるってことなのか」ってわかったんです。すごく優しかった。これはやっぱり武道館に立った人しかわかんないんじゃないですかね。

■「バンドやってて良かったな」

――終わったときにはどんな感触がありました?

アツシ 「やったね」っていう感じはありました。最初は否定してましたけど、やって良かったです。最高でした。

その日の夜も大変だったんですよ。コロナでなかなか会えなかったバンドマンがみんな打ち上げで来てくれて。200人以上だったかな。2次会の会場も何ヵ所かに分かれて、そこをハシゴして。楽しかったです。

――いろんなジャンル、いろんな世代のバンドマンが集まったという意味でも感慨深いものがあった。

アツシ 開演前のBGMも友達のバンドの曲にしてたんです。そしたらジュンスカが流れた瞬間に客席で和弥が歌い出したり、翔やんが客席でウエーブを起こしたりして。それだけで始まる前に満足しちゃいました。うれしいな、バンドやってて良かったなって。

――武道館公演をやったことでバンドの勢いが増した感じはありました?

アツシ それはありますね。やっぱ結成38年目の〝最遅〟武道館ということで、いろんな人に興味を持っていただいて。新聞や雑誌、テレビ、ラジオも取り上げてくれた。やっぱり武道館の力はすごかったです。びっくりしました。

普段は実家でお菓子屋をやってるんですけど、近所のおじさん、おばさんの見る目も変わった。「武道館やったんだね」って、ご祝儀を持ってきてくれました(笑)。

今年10月20日に還暦を迎えるATSUSHI氏。結成40周年の抱負を尋ねたところ「『まだ通過点』って言ってた、とカッコつけといてください」とのことだった


今年10月20日に還暦を迎えるATSUSHI氏。結成40周年の抱負を尋ねたところ「『まだ通過点』って言ってた、とカッコつけといてください」とのことだった

■結成40周年でもまだまだ現役!

――今年は結成40周年になりましたが、節目を迎えてどういう思いがありますか。

アツシ やっぱり、友達に恵まれたなって改めて思います。今は40周年のツアーを回ってるんですけど、ドラムのNABOがアキレス腱断裂でジュンスカの小林(雅之)が叩いてくれていて。

30~40年くらいの付き合いのバンドが今も一緒に切磋琢磨している。日本のロックはすごいなって。僕はやっぱり日本のロックの力で生きてきたって思いますね。

――40年のバンドのキャリアの中で、武道館公演はどういう経験でしたか?

アツシ 発表したとき、バンドマン、スタッフ、音楽業界の人、みんなに「すごい!」って言ってもらって、これはやるしかないって、さらに力をいただきました。「こういうときにやってくれるなんて、さすがニューロティカだな」っていう言葉が一番うれしかったです。

みんながやらなかったらウチがやるしかない。そういうことをずっとやってましたからね。なんでもやれるのが美学だから。やめるタイミングを忘れているうちに気づいたら40年たってたんで。これからもやるしかないって感じです。

取材・文/柴 那典 撮影/村上宗一郎

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